ジャグリングを見る その3

年も終わりに近づき雪だって珍しくなくなる仙台の冬ですが、近頃はどこからか大道芸人の方々が集まり、夜の街中でパフォーマンスをしている様子を二度三度と見かけました。


私のやっている「ジャグリング」も大道芸の出し物の一つであることはいうまでもありませんが、私が「大道芸人」であるかというと、ちょっと難しいなあと思っています。
イレギュラーな雨風や観客の反応によって出し物を柔軟に変え、ひとつの出し物から大きな効果を導き出す経済性などなど、大道芸人に必要な技術はたくさんありますが、道ゆく人々の足を止める、この足を止める技術の有無が「大道芸人」足りうる条件の大きな一つではないかと考えます。

「大道芸」という枠の中で見せられる様々な出し物は、先に触れたように、技術的困難の達成や綿密な構成力よりも、ある種の経済性が優先される場合があります。うっかりすると貶下的に聞こえかねないのですが、ストリートに溢れるノイズ、観客の集中力の散漫さ、それらをパフォーマーの方へ束ねて「大道芸」の空間を作り上げるのには欠くべからざる技術(スタチュー(=彫像芸)のように街に溶け込みつつ違和感を滲ませるジャンルはまた別ですが)であり、その手際のよさにも個々人の芸を見るわけです。
「大道芸ができないと食えない」とは年長の同業が私に会う度くれるアドヴァイスの一つですが、道ゆく無関心な人々の足をぴたっと止めてみせ、素早く効果的な芸をいくつか繰り出してみせる。私はきっとこれがヘタなのです。専業としてジャグリングに携わるものとしてそれはどうなのかと引っかかりが無いではありません。


しかし、以前ここで書いたように、芸一般に限らず、大道芸でいえば、出し物のひとつに過ぎないジャグリングの裾野ですら、とても広い。私としても狭い日本のさらに片隅の仙台でひっそりと活動しているに過ぎず、ジャグリングの何を理解しているわけではない、改めてそう感じざるを得ない映像が今年の春に発表されました。



これはジャグラーのJay GillganとWes Pedenに、ドラマーのErik Nilssonを加えた編成で行われたステージ・ツアー"Shoebox Tour 2012"の記録映像を編集した作品です。予告編をご覧になって頂ければ、一目して彼らの無茶苦茶さがお分かりかと思います。今まで見てきたジャグリングとは様子が全く違うが、ジャグリングでしかあり得ないパフォーマンス。むしろジャグリングの椀飯振舞です。
かといって彼らはジャグリングに淫することなく、勤勉な研究の成果を惜しげもなく披露し、かつ、その成果を有効に活かせるのは彼ら以外の誰もいないというクオリティとキャラクター(つまり芸!)をきっかり構成して見せてくれます。いや、私にとっては「見せてくれる」などという生易しさはまったくなかったのですが…同時に、我々にはまだまだやれることがあるというパフォーマーとしての矜持をかくも軽やかに楽しげに実践してくれる彼らの恐れの無さに、久々に感激もしました。


大道芸人の芸とJayたちの芸と、そのどちらかを引き受ける潔さをもたず、その両極から張られた糸の上に引っかかっているにすぎない私ですが、彼らからの揺さぶりをどう形に成すか、私の立場で考えねばなりません。


言わずもがなの蛇足を付け加えるなら、現代のジャグリング界にとってのJayの影響や、彼の影響下で成長し続けるWesの凄さはここで説明し切れないほどのものですが、それらを知らずとも、彼らの大らかさ、贅沢さはきっとごくごく普通の観客にも一級のパフォーマンスとして受け入れられるものと思います。