ドッツトーキョーの季節

拙企画にもお越しいただいた、ドッツさんのファン=観測員=ドッチャーであるscarlet222さんが久々の記事更新。わたしは人文書も好きで読みますが、好きで読んでるだけなので基本のキも分からん程度で、ドゥルーズ研究の学徒である氏の論説に何かしっかりした読みをできたりはしないのですが...
毎回じつに楽しそうに書いているscarletさんの記事は、メタ的に対象へ大鉈を振るうのではなく、ドッツトーキョーから差し出された手紙を丁寧に惜しみつつ読むような、それを読んでる顔がニヤニヤとオタク顔になっているような...そのことがおそらく、門外漢にも読み物として届くものになっていると思います。


今回の記事は、前半部、コンセプト担当の古村さんのコメントから、全く自由にドッツトーキョーのコンセプトを読み替え、楽しむことを肯定し、後半部ではその実践と言わんばかりに、ラトゥールのアクターネットワーク理論を引きつつ近現代の「自然/社会」と仮構された対立を前景化し、さらにフランシス・ベーコンの"イドラ(idola)"へ遡り、この"イドラ"、すなわち"アイドル(idol)"こそが「自然/社会」という対立項が強化されていく過程で、排除されていったものだ、と言います。
加えて、ドッツトーキョーのメインコンセプトのひとつが"都市の幽霊"であることをもう一度思い出した上で、以下のセンテンスをご一読あれ。

アイドルとはまさに、近代から排除されながら絶えず回帰する幽霊であり、それゆえにアイドルやそれを受け入れる者たちを、自分が近代的で自立した主体であると思い込んでいたい者たちには、「不気味なもの」におもえるのではないだろうか 

 

scarlet222.hatenablog.com

 

あまりにキマっていて思わず笑ってしまったのですが、氏がブログを「ヲタ芸」と称することに倣うなら、さしずめイエッタイガーが決まったような爽快感がありませんか笑

イエッタイガーってなんじゃそれ、という世の98%くらい(もっと多い?)の方々に説明しますと、楽曲の盛り上がりの直前に生じる空隙にねじこまれる、楽曲にさらなる勢いをつけるが如きコールのことなのですが、見ればわかるでしょう。


dic.nicovideo.jp

 

アイドルがあらゆるジャンル(狭義には多様な音楽ジャンル、広義には音楽・演劇・映画・ファッション、などなど...)と結びつき、批評すら(アイドル自身が批評する主体というより、批評的言説を纏うメディアとして)テリトリーに含んでいく、ドッツさんの活動の高まり、あと一歩でクライマックスを迎えるだろうという空隙に挟まれたイエッタイガーとしてのブログ。

 

 

無論、クライマックスとはいっても、そこで完成するわけでも、動きが止まってしまうこともない。音楽がリフレインし、全く違う同じ高まりが、何度となく繰り返されるように、我々はその都度ドッツトーキョーと–––"Can You Feel The Change Of Seasons?"の歌詞を借りるなら–––出会い、出会い損ねたいと思うことでしょう。季節は変わるが、また巡るのです。

 

Tokyo Sentimental - EP

Tokyo Sentimental - EP

  • tipToe. & ・・・・・・・・・
  • J-Pop
  • ¥1000

tipToe.とのスプリットシングル。"Can You Feel The Change Of Seasons?"本当に良い曲で、大好きです。

 

 

ドッツさんにはコンセプト上、グループから脱退する「卒業」概念がありません。しかし、ふたりのメンバーさんが先日のワンマンライヴをもって、"・"としての活動を止められました。以降、"・"としておふたりのステージを見られることはないはずです。
私がドッツさんを初めて見たのは、ちょうど一年前。この一年で見られたのは、ごく限られた回数に過ぎませんが、それでも、ステージでの澄み切った躍動感と、MCなどでの気取らないパーソナリティーを、忘れられません。いくらかの寂しさがないといえば嘘になりますが、素晴らしいとしか言いようのないパフォーマンスの記憶が、これからも私と並走し続ける喜びが勝ります。2年間、本当にお疲れ様でした。

 

 

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