20190325 「Tokyo in Natural Macine」

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諸々の実務とデザイン、演出をチームワークで行うべく「タゴマル企画」は去年の2月に始まりました。というのも、ドッツトーキョーさんをお招きするには、会場規模や広報でどうしても1人の作業に限界があるわけで「多夢多夢茶会」のようには行かないのが目に見えていたからです。

作ってしまえば、思った以上に色々なことができそうで、ドッツさんよりも早いタイミングで3776さんをお招きできたり、その後も純粋にフライヤーのデザインを請け負ったり、なんだか対外的には説明しづらい企画団体となりました。

 

2018年6月の『あるばとろす vol.1』は、塩竈市杉村惇美術館 大講堂で開催。6月というのに暑くて仕方ない会場でした。出演は私のユニット「マヤマ」に「非知ノ知」「ぽれぽれ」そして「・・・・・・・・・」。過去のイベントを後生大事に振り返るのもなんだかな、ですが、やはり私にとって意義深い企画です。こういう機会をもっと増やしたいですね。

 

イベントのほかに、個人的に嬉しかったのはドッツ運営のメロンちゃんさんから、我々のジャグリングに関してかなり好意的なコメントを度々頂いたことです。私が好きなものを作ってる人に、自分の仕事を気に入ってもらえるのは何よりのことですし、音楽や身体性について理解の届いた反応は、滅多にもらえないものです。

 

いきなり個人的な思い出話に終始してしまって、自分でも驚きですが、ひとまずその刺激に従うまで。

 

2017年の9月、かねてから噂を聞いていたドッツトーキョーを見ることが叶いました。音源は聴いていたものの、問題はパフォーマンスなんだよな、などと偉そうに腕組みしながら待ち構えていたら、いわゆるオリジナル曲である「エモ曲」とカバー/ノイズの「ヤバ曲」が織り交ぜられたセットリストで、特に「Bones」や「すきなことだけでいいです」のダンス中心のナンバーは、くやしさすら覚えるほどの楽しさで、そしてラストの「1998-」でアウトロを残してメンバーがステージから全員ハケて、袖から「ありがとうございました!」の声を聞いた時には、分かってる。この人たちは分かってるぞ!と(偉そうな態度は崩さないまま)すっかり心を開いてしまったのでした。

 

その1ヶ月後、改めてドッツを見たときは「文学少女」や「ソーダフロート気分」を軸に、熱量を惜しみなく発散する快活さとは違った、しかし観客を確かに引き込む振り幅を見せられ、このあたりで完全にヲタクとなった気がします。そのさらに1ヶ月後には出演のオファーを出しておりまして、タイミングもあったとはいえ、我ながらスピード感のある流れでした。

 

こうして、過去のことを振り返るのも故ないことばかりではないかもしれません。というのも、今回のワンマン会場に入って我々が最初に見えるのは、中空に吊るされた歴代の衣装とライヴ映像なのですから。

 

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受付ロビーからそのまま歩みを進めると、写真のような光景が目に入ります。フロアに8枚+ステージに1枚のスクリーン(ドッツの"・"の数とワンマンの回数に対応している)が、開演から終演に至るまで、観客の頭上に過去のライヴ映像を映写し続け、確か1stワンマンの時にも同様の演出があったと記憶してますが、BGMとして、様々なアイドルたちの楽曲が細切れでノイズと共に流されているのです。また、我々ヲタクがその楽曲のうち、強く反応してしまうのは、今年解散を発表したグループの楽曲であります。「asthma」に「韻果録」「蝉の声」...どうしたって"過去"と"終わり"が結びついてしまいます。無論、こうした新陳代謝が歴史となり、次へと続いていくには違いありません。実際、このBGMの中には、当のドッツさんの「サテライト」も含まれていました。我々もまたアイドルという歴史の一部へ還っていく、というごく真っ当で誠実なスタンスです。

 

そんな場でありながら、不思議と湿っぽくないのは、ヲタクの皆さんの雰囲気にもよるでしょう。

 

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「卒業式の教室の雰囲気」なんて話が出たくらい、和やかな開演前。ちゃっかり私も集合写真に混ざったり。デビルマンのコスプレの人がいたが、一体なんだったんだ。

 

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ライヴが始まってしまえば、そこはヲタクの活躍の場です。ドッツトーキョーのライヴは、コンセプチュアルで知的な楽しみと、原始的といっていい、身体を震わせる興奮に満ち満ちています。そのどちらのあり方もが悦びとして肯定されているものの...知的であるがゆえの振り幅なのでしょうか、私には、ヲタクがステージに背を向け地面に向かってダミ声で吐き出すMIXや、マサイ、リフトといった一連のお約束が一際輝いてみえるのです。(塩竈で、変拍子に叩き込むMIXを聞いたときの感激たるや)大体にして、2時間超えのライヴで、最も泣かされたのが「Can You Feel The Change Of Seasons?」のサビで繰り出されたリフトです。ここぞというしかるべきタイミングで持ち上げられたヲタクの美しさ。。

 

横道に逸れますが、リフトという、文字通り人が騎馬戦のようにして人を持ち上げる動きは、形骸化してしまった部分も多々あるけれど、ステージから送られる"力"へ、衒いなしに反応した結果でしょう。その"力"は往々にして"推しのパート"が顕在化させるものであるが、今回のリフトは、間奏が明ける直前のドラムブレイクから、一瞬の間をおいて落ちサビへ移行するその瞬間を捉えた、極めて音楽的なタイミングとしかいいようのない間で行われたリフトです。音楽の盛り上がりと感情の高まりが、そこで完璧に出会ったのです。そんな"力"の顕れに、誰が涙せずにいられようか。そして、その"力"を確かに受け止めて投げ返すかのように絶唱する・ちゃんの超ロングトーンを、誰が忘れられるというのか!

 

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基本的にライヴは、コンセプチュアルな側面は後景に下がり、ストレートにライヴの盛り上がりを楽しむまま終えられました。今後のことや、都市に還ること、そうした諸々はひとまず宙吊りになっていたものの、終演後も長く長く続くチェキ会を見ていると、運営やメンバーの皆さんが何を優先したのか、語らずとも全員に共有されていたように思います。

 

が、仕掛けめいたことが等閑にされたわけではなく、上階に展示された絵画とメモや資料群、そしてラストにパフォーマンスされた新曲「ネモフィラ」。フライヤーやライヴ後半ステージのスクリーンに投影されていた"花"のイメージが、最後の新曲によって(ネモフィラは花の名前)、どうしたって"終わり"ではなく"始まり"に差し向けられているように見えることが、ほとんど確信めいた希望に感じられるのです。都市の歴史の積層の隙間に、気ままな風の運びによって思いがけない場所に根を張った花が密かに咲いて、誰かがきっと目を止める。都市=東京というシステムを庭にして、そんな花々があちこちに咲き出す可能性に賭けられた一手として、今回のワンマンがあったかのようです。

 

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さて、挨拶めいたことは、繰り返すとどうにも不恰好なので、再び個人的な思いで終わります。

 

 

ドッツ、本当に楽しかった!

お世辞にも"通った"とは言えないし、接触もしない不義理なヲタクでしたが、その面白さを十分に受け取ったつもりです。そして、早く帰って新しいアルバムを聴きたい!

 

以上!

20190323 3776さん、とんでもない

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とんでもない。

昨年の『「3776を聴かない理由があるとすれば」再現ワンマン・ライブ』の異様な緊張感のあと、何を見せてくれるのかと思ったら、いや、とんでもない。

 

ダイナミクスへの誘い」と題された今回のワンマンは、3部形式を取り、それぞれに井出さんのナレーションが梗概を説明するところから始まる。(このときBGMとして井出さんがスキャットで歌うクラシック曲たちが、また最高)
ダイナミクスへの誘い」。それは音の強弱であり、音の強弱とは、音量であり、音量とは、"環境に対して適切な音量"のことであると。それに従って、それぞれ1部が昨夏の全国行脚によって生まれたミニマムな機材環境でのパフォーマンスの再現、2部にライヴハウスが出せる最小音量から最大音量への漸進、3部は凶暴に持ち上げた低音や、リアルタイムの演奏かと聞き違うばかりのギターの生々しさなどによって彩りを変えた楽曲群のパフォーマンスとなる。どれもが聞き馴染みのある曲であるにもかかわらず、今までと全く違う聞き味になっている。またそれが「珍しいパフォーマンススタイル/曲をワンマンの機会に演じてみせる"ファンサービス"」としても両立する異様な筋の通し方なのである。

 

3776は「再現ワンマン・ライブ」のときと同様、自分自身の論理に内在しながら、3776が3776のまま、全く別の3776に化けてしまう。3776(=富士山の標高)にとっての富士山が、視点の変化によって伸び縮みしたり、高みから振り返れば海を臨ませる展望台であったり、静岡と山梨という2つの極を生み出す中心であったり、歴史であったり未来であったりするように、3776は3776を参照しつつ別の相を露わにしてフレッシュネスを更新してしまう。井出さんによる教えを活かすなら、富士山や我々のように3776もまた"若い"。さらに今回のライヴで、極小の音量と爆音の往還によって"イメチェン"した楽曲群は"ナチュラルメイク"ではない、3776の大胆な装いの可能性を開いてしまった。次のワンマンを期待せずに、何を期待するのか。8月の渋谷、絶対に行きたい...

 

だけどOA/アンコールの「井出ちよの」にも本当は触れなければならないし、実は昨年のワンマンについても、ずっと向き合って考えなければならないと思いつつ今回のワンマンが来てしまい、いやでも、残念ながら今回もまた中途半端にならざるを得ないのです。時間がない!いや、本当は手に余る!

 

3776さんの凄さを十全に考えるには、はっきり言って私の能力なんかでは手に負えないし、しかるべき方に出会っていただきたいと思うばかりなのです。個人的には、あの素晴らしい『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』や『うたのしくみ』『介護するからだ』を書いた細馬宏通さんのようなひとに、3776さんを見てほしい。 

20190312 ドッツトーキョーの謎と快楽

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私用で上京していたので、半年もタイミングを逸していたドッツさんを観に。大好きな「東京マヌカン」「サイン」に初見の「しづかの海」そして私的ベストアイドル楽曲のひとつでもある「サテライト」...何だってこんなに楽しいのかとしきりに笑ってしまった。

 

色々なアイドルが好きでも、こんなにフロアで笑ってしまうのは、ゼアゼアとドッツだけでした。最後に宣伝などありきたりだ。今言おう。もしドッツトーキョーを見ていないあなたが、また見ようと思っていながら私のように機を逸し続けている君がそこにいるなら、3月24日に東京キネマ倶楽部へ。

 

 

 

ドッツトーキョーのフロアでは、まるでステージにいるかのように笑ってしまうことに気づいた。それは比喩でなく、自分が一番笑っている場所が、なぜかここにもあると感じてしまった。

 

パフォーマンスとは、こんなに面白いことがあるのかと思ってしまうくらい楽しいことで、何のお為ごかしもなく、そう言えてしまう。シンプルに快楽とすら言える。「楽しい」ということが、些かはしたないと思うほどに。それはパフォーマーの密かな特権であるはずが、ドッツトーキョーのフロアにあっては、そんな秘密はなかったことのようで、明らかだ。ただし、フロアがステージだ、ステージがフロアだ、あるいはステージとフロアの境界線はない、と何かが分かったことのようにして言ってしまうことは避けないといけない。なぜなら、パフォーマンスが、何故こんなにも私を楽しくさせてしまうのかについては、楽しむ私にも依然として謎のままであるからだ。こんなにも楽しいのだが、それについては何も分かっていない。ただ、ドッツトーキョーのライヴ空間においては、そこにいる人々が等しくこの謎に向かって手を伸ばしてくるくると旋回して、分け隔てなくパフォーマンスの快楽を分配しあっている、そんな感触が確かに残る。この謎と快楽をめぐる旋回運動が、人をライヴハウスに(時には東北の美術館に)何度求心させただろう。

 

 

夜はscarlet222さんと雑談。外苑前駅から青山一丁目駅に地下鉄で移動して、何か適当な店があるだろうと思ったら何もない。ザーザー降りの雨の246号線を喋りながら歩いてまた外苑前駅にリターン。ようやく見つけたマクドナルドすらメンテナンスで早仕舞いで、また大笑い。ほとんど完璧な夜であった。

 

 

20190306 小津安二郎とダンス

1週間ぶりに帰仙、の車中。今回は荷物が多くてPCを置いてきたので前の記事もiPhoneで書いてみたけど、しんどい。面白い本を読んだので、その話題もあるのだが。(大量に本を売ったのに、また買ってしまっている!)

 

最近、友人が「小津安二郎の映画にダンスを見る」、という主旨のWSに参加してきたのでその話を聞いた。話のとおり映像を見ると、なるほど確かに精妙に振り付けられたとしか思えない役者の足の運び、体のひねり、そして劇伴がそれを"ダンス"にしてしまう。しかも、完璧なコントロールだけでなく、その外しまで含んでるのだから、やはりとんでもない。これは小津の能力を超えて、金銭的時間的余裕(映画制作において、両者はしばしば同じ意味だ)が許された制作環境が実現した側面もあるだろう。

 

これは本筋から離れたオマケだったようだが、『秋刀魚の味』では、佐田啓二笠智衆の間でごくミニマルな手の仕草がシンクロし、やはりそれが脱輪するかのように一人の岩下志麻へ引き継がれるシークエンスも見た。これがもう、本当に素晴らしいとしか言いようがないシークエンスで、説明を聞くために眺めているだけで、涙が出てしまう。男優二人の手が見える居間の場面では、岩下志麻の手は見えなくて、ひとり二階の自室に戻り、それを追った笠智衆がかける言葉に背中を見せたまま応答、笠智衆が去ると、綺麗にまとめられた髪を右手で撫で上げる...ここでようやく岩下志麻の手が映されるのだが、すかさず正面から切り返されると、両手でメジャーをくるくると指に絡めて弄んでいるのだ。雄弁な手の連鎖による、言葉にしない思いの表れ。

 

やー、WSに参加してないけど、小津をまた見たくなってしまった。いや、家に着いたら、ひさびさに何か見よう。『浮草』か『小早川家の秋』か。松竹から離れた関西ロケで、カメラが宮川一夫中井朝一鴈治郎ものであるこのふたつは、小津に親しくない私には、小津の小津的な圏域から少し外れたところが好みなのだ。

20190303 ゼアゼアのおわりの日

終わっちゃった。ゼアゼア。2019年2月28日木曜日。雨。

 

There There Theres」の表記から全て大文字の「THERE THERE THERES」へ。ここではない、遠い彼方をイメージさせられるそのネーミング。ゼアーゼアーゼアーズ。黒い羽とセーラー服。そのセーラー服も、大胆にリメイクされた。それらは一旦、あるいは永遠に終わった。我々の中に生き残るが、このグループが活動することは当面、もしくは一生無い。「解散」してしまった。

 

この事実について、わたし自身はどういう感情なのか、やっぱりちょっと定まらない。解散がアナウンスされた段階では、あてのない悔しさに支配されていたけど、今は続きが気になっている方が強い、かもしれない。「THERE THERE THERES」が「解散」したという端的な事実に対して、それを入れるちょうどいい塩梅の箱が見当たらない、という感じ。ただそれは、間違いなく目の前にある。

 

ラストライヴがどうだったか。それは素晴らしかった。と思う。ステージのパフォーマンスもフロアのレスポンスも、最後だから、という弾け方ではない、いわば"いつも通り"のライヴだった。

 

 

 

 

でかい荷物を宿に預けて、夏にも来た恵比寿リキッドルームへ向かう。雨だし、何より開場してしまってるから、早足で。夏に入った、歩道橋の下のスペイン料理店の前に15人くらいオタクが溜まってる。18:10頃。

リキッドルームは、中に入るとすぐ階段で、それを一度を登って、フロアに入るために、またすぐ別の階段を降りる。チケットを見せてドリンク代を払うと、次は知り合いにサイリウムを渡された。そして、見にきてるアイドルとすれ違ったりして、あーこの人も来てくれたのか、なんてどの立場なんだか分からない感慨にふけったり、久しぶりに話せたオタクと他愛もない話をする。時間が来て、ゆるめるモ!のパフォーマンスが始まる。

 

私としては本当に異例なことだけど、出なければならない電話がかかってきてしまったので、中座した。いい位置で見てたんだけれども、入り直したら最後方で柱の見切れのなかステージを見る。モ!はあまり詳しくないので、知ってる曲もあれば、初めて聞く曲もある。友人は、あのちゃんのダイブで顔を蹴られたらしい。

 

出演しているグループに、こんなことを言うのは全く不躾で酷いことなんだが、最初2マンが発表されたとき、ワンマンじゃないのか、と思ってしまった。なんで最後なのに誰かとやるのか、理解できなかった。好き嫌いじゃなく。最後に、多くの予想通り「さよならばかちゃん」が歌われる。

 

転換。ゼェアー!ゼェアー!と、コールが野太い声で繰り返されて笑ってしまう。私は、このフロアが本当に好き。夏のワンマンと同じ、「IKENIE」に続く出囃子が流れる。太い低音。幕が左右に開く。上手からメンバーが躍りだす。私だったら、もうちょっと間を与えて、幕が開いたらもうメンバーが踊ってる、というやつをやるだろうなと余計なことを考える。余計なことを考えるライヴは、往々にしていいライヴである。ただ、そのあとはあまり考えごとはしなかった。だからといって悪いライヴではない。いいライヴだった。

 

ベルハーの曲をやるのもゼアゼアだから、躊躇いなくい言うけれども、涙が出たのは「タナトスとマスカレード」と、そしてやはり「asthma」だった。「タナトス」は何度見ても泣かされてしまう。ベルハー/ゼアゼアの、ある部分が結晶している、本当に素晴らしいナンバー。文字通り轟音に撃たれるように膝と腰を屈して崩れる、あるいは逆に轟音を浴びるように、両腕を伸ばしながら胸を逸らして仰け反り首を回す、あの振付。そして「asthma」の、バカでかいトラックの音にかき消されるようにして、しかしどこまでも溌剌と歌っている声。アスマは、あの音の壁に潰されるギリギリで聞こえてくる歌のメロディを受け取ることが、アスマ体験なのだ。一方で、ゼアゼアは最後に、「Sunrise=Sunset」という、あまりにもはっきりと届けられる歌声のアンセムを作った。いや、これも泣いてる。

 

セトリ。

https://twitter.com/rubysoho67maas/status/1101109416949014528?s=21

 

最後はゆるめるモ!とのコラボ。始まる前に、チラホラとフロアを抜ける人が見える。自分は残るけど、その気持ちは何となくわかる、気がする。「なつ おん ぶるー」「夏のアッチェレランド」。写真を撮って、ステージから全員がハケる。オタクの法螺貝が吹かれる。

 

客電がつく。出口の上手方向に客が一斉に動く。ぐしゃぐしゃに泣いてる人もいるが、少ない。ホールは仕切りがいないので、外に出る人・ドリンクを交換する人・フラワースタンドの写真を撮る人・モ!の物販列に並ぶ人・フードのカレーを買う人・それを食べる人・何となくいる人・ゼアゼアの物販を待つ人、などで動線崩壊。

 

なんとか外に出たら、知り合いがタバコをふかしていたので、こんなライヴというのに、お互いバカのような軽口を叩いて笑った。またどこかの現場で、と別れてiPhoneを開くと、22:15だった。

 

 

 

なんで2マンだったのか、なにか事情はあったのかもしれないが、結果的に良かったと思っている。あまりにも納得しがたい最後を、しかと最後にするため、つまり、その終わりは"みんなのもの"であるとするために、オタクだけではなく、同じアイドルからも、見届けられること。実は、これより幸福な最後は考えられないのではないか。ゼアゼアが素晴らしいのだとしたら、オタクにとってだけではなく、アイドルにとってもそうだったに違いない。ステージとフロアの縦の関係だけではなく、ステージの袖で次の出番を待つ同じアイドル同士の横の関係においても、その交点に位置するゼアゼアがいなくなってしまうことは、大きい出来事のはずだ。であれば、同じステージに他のアイドルがいることは、自然なことだったかもしれない。

 

 

生まれたときから予め彼方にあったゼアゼアたち、と頭によぎって、これを終わりにしてもいいけれど、また、こんな風に綺麗に終わりたくないと思ってしまった。結論があってもなくても、手の届かないところで終わってしまった。さよなら、と言っても、まだ次があるから、さよならではない。でもやはり、さよならなのだ。

 

 

今日と明日、メンバーそれぞれの新しい活動が発表される。

 

https://twitter.com/koji210/status/1101906927762595841?s=21

20190223 インスタの動画

いい加減、家の片付けに飽き飽きしてきたので、ジャグリング。
こういうときは、闇雲に体を動かしてもそれなりに満足するのだが、満足すると終わってしまう。ただ、さしあたって具体的に練習したいこともない。その練習したいことがない状態をそのまま人目に晒すことで継続を図っていくことにしてみた。まとまってきたら、なんて考えてると何にもしないだろうし。

 

それがこちら。

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そしてこちら。

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まとまりもないし、新味もないのでヘボだなー。と思うが、若いジャグラーに褒められたので大変嬉しい。ジャグリングを褒められるのは、嬉しい。良いと思ったら、なんでも積極的に褒めてほしい。

 

 

小袋成彬さんがイギリス移住、のニュースを見る。どえらい行動力とくっきりとした展望に、シャキッとさせられつつ我が身を省みて落ち込む。最近は人と会ってもシケた話をしてしまいがちで、猛省。

 

明日は本郷さん抜きで、相澤先生と二人。久々なので、流れを調整。

20190217 Lucas Zileriというジャグラー

インスタで流れてきた。楽しそう。

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技が面白いのでフォローしてるだけでろくに調べてなかったけど、ショーのティザーみたいなのは既に出していた。部分的でわからないけれども、テーブルの音色に差を出しつつも、音楽によりすぎず、補助的な要素にとどまってるのも品がいい感じがする。

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これはキャップとボールのルーティン。後半ちょっとよくわからないけど、ピンポンラケットとは別の展開があったのも今知った。キャップの前後ろを入れ替える動きだけでも、なんかおもしろい。

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だいたい8年前。この人が上の動画みたいになるんだから、すごい。

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最初に見かけたのがこの動画。19分くらいに出てくる。てっきりDOCHの学生なのかと思ってたら、ESACの生徒だったらしい。(不勉強なんで、全然調べてないし、この動画も全部は見てない)

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丹念にワン・アイディアを練り上げていく形は、やはり強いし魅力的なんだけれども、移り気な自分には真似できそうにないのだよな。でもキャッチーだよなあ。

 

 

古いVHSを処分してて、昔テレビに出演した録画だけサルベージ。17歳の自分、受け答えがもやっとしてて本当にひどい!そのくせ、心の中ではイキリにイキっていたわけで、醜いですねえ。こういうのと付き合ってくれていた年長の友人たち、本当にありがたい。