20190105 圧倒的に少し違うことについて

遅ればせながら、新年おめでとうございます。
ここ数日は暖かいですね。今日と明日はアリオ泉にてパフォーマンスでした。どうぞよろしく。

 

ところで、定期的に波のようにやってくる書きもの欲が最近また到来してまして、更新頻度が増えるかもしれません。パフォーマンスの情報はトップに固定してあるので、ノイズにはならないかと。

このブログ、活動報告と合わせて区別なく一箇所で更新していく方針にしたのが、もう5年くらい前ですか。話題を混在させていくのは別にいいんですが、軽い活動報告と、何かについて書きたいときの落差を無くしたかったので、意図的に口語的なですます調にしてまして、これが実はすごく使いづらいんですよね。それでもごく初期は生硬な感じでしたが。そのうち書きやすい文体に移行してみようかなあ。ううむ。と考えながら、むしろいつもより更に一層砕けて書いてみています。


 

ところで、話は一気に変わりまして、皆さんは元コミックナタリー編集長の唐木元さんをご存知でしょうか。
40代になられてからナタリーを退職して、アメリカのバークリー音楽院に進学され、現在はプロミュージシャンとして活動されている方です。その唐木さんが長らく続けられている日記がおもしろいので(特にバークリー生活編(?)は必読です!)、結構さかのぼって読んだりしていました。生活の細々とした描写や、ハプニングめいたものも面白いのですが、唐木さんの直観的な言葉には共感することもしばしば。いや、共感的だからいいってもんでもないけれど。

 

昨日の日記でも、「ハーレムに、すでに3回行っているフライドチキンの店があるのでそこに行った。フライドチキンなんてどこで食べても大して変わらんと思っていたのだが、そこのは圧倒的に少し違うのである。「圧倒的に少し違う」というのは生きてくうえで結構大事な感覚だと思う。ハイハットのチューニングを変えると音楽は圧倒的に少し変わる。」とあり、面白いなあと。

 

rootsy.hatenablog.com

 
ちなみにこのフライドチキンの店、どこかでも読んだ記憶があるなーと思ったんですが、この記事で紹介されているお店でしょうか。うまそう。

heapsmag.com

 

ただ、さっき言ったように、共感的になること自体はちょっと警戒していて、「圧倒的に少し違う」もの、あるよね、人生においてもそれって大事だよ、わかるわかる、と、続けないようにしています。いや、自分も大事だと思ってるし、つながったようで気持ちいいんですけど、そこで共感の輪に閉じるのではなく、むしろ唐木さんの経験を、その独特な言い回しを介して想像的に追体験することのほうが、より大事といいますか。伝わるだろうか。

 

少し考えてみると、ハーレムのフライドチキンについて分析的に、ハーブの香りがする、とか、肉がしっとりとしている、とか、塩気がいい塩梅、とか言うのではなく、おそらくは口に入れたときの"インパクト"をトレースするために「圧倒的に少し違う」という言葉が発明されているだろうことが、面白いんですよね。だから、一般化して、わかるわかる、というふうに共感の輪に閉じてしまうと、せっかくの"インパクト"を矮小化してしまう。"わかる"ものに"インパクト"はないですからね。

 

 そして、"インパクト"って、事後的には要素を分析できるけれど、やっぱり"インパクト"は"インパクト"そのものとして残るような気がします。それが大事なのかな。自分も、色々あるけれど、あえて今の仕事に関係なさそうなところでいうと、中学生の頃、柔道八段だかのおじいさん先生にかけられた体落としの感覚とか、忘れがたいものです。カク、カクッとかかるというか、鋭角的に体が移動するんですよ。下手な人のは、ズルっと落ちる。自分の体が相手の膝あたりを支点にひっくり返って畳に背中がつく、という点では変わりませんが、じいさんとその他では「圧倒的に少し違う」。柔道は結局半年もしなかったけど、あれは面白かったな。

 

 

 さて、いかにもとりとめのない話でしたが、こういうとりとめのない話を、今まで以上に増やす、かもしれないという記事でした。