20190306 小津安二郎とダンス

1週間ぶりに帰仙、の車中。今回は荷物が多くてPCを置いてきたので前の記事もiPhoneで書いてみたけど、しんどい。面白い本を読んだので、その話題もあるのだが。(大量に本を売ったのに、また買ってしまっている!)

 

最近、友人が「小津安二郎の映画にダンスを見る」、という主旨のWSに参加してきたのでその話を聞いた。話のとおり映像を見ると、なるほど確かに精妙に振り付けられたとしか思えない役者の足の運び、体のひねり、そして劇伴がそれを"ダンス"にしてしまう。しかも、完璧なコントロールだけでなく、その外しまで含んでるのだから、やはりとんでもない。これは小津の能力を超えて、金銭的時間的余裕(映画制作において、両者はしばしば同じ意味だ)が許された制作環境が実現した側面もあるだろう。

 

これは本筋から離れたオマケだったようだが、『秋刀魚の味』では、佐田啓二笠智衆の間でごくミニマルな手の仕草がシンクロし、やはりそれが脱輪するかのように一人の岩下志麻へ引き継がれるシークエンスも見た。これがもう、本当に素晴らしいとしか言いようがないシークエンスで、説明を聞くために眺めているだけで、涙が出てしまう。男優二人の手が見える居間の場面では、岩下志麻の手は見えなくて、ひとり二階の自室に戻り、それを追った笠智衆がかける言葉に背中を見せたまま応答、笠智衆が去ると、綺麗にまとめられた髪を右手で撫で上げる...ここでようやく岩下志麻の手が映されるのだが、すかさず正面から切り返されると、両手でメジャーをくるくると指に絡めて弄んでいるのだ。雄弁な手の連鎖による、言葉にしない思いの表れ。

 

やー、WSに参加してないけど、小津をまた見たくなってしまった。いや、家に着いたら、ひさびさに何か見よう。『浮草』か『小早川家の秋』か。松竹から離れた関西ロケで、カメラが宮川一夫中井朝一鴈治郎ものであるこのふたつは、小津に親しくない私には、小津の小津的な圏域から少し外れたところが好みなのだ。