膝をつくマイアミ

 

 

上のツイートは、ミネアポリスの警官デレク・ショーヴィンによるジョージ・フロイド殺害から再燃しているBlack Lives Matterの運動のなか、抗議に駆けつけた市民*1へマイアミ警察署員がニーダウンによって示した差別への抗議*2の姿です。

 

恥ずかしながら政治に疎く、どう思っているかは別に、そうした発言をすることも趣味ではない(まさしく"趣味"の問題でしかない)ので、これ以上アメリカの情勢にコメントするわけではありません。が、言うまでもなく構造的・直接的差別はあってはならないが、警察権力によってそれが暴力として顕在化し、またアメリカ大統領が、戯言をもって抵抗勢力とその他を分断しようとしている、最低限の状況認識くらいは持ち合わせています。

 

また抵抗勢力の略奪行為や現下の状況については、以下の記事から知見を得ました。

 

 

略奪行為の擁護論jfissures.wordpress.com

 

miyearnzzlabo.com

 

とにかく、外野が白か黒かの二元論でことを単純化・矮小化して「平和的解決を」などと言ってみたところで何よりも虚しいのは自明です。

 

しかし当然、こうした緊張状態は解決へと向かわねばなりません。最終的に「敵」が殲滅されるわけでも、それが望まれるわけでもない。そのなかで、マイアミ警察署員たちのニーダウンが(それがもしかしたらお為ごかしに過ぎないかもしれないという不安はありつつも)、圧倒的な説得力を持ったこと、連帯の意志が"身振り"によって、千万言を尽くすよりも明瞭に現れることに、有り体に言って感動しました。

 

あるタイミングで、人はどう振る舞うべきか。私とあなたは敵ではない、私とあなたの非対称性をどのようにして埋められるか、あるいは埋めようとしてることが伝わるか。

 

私はアメリカに行ったことがないけれども、アメリカで作られた映画に深く影響を受けています。昨日90歳を迎えたクリント・イーストウッドスティーブン・スピルバーグに、何よりもジョン・フォードの映画の中で、誰かの死に向き合うとき、切実な何かに対峙するとき、映画の中の彼らがどのような身振りでそれを行ったか、その影が今日まで私に伸びていることを意識しないことはありません。

 

願わくば、身振りによる敬意が表れること、そしてその敬意を正しく受け取ることができるよう。

 

*1:トランプ大統領が引用したマイアミ警察署長ウォルター・ハドリーの「略奪が始まるとき、銃撃が始まる」への直接的抗議でもあるのでしょうか

*2:日本語のツイートで「謝罪」とされているものがいくつかありましたが、アメリカンフットボールの試合中の出来事から派生した仕草(

https://bit.ly/2zWdysh

)で、「差別への抗議」というニュアンスが強いようです。謝る主体としてのマイアミ警察としてではなく、同じ市民としての連帯を示した形とみます