20190205

 

natalie.mu

 

この引用、キマりすぎてズルくないですか笑

 


三人体制になってから、一度もライヴを観れていません。
お疲れさまでした、というにはちょっと早いですね。あと一ヶ月半。


昨日の記事で、震災をめぐる映画に対して違和感というか、疑義を抱いた感想を書きましたが、私にはアイドル受容と震災の経験が重なっている部分が強くありまして。どちらも当事者性と複数の視点、何より強い感情が行き交う場なのです。そして、震災という災禍は、まるでアイドルのライヴのように、ある種の解放感をもたらしていました。
「震災以後」などという区分も手垢にまみれてしまいましたが、個人史的には、アイドルという文化の爛熟は、やはり「震災以後」の空気を感じさせるのでした。そうした私の震災の文脈は、うまく整理しきれておらず、そうした整理のされなさによって、正しく映画の狙いを受け取り損ねているのかもしれない、とどこかで思っています。まあ、これはちょっとおきます。

 

ドッツさんも、仙台にお招きしたとき、被災地を訪ねられた。
「アイドル」というジャンルにどこまでも自覚的なドッツさんが、直に被災地へ訪れることは、本当に筋が通っているな、と思ったものです。

  

あんまり長く書く気がなかったのに、喋りだすとだらだらみっともないので、一旦切り上げます。

 

関係ないことを一個書いておきたいんですけど、ドッツさんの振付、とにかく最高で、こんな振付をできるのはベルハー/ゼアゼアの主な振付を担当していたYUKO先生くらいでは、と思ってたら、まさにYUKO先生の振付であることが昨年末明らかになって、ほらやっぱり!と一人で盛り上がってました。全くどうでもいいな笑

 

これがとにかく好きです。


20170930「Dash De Koi」「Goa Than Words」LIVE映像@TOWER RECORDS 梅田NU茶屋町店

20190203 『二重のまち/交代地のうたを編む(仮)』を観る

休日だというのにまたも映画を観に。

 

komori-seo.main.jp

 

昨日は一昨日に引き続き、小森はるか・瀬尾夏美の映画と、濱口竜介岡田利規両名をゲストに交えたレクチャー&トークも。

 

小森・瀬尾の連名の共作『波のした、土のうえ』『二重のまち/交代地のうたを編む(仮)』は、どちらも撮影編集を小森さんが、テキストを瀬尾さんが書く、という形式のよう。後者は今日が世界初公開、ということで、場内もにぎわい、なにやら遠征してきた方々も少なくない様子。

 

とりあえず新作の『二重の〜』について、ざっくばらんに書いておこう。

 

まず『息の跡』で断片的に見えていた、思わず目を惹くショットの魅力が、ファーストシーンから息づいていて、バスの椅子に座る少女(古田春香さん)の姿を逆光気味に捉える最初のショットには、思わず心を掴まれた。トークで濱口監督が開口一番「傑作であることを確信した」と語るのも頷ける素晴らしいショット。加えて、そのカメラが古田さんの主観ショットのようなポジションに移り、さらに逆位置から切り返される流れがまた、いかにも「映画」という手触りなんです。
そして、ちょっと違うことに気を取られて、どこが最初だったか見落としてしまったけれども、少なくとも前半に無人ショットが出てこない。画面には常に人がいて、何かを語っている。そして、女子高生がすべり台から滑り落ちてきたり(カメラはすべり台の着地点を横から低く捉えていて、そこにいきなり足がニュッと現れるのが、なんともおかしみがある)、子供がテレビの画面にペンを突き立て、タブレットのようにして扱おうとするさまなどが、余白というには贅沢なほど、際立つ細部として画面に残されている。

 

この映画は、陸前高田へ15日間の滞在制作を行って制作したものとのこと。出演者は、公募によって集まった"震災の非当事者"四名。先述した古田春香と米川幸リオン、坂井遥香、三浦碧至のそれぞれが、被災された方々から、そのお宅に寝泊まりしながら直接話を聞き、聞いた話をカメラの前で語り直すまでが前半部と言えるだろう。このカメラの前での語り直しは、ブラックバックのスタジオのような場所で撮影されており、カメラに正対する形で行われている。正直、私はそこで語られていた話をほとんど覚えていないのだが、全員がとにかく「なんか」「なんだろう」と言いよどみつつ語ろうとする姿は、生々しさの残るものとして印象に残った。
ちなみに、レクチャーで瀬尾さんが説明するところによると、この映画のプロジェクトは、被災から七年という時間を経て、今だからこそ被災者の語りを"継承"すべきではないか、そしてまたそれは被災から遠く離れた(時間的にも空間的にも)人たちにこそ、伝わりうるのではないか、という発端から企画されたものと、おおよそそのように理解した。だから、その「なんか」「なんだろう」という言いよどみは、今まさに"継承"が行われている身体の現前として、記録されているかのようだ。

 

映画は後半、瀬尾さんの「二重のまち」という陸前高田を舞台にしたテクストを朗読するパートに移行する。このテクストは、2031年の未来に語られる物語という設定ではあるが、実際のモデルの経験が下敷きになっている。春夏秋冬の四つの物語が並ぶ構成になっており、それらは出演者四名に振り分けられ、一人が一つの物語を朗読する役割を与えられる。映画では基本的にすべてナレーションによって処理されるが、実際は陸前高田の住民の方々を集め、屋外で朗読会を行っている。映画は、すべての過程を経て、四人が一つの部屋に改めて集い、15日間の体験を振り返ることで終えられる。語られるすべてを聞き届け、理解することの困難、あるいは不可能について吐露する。

 
それにしても「夏」を担当する米川幸リオンさんの、夜景のシーンがまた絶品。たしか冒頭に"夏"とナレーションがかかるとき、画面が昼から夜に切り替わって、陰るリオンさんの顔を仰角気味に捉えるショットの絶妙なタイミング、そして誰もいない陸前高田の夜の街を歩く姿を横移動のトラベリングショットで映すシーンがめちゃくちゃに素晴らしいのです。

 

 

だがまあ、書いていてもそうなのだけど、画面から得る"映画"としての魅力と、プロジェクトの狙いが、私の中でひとつのものにならない。それはそれでよい、ということかもしれないけど、やはりいくらか引っかかるものがあった。もしかしたら、プロジェクトは書籍や展覧会にもわたるものだから、映画はサブテキストのひとつなのかもしれない。少なくとも、映画を観ただけでは、レクチャーなどで繰り返される"継承"行為に関わった感触はないし、"継承"行為を試みた人たちのドキュメンタリーという記録とみればいいのかもしれないが、いまいち腑に落ちない。映画は実際に被災地へ赴くきっかけなのだろうか、それとも想像を介して"継承"行為に近づくということなのか。

 

濱口監督の感想ばかりで気が引けるが、私も、最後の振り返りのシーンが、やはり違和感のもとの気がしている。そこで起こったことの記録としては重要なのかもしれないが、わかり切ることができない、完全に聞くことはできないという煩悶から彼ら彼女らの誠実さを見ることで、私は妙に居心地の悪い安心感を覚える。こう言ってはなんだが、結論として与えられたそれは、予め分かっていたことだからだ。観客として、映画を見ることで、最終的に自分の足場が揺れることはなかった。

 

 それでも、やはり観る喜びに乏しい映画ではないと思う。すでに書いたように、画面に映されている細部の魅力には、とても力がある。慌ただしく前日ギリギリまで編集を行っていたとのことなので、今後別のバージョンが公開されるかもしれない。

 

 

 

帰ったあと、先日イベントでいただいた豆があったので、撒いた。
それで思い出して、値引きされた恵方巻きを目当ての卑しい目的で近所へでかけたら、どこもすっかり売り切れていた。風習が浸透したのか、入荷数を減らしたのか、卑しい同類が多いのか。

 

 

20190202 『息の跡』を観る

閑散期なので、休日というのに映画を観に。

 

komori-seo.main.jp

 

今日は小森はるか監督『息の跡』『空に聞く』を。特に『息の跡』はよかった。主な被写体である「佐藤たね屋」ご主人の貞一さんは、被災されたのちセルフビルドによってたね屋を再建。また被災経験を独学で英語・中国語・スペイン語で著し、かつての陸前高田の震災記録を渉猟するという方。「わかるだろ?」「伝わってる?」とカメラの手前にいるだろう小森監督に何度もくりかえす口癖は、震災をきっかけに突き動かされた"この経験"を書き残し伝えようとする、佐藤さんの行動力学を反映しているかのよう。

 

この佐藤さんの書き残す/伝える情熱は、映画中盤ほど、土地のご神木の樹齢を算定するシーンに際立っていて、土地の言い伝えによっては、1000年とも言われる神木だが、そうではない。なぜならば、スペインにある記録によれば、この土地には1611年に津波が来ている。ここにこの木が生えているということは、少なくともそれ以後に植えられたからだ、と実際に手を動かしパフォーマンスしながら仮設を導き出す佐藤さんは、自著のとおり、端的な事実のみを求めています。しかし同時に、だからといって皆が樹齢1000年のご神木だと思って敬う気持ちを否定してはならないと言う。事実と感情の間を揺らぎつつバランスをとるその姿は、震災の経験を書き残すにあたって、日本語が曖昧な語彙で感情ばかり漏出させることに違和感を覚え、英語ならばと筆を執ったものの、事実の記述にとどまらず感情面をも記録/伝えるべき対象に変化していった過程と重なるかのようです。

 

そうは言ってもどこまでも飄々とした佐藤さんと、それに負けないほど素朴な声で受け答えする小森監督の構えは、純粋な観察者にとどまりません。ファーストシーンで置かれた、外と内の境のような場所に置かれたカメラポジション(画面左上にカメラの前ではためく何かのビニールから、完全な店外ではないことがわかります)は、まさしく監督の立場を端的に表現しているようです。またその微妙なポジショニングが、佐藤たね屋という場所を、陸続きではない、ひとつの浮島のように見せているような気がします。確かに映画の中でも冬から夏になり、また冬が来る時間の変化ははっきり捉えられているのに、どこか外部から切り離されている感触が残ります。これがおもしろかった。

 

映画は、最後に佐藤さん自身が店を解体する様子を映します。言葉の端々から、移転することが伺えますが、井戸に手をかけネジを外し、ポンプをばらし、壊しちゃった!と感心したような悲嘆するような声を上げつつ、土中のパイプをするすると抜き出し、それが曇った空に伸びていくさまをカメラが捉えるとき、それを見る我々は、こんなにも遮るものなく高く伸びたパイプがある空間も、かつて波に沈み、やがて土に埋まるだろうことを思わずにいられません。刹那、パイプが倒れこみ、それを追ったカメラが揺れたとき、画面は暗転して映画は終わる。突然切実さが露わになるシークエンスです。

 

 

 

この映画を見ていて、判明でないこと、分かりづらいことはなにもないのですが、こうして感想を書こうとしていると、おそろしく複雑で多義的な出来事が重なっている映画であることがわかってしまいます。明確に何という言葉を与えていいかわからない。むしろ、人が天災に際して何らかの意味を与えようとしてしまうその生理を、映画を介して経験してしまうといったほうがいいのかもしれない。


 

20190128 にわかK-POP見聞

ところで「〇〇について」式のタイトル、なんだか重苦しいのに、つい癖でつけてしまって。2つ連続した段階で"しまった"と思ってたので、ここらで早々に撤回。そもそも、なくてもいいんですけどね、タイトル。あとから見返したとき楽かなと思ってつけてるまでで。まあなんでもいいや。



K-POPのシーンをチェックしていて、今さらBLACK PINKというグループを知りました。こりゃかっこいいすね。韓国の情報は、思い出したように、年に一、二回のyoutubeを当てもなくさまよう程度なので、情報のラグが大きい。

 

ソロデビューしたJENNIEのこれもいいっすねえ。グループもだけど、フロウが悪そうでたいへん良い。あと、専門用語でなんというのか、いかにも今っぽい"ブーン"という低音の鳴り方、いいっすねえ。しかしいつになく頭の悪そうな文章だ。

 

BLACKPINKは、大手事務所YGエンターテインメントのグループとのこと。ほかの所属グループにBIGBANGなんかがいて、それを知ると、なるほど、と。ベタですが、BIGBANG好きなんです。さっき言ったとおり、そこまで熱心に見ているわけじゃないけど、5人のキャラ立ちと装飾過多なヴィジュアルは、際立って感じられる。

 

 

ひそかに(ひそかにする必要はないが)好きなのがNCTというグループ。日本人メンバーも在籍。知ってる限りでEXOにTWICEやIZ*ONEもそうですけど、昨今多国籍グループは珍しくないのでしょうか。


これを聴いて、音数の少なさと、テンポ感に惹かれたのが最初。


派生ユニットで名義が違いますが、これもいい。


音数、というとEXOの新曲も、こちらはぐっとムーディーながら、隙間が多くておもしろいですね。


 

K-POPも、音楽として面白いのはもちろんのこと、ファンサイドに広義のアイドルのマナーがあって、それも含めて興味がありますね。前にMUSIC STATIONへBIGBANGが出たとき、ファンの皆さまがコールを全力でカマしてくれていて最高だった。

 


とはいえ、こうしてK-POPシーンをウェブ上で経巡ってきたあと、日本のアイドルという"巣"に帰ってきて何かしら動画を見たときのこれこれ、という感覚。何が違っているのか...こういうのもいいな、という数ある楽しみのバリエーションのひとつと、身を入れて付き合う文化の差。つまるところ、K-POPは最大の魅力の一つであるはずのメジャー感についていけないんだろうなあ。。あとは単純に音楽的にUSよりもUKという趣味の問題...でもわからない。知らないだけのことは沢山あるから、自分の嗜好に結論付けるのはやめましょう。

 

 

 

企画書を一旦仕上げて、さあ次、とはいかず、無駄な中継ぎをして、端的にダラダラしてましたが、家にいるのに飽いて外に出ると、たまたま道で知り合いに会ったりして。立ち話を1,2分して別れる。観測できないほど起伏が小さい日。でも個人的には充分満足。こんなんでいいのか。いいな。 

20190123 ゼアゼア解散発表後のステージについて

先週の水曜日、新宿ロフトのイベントにゼアゼアが出演するので、観てきました。元々観にいく予定だったけど、まあ、解散が決まってしまい、加えて私がこの5人でのステージを観るのは、これが最後に。

 

解散発表後、なんとなくアイドル全般の音楽を聴かなくなってしまい、そこまで意識してたわけでもないのに、この日ゼアゼアを観るまではと、妙な「アイドル断ち」がひそかに行われておりました。それで気になっていたのは、実際ライヴを観たら、どう感情が動くのかな、というところでして。思いがけず泣いたり、打ちひしがれたりするのかと...結論から言えばそのようなことはなく、単純に楽しい、いつも通りのゼアゼア体験でした。

 


あまたのヲタクらを感涙せしめる、熱く滾るシングル曲の「スナッキー」から、いつもはラストにパフォーマンスされることの多い「Burnable Garbage」、そして新曲の「STOP」という、弾けるような曲が連続する、わりと珍しいスタートから、ムーディーなトーンと幼さが引き立て合う独特のバランスをもった「NYRON FLAMINGO」を蝶番にするようにして、「白昼夢」「There's something behind」や「SOIL」で、"ダーク"なムードへと転調する、田中Dの構成の妙が冴えるステージです。ラストは、もはやニューアンセムと化した「Sunrise=Sunset」で締めくくり、と思わせて、ラストのポーズを維持したまま「ペリカン」のイントロが!これ、素晴らしかったですね。


20190116 THERE THERE THERES choir loft Vol.5 新宿LOFT

子供っぽいのにグレースフル。最高です。

 

  

そうそう、昨年の夏に行われたワンマンライヴの映像が配信開始されました。ゼアゼアではこのライヴでしかパフォーマンスしていない、レアなベルハー時代の曲もあります。

filmuy.com

 

四人体制ではまだライヴがあります。ラストも近日発表とのこと。www.theretheretheres.tokyo

 

 

 

 

体調崩したり、慣れない企画書をガリガリ書いてたりで、もう見てから一週間経ってしまったうえに、このあとそんなに書くこともないんだけど、じつは、落語に開眼して、やはり熟達した芸はすごいな...となっていた直後だったので、ゼアゼアですらつまらなく感じてしまうのかもしれないな、と思いながら臨んだイベントでもありました。結果、まーそんな心配など全然ふっとばしてしまうのだから、ゼアゼアは、アイドルはやはり面白いなーとなっていたのは、改めて書いておこう。

20190108 ゼアゼア解散について

いやあ、参ってしまった。

natalie.mu

t.co

 

NECRONOMIDLEも現体制は昨日が最後。でんぱ組.incからは夢眠ねむさんが卒業。すべて同じ日とは。しかし自分にとっては、なんといってもTHERE THERE THERESの解散です。

 

 

 これらの事柄について、うまいことを言うことも、言おうとすることもできず、広義の当事者たちの感情の噴出を眺めながら、他ならない自分自身もたいへん感情的になっているというありさまです。悲しんでいるかといえばそうでもなく、落ち込んでいるという感じでもなく、漠然と、しかし強く強く悔しいと思うばかりです。悔しいのです。

 

自分が何かできたかもしれない、などというのは思い上がりです。とはいえ、ここでも、あるいは直接にも声をかけた人たち、彼ら彼女らに、こうした「アイドル」たちに巡り合うタイミングがやってこなかったこと、それが悔しい。他人の都合なのですから、仕方ないのです。私だって日がな宣伝していたわけでもない。誰が悪いわけでもないし、見る側にもやる側にも事情がある。それをすっ飛ばしてこんな風に悔しいと考えること、それが思い上がりというやつです。

 

しかし、誰かに届かなかったことで、あの素晴らしさたちが無かったことになる、日々の塵芥と同様に、ただ流れて消えてしまうことに、悔しいと思ってしまうことは止められません。むろん、続きはあるし、人生が終わったわけでもない。しかし、なのです。

 

どうにも冷静さを欠いたおかしな物言いだけれども、刺激された感情に基づいて何かを言ったりやったりしてもいい、それはちょっと知性に悖る振る舞いかもしれないけれど、別にいい、これがどこかに利用されたらば、たいへんマズい不用意な理路ではあるが、こと「アイドル」という文化圏においては、ひとまず許されている、と私は思っています。それが素晴らしいかどうかまでは判断を留保しているが、見苦しくても泣いたり喚いたりしてもいい、という文化の形だと受け取っています。エモいからいい、ではなく、エモくなってもいい、しかたないということです。自分としても、こんな書き方でいいのか、と突っ込みつつも、実にすらすらと自然にキーボードを叩いています。

 

 

昨日、友人たちとのグループラインでもゼアゼアの解散が驚きと共に話題になりました。そこのグループには、最近(半ば強引に押し付けられる形で)、アイドルに興味を持ち始めて、ゼアゼアのことを全く知らない人が一人いたので、勢い余って自分からグループの沿革や、興味の背景まで含めて長々と紹介させてもらいました。何度もここで書いてきましたが、改めて。

 

 


BELLRING少女ハート(ベルハー) 2016/08/05


THERE THERE THERESには前身とも呼べるグループがいます。それが「BELLRING少女ハート」です。私は"ベルハー"崩壊後に彼女たちを知ったので、実際に見たことはありません。以下の記事が一番を要を得て、グループについてまとめられています。


tagkaz.hatenablog.com

 

しかしそれにしても、上の動画のぐちゃぐちゃさといったら、どうしたことでしょう。私は今も、ステージ上の強度においてはBABYMETALが最も強いと感じていますが、ベルハーの、この離散的ながら異様に強い磁場を作ってしまうパフォーマンス空間、フロアと相互的に作っていく、トランシーでいながらとてもユーモラスなそれについて、こうして動画で見るたびに圧倒されてしまいます。たぶん、パフォーマンスにまつわる映像で、人生で最も印象深いものの一つであることは間違いありません。ルールは破られて、ほとんど無法なまでに荒れきっていますが、無防備につい「美しい」と思ってしまう。私にとってベルハーのパフォーマンスは、間違いなのかもしれないけれど、どうしても惹きつけられてしまうものです。

 

そして「THERE THERE THERES」です。"ベルハー"のメンバーを2人残し、5人で2017年2月から活動開始。しかし一条さえきが5月に脱退し、有坂玲菜・緒倉かりん・カイ・平澤芽衣の4人で、同年12月31日まで活動しました。そして、この日をもって緒倉かりんが学業の都合により脱退。同日、"ベルハー"創設当初から崩壊時まで在籍した唯一のメンバー、朝倉みずほが加入。翌年2018年5月4日には小島ノエが加入。現在に至るまで5人体制でした。


There There Theres 2017/9/11 渋谷クラブクアトロ 「Beat Happening!」


There There Theres 2018/03/03 マイナビBLITZ赤坂「アイドル甲子園」


20180902 There There Theres 夏の魔物2018 in 台場野外特設会場


20181112 THERE THERE THERES Sneak Kill


単に私の好みの映像なので、かなり偏ったものになっていますが、ゼアゼアはベルハーと違い、ステージのフレーム内で、没入度を高めようとしていた方向性もありました。
無論、フロアと相互的にハッピーな空気を作る楽曲もあり、その多面性が表現の幅として成立していました。幸せなのか悲しいのか怒っているのか分からないけれども、異様な情念が吹き上がるベルハーから離れ、ゼアゼアはゼアゼアとしての表現を手に入れようとし、事実手に入れたように見えます。


[Live] THERE THERE THERES - スナッキー (at LIQUIDROOM)

説明欄にあるように、冒頭の日付が堂々と間違っている。これもらしいといえばらしい...

 

時間が前後しますが、下の動画は、朝倉みずほ加入時の映像です。新メンバーのお披露目と称して、ステージにみずほさんが現れたときの、様々な感情が入り混じった悲鳴のような怒声のような叫びと体がぶつかり合うフロアの空気を、私はきっと一生忘れられません。


There There Theres 2017/12/31 渋谷O-nest 「AQBI DIG 04」


その一年後。朝倉みずほと柳沢あやのによるコラボ。曲はすべてベルハーから。どうしてこの狂騒が巻き起こるのか、その文脈を共有しないものには伝わりづらいかもしれませんが、狂騒それ自体に、人を強く惹き付けるものがあると思います。


2019.1.1 コラボ・あやのみずほ 【Sunrise GIG 2019】 @O-nest

 

ゼアゼアは、ゼアゼアの表現を手に入れつつも、ベルハーとの比較を免れ得ず、フロアもまた「ベルハーの亡霊」がときたま現れもしました。それについては、実に多くの立場があります。表現的には切り離されてはいるものの、表面的には楽曲や衣装から、またそれぞれの感情から、その記憶から逃れきることはできなかったはずです。ただ、私はそれだからこそ、厚みのある表現を目指すことができたのではないかとも思います。すべてを抹消する必要もないし、ときおり亡霊が漂うフロアも、あくまでも私の立場からは、見ごたえがあり、居心地が良かったのです。

 

みんな頑張り屋の良い子たちだし、彼女たちのステージが大好きでした。ただ結成当初からずっと、グループの中に壁みたいなものができてしまいます。お互いが好きなのになぜか歩み寄れなくて、ワイワイしてても孤独、みたいなものです。このようなコンセプトで続けるには、実はしんどい関係でした。グループ活動に求める空気、居心地が、それぞれで食い違っていたんだと思います。

 

ディレクターの田中紘治は、解散についてのコメントの冒頭でこう言います。
それは、狭義の当事者にとって、あるいは田中さんにとって大きな障壁で、これ以上続けられない大きな理由だったのかもしれません。私はそのことについて、何もわからないし、与えられたステージがどうだったかでしかないけれども「お互いが好きなのになぜか歩み寄れなくて、ワイワイしてても孤独」なのはフロアもそうだったし、そうだったからよかったと言える–––繰り返しますが私の立場、からは–––はずなのです。そうじゃなかった、皆が親しくて孤独はなかった、という方も、もちろんいると思います。そういう方々のほうが多かったかもしれない。ただ、孤独が確保されつつ、強い感情を刺激されるTHERE THERE THERESのパフォーマンスが、私にとって比べるもののないものだったことは、はっきり言えます。

 


...でも、こんなにも心酔していても、納得のいかないステージはたくさんあるし、上達がゆえにかえって目立つ至らなさも感じていましたよ。だからダメではなくて、ここから長い時間をかけて、心置きなく「上手く」なっていく途上にあるのだろう、と思っていました。アイドルに限らず、何ごとも単純な「上手い/下手」の範疇で取りこぼしてしまう良さがあるし、でもそこから抜け出そう、あるいは抜け出てしまう時期がやってくるものです。ある時期には「上手さ」それ自体だって自分を縛る。単純に線的にはできていません。だからこそ、田中さんのコメントがこう結ばれていることに、とても希望を感じる。

 

いまは継続が無理ですが、もしかしたら、と心の片隅で信じていてもらえたら、またいつかこの5人で走り出すかもしれません。
全員、三十過ぎてからでもいいんじゃないかなと思ってます。

 


そうだと思う。三十過ぎてからやればいい。実際そうできるかは別に、そう考えられるアイドルのディレクターがいることに、希望を感じず何を感じればいいのか。そして何より、今後についてこう知らされています。次の活動が、彼女たちのステージを必要としている、まだ見ぬ観客を一人でも増やすことを願っています。

記事の締めくくりにそれらしく、ふさわしい歌詞の引用とか、しないからな!待ってる!!

 

■平澤芽衣

解散後、よりダンスを重視した新グループを結成します。

詳細は2月末にお伝えします。

 

■有坂玲菜

お休みと準備期間を挟んで、4月中から活動再開。

詳細は2月末にお伝えします。

 

■小島ノエ

しばらくお休みと準備期間をいただきます。

また活動予定なので待っていてください。

 

カイ、朝倉みずほもAQBIでの活動がある場合はアナウンスさせていただきます。

 

今年のまとめ お仕事編

思い返せばいろいろあるのが年の瀬。なんといっても今年は、タゴマル企画を立ち上げた年でしたが、順を追って振り返ります!

 

1月

『HOGONOEXPO ~Live Special!~』
毎年恒例の「HOGONOEXPO」。今年は団体発足20周年を祝うべく豪華出演陣をお招きしてのイベントを企画しました。不慣れなところがあり、忸怩たるものもあったのですが、石川浩司さんに「変なイベントだったね〜」とニコニコとご感想を頂いたのが嬉しかったです。あの石川さんが「変」というのだから、余程のことでしょう。

 f:id:keisukeyuki:20180130004506j:plain

 

4月

『多夢多夢茶会 その六』

これがタゴマル企画発足後、初の企画。同時に、今年の私のベストはこれでした。
『HOGONO〜』にお越しいただいた3776さん、もともとは"Extended"スタイルでお招きしたかったということと、もっと良い形でパフォーマンスしていただけるのでは、という思いもありまして、即企画したのでした。
単独の公演企画でなく、オムニバス形式がやはり私の好みらしく、それらをいかにして編集して新たな何かを立ち上げるか、なんです。小野さんのノイズギターが3776さんの浮遊感ある音に重なりつつ繋がったとき、「これこれ!」と本番中に楽しんでしまったのを思い出します。あの名曲「僕だけのハッピーエンド」のアウトロでセッションしてもらいつつ、一人ずつ会場からハケていってもらう形もお気に入りでした。

f:id:keisukeyuki:20180430145006j:plain

f:id:keisukeyuki:20180429160556j:plain

 


5月

空転軌道でベルギー遠征。一日だけの出演でしたが、ふつうに観光としても楽しんでしまいました。
自分たちの写真はないんですけど、このお客さんの数!ヨーロッパのフェスティバルは、ごくごく小さい町なのに、イベントが始まるとどこからともなくこのように人が溢れます。

f:id:keisukeyuki:20181230004626j:plain




6月
『とおがった大道芸』


仙台でパフォーマンスしているとしばしば訊かれる「遠刈田は出てるの?」という質問に、いよいよ「出ました!」と言えるように笑
ごく小さな温泉街の通りのフェスティバルですが、スタッフの皆さんの参加意識が高く、"祭り"として強い形を持っているのが印象的でした。
写真はKERAさん。

f:id:keisukeyuki:20181230004853j:plain

 

『あるばとろす vol.1』

 

昨年末から進めていた企画が実現。
それなりに大きな会場を使うにあたって、そして当日のスケジュールに関して手が届いていないところがあり、課題は残りましたが、ロケーションと出演陣は最高のものをお届けできたかと思います。 

f:id:keisukeyuki:20180609162204j:plain

そして嬉しいご感想が。

note.mu

 

マヤマが終わり、「ねぇ」のイントロが流れて会場後方から黒衣装に身を包んだ・ちゃん達がステージに歩いていく場面、本当に・使がこの世に現れたと思うような瞬間だった。

 

このご感想については、本当に狙い通りに受け取っていただけたと思います。出ハケを隠さない・シームレスに展開するのは私が企画するイベントに多く共通している要素です。
全体を通して今回の演出はほぼすべて私の責任であり(ドッツさんのセットリストは、当然お任せしつつも「ねぇ」のスタートだけは私の希望です)、それがヲタクの皆さんにどう受け取っていただけるのだろう、という緊張感は3776さんのときから変わらずあり、それは私自身がヲタクでもあるからですが、同時に、演出をかけるとしたらこれしかない、という舞台側の立場を通しています。このようなご感想を頂くと、試してよかったなと思います。



『WJDinTohoku 2018』

 

2012年からスタートして、東北六県での開催も果たし、こちらは一度お休みに。
スタート当初に比べて倍くらいの参加者が来場するようになりました。東北のジャグリング界も、様々な交流会や競技会が開催されたりと、後進のみんなで場を作るようになったようで、ひとまずの役目は終えたかなという形です。

f:id:keisukeyuki:20180617225901j:plain

 

8月

『劇団どくんご 「誓いはスカーレット」』

「いらっしゃいパーティー」へマヤマの出演もありましたが、なんといっても二年ぶりのどくんご来仙。毎公演、打ち上げでリミッターなしに批判(文句?)をしても構わない(と思い込んでる)時間は、何者にも得難いものです。

f:id:keisukeyuki:20180831205803j:plain

 

9月

『まちくるカーニバル』

 

三年目!このフェスが目当てのお客さんが増えてきました。
毎年バタバタとしていて写真が全然ない。

フィナーレ前のおふざけの時間が毎年楽しいですが、写真は、まことさんがふざけている様子です。

f:id:keisukeyuki:20181230005810j:plain

 

11月

『あつぎ大道芸』

 

空転軌道。ベルギーからさらにさらに洗練されて、個人的にはベストの空転軌道になっているなあという。参加していて、最も楽しい空転でした。

f:id:keisukeyuki:20181230010339j:plain

 

『せんだいキッズジャグリングフェスティバル』

 

半年間の総決算にして、ジャグリングそのものとして、いちばん新しい領域での試みでした。子供たちへ振り付けることを通して、本当に多く学ぶことがありました。そして、子供だからこそおもしろい、というものが見え隠れしたこの企画、来年以降も継続を目指しています。

f:id:keisukeyuki:20181127084832j:plain

 

 

 

駆け足で振り返ってきましたが、今年は本当にいろいろなことを試した年でした。
来年は、いくぶんぼんやりとした見通しですけれども、やりたいことはいくつかあります。
一番は『せんだいキッズジャグリングフェスティバル』の二回目の開催。もうひとつ、『あるばとろす vol.2』の開催。両方できればいいのですが。

 

ありがたいことに、自分のやることやパフォーマンスを楽しみにしていただける方々もいらっしゃいます。来年も変わらぬお付き合い、どうぞよろしくお願いします。

ひとまず、よいお年を!