ゲームにハマりだしてしまった

ゲームをやっています。

 

ポケモンGOはリリース当時から昨年秋頃まで続けていたり、完全にやってなかったわけではないのですが、およそ20年ぶりに意識的にゲームをしています。大まかなきっかけはこちらに書いています。

 

ここ3週間ほどでだいたい7〜8本のソフトをプレイして、実況動画にレビューサイトもそれなりにチェックしている状況は、アイドルとは比べられないものの、久々に"ハマりたて"の感触です。プレイしたソフトは、どれもさすがに新鮮で、かつオススメと勘に従ったので面白く(『デス・ストランディング』だけは数時間さわって放棄中。)、なかでも『Red Dead Redemption 2』は素晴らしかった。

 

いや、正直にいえば、あまりに操作しづらいのと、一向に雪山から進まない閉塞感、かと思えばチャプター開けての極端なまでの自由度に、何をどうしていいやら。馬と無辜の人々がずいぶん死んだものです。で、少し置いておいたくらい。最後までプレイしないのでは...と思ったけれども、勘所を掴みはじめ、チャプター3のクライマックスまでくれば、アウトローたちのドラマに目を見張らざるを得ませんでした。ことに、タランティーノの影響も濃い襲撃シーンは、悪の魅力がこれでもかと溢れて漂い、屋敷へと向かう一本道をギャング団が横一列に並ぶ後ろ姿には、これだよ!と快哉を叫ぶなど...

 

個人的な好みも相まって、ストーリーの魅力も素晴らしいのですが、ギャング団のリーダーに忠誠を誓う主人公が少しずつ葛藤を見せるにしたがって、プレイヤーもまた、いくらか自棄になりかけるのに気づきます。
そう、最初に書いたように、このゲームでは盗みはおろか、仲間以外のあらゆる人物・動物をほとんどいつでも任意に殺してしまうことが可能なシステムになっています。明確な殺意がなくとも、うっかり馬で轢き殺してしまったり、ボタンの操作を過てばショップの店主の頭を撃ち抜いてしまうことすらある。


それは、もちろん単に私のプレイヤースキルの極端な低さによりますが、多くのユーザーが共通認識的に感じてもいる操作感の鈍さから、いくらか、ほんのいくらかはそうしたアクシデントによる「死」が、いかにも軽く訪れてしまうようデザインされてはいまいか、と勘ぐってさえしまう。なぜなら、そうした「死」は、すぐさま主人公の「死」をもって贖うことになる。法執行官に賞金稼ぎは、驚くほど簡単に主人公の命を奪ってしまう。また、何もしていなくても強盗に遭う。あらゆる人間が平等に奪い、奪われる無法地帯の軽さのなかで、主人公≒プレイヤーは生き延びねばなりません。
いっぽう「名誉度」なるゲームプレイ上のファクターが、主人公を善行に差し向けます。強盗よりも多く、道中には様々な困りごとに苛まれたキャラクターが現れ、メインイベントを留保しても、彼ら彼女らを助けてあげることが、しばしば起こる。もちろん、助ける必要はほとんどなく、彼ら彼女らからも直ちに金銭、命を奪うこともできる。

 

私も基本的には善行を施す方向で進めていました。(殺すのは縛りプレイとしてでもなければ、実は単調なプレイになってしまうのです)が、先にふれたように、メインストーリーで展開される葛藤の果てに、いくらか自棄になるのです。善行を施すことの無力さを時たま感じさせずにはおかない。酒場でも荒らしてやろうかと、一瞬、何もかもどうでもよくなる。私と主人公の感情的な同期に気づいたとき、おどろくほどの自由度があたえられたゲーム内世界と、ストーリーで絞られていく物語の筋とが、分かちがたく結びついてきます。私は自由だが、自由さゆえに、自由を奪われつつある。この気付きで、ゲームの面白さに出会い直したといっていいかもしれません。

  

物語を最後まで追うことは避けますが、主人公の背負う運命の哀切きわまること、彼が尽くすリーダーの、ごくごく微妙に積み上げられては後戻りできなくなる変節と弱さの描き方の複雑さには唸らされます。そしてメインストーリーの最初と最後がきれいに対応する関係になっている構成の妙とダイナミズム...これがもしドラマだったらば、もしや『ブレイキング・バッド』にすら比肩するのでは、と思ってしまうほどの満足度です。

 

だがまあ時間を使うこと使うこと...はじめたばかりの『ウィッチャー3』をクリアしたら一段落か、と考えてはいるものの、できそうもない『SEKIRO』も気になるし、ハードが手に入らないとはいえ『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』『スプラトゥーン2』もいちおう触っておきたい。