作業の寄り道:配信の話

今日はマックではなく、主現場である近所のタリーズからお送りしています。向かいの席ではホットコーヒーのカップを置いた女性が一心不乱にスマホを操作しています。
タリーズは価格帯こそ若干高めですが、椅子とwifiの環境に優れているのですきです。

 

 

ほとんどあらゆるライヴコンテンツ(コンテンツって言い方嫌いですけどね)が配信に代替されている現状を比較的関心を持って眺めているつもりですが、ことアイドルとなると及び腰になっていて、なんだかんだと「現場主義」的な自分たちがいるなーなどと友人とzoomで会話していた先日、たしかにそういう側面はあるものの、よく考えたら転居以来さまざまな理由で現場の数は減って、そもそも配信だろうが現場だろうが、最近はあまり関わってなかったなと気づきました。まあ、そもそもあいつら(知り合いのオタク)が通い過ぎなのである。

 

とはいえ、アイドルが配信でどう状況に応答していくのか、もうちょっとまともに見ていかんと、と思ってさっそく昨日の「エクストロメ」の生配信チケットを購入。まずいちばん最初のRAYだけみました(アルバイトの都合上、9時には寝てしまうので)。

 

映像の形式的にはライヴハウスでのパフォーマンスを複数台のカメラで追う、という、音楽ライヴ配信といえばこういったかたち、と想像される一般的なスタイルでしたが、まあやはり個人的にはライヴでも配信でも、そんなに変わらないなあと印象を変えずにいました。

前も少し書いたけど、映像文化にも親しんでいるし、そもそも映像を介した経験のほうが現場での経験を圧倒的に数で上回っているので、なんの違和感もありません。どちらでも面白いときもあれば、そうでもないときもある。RAYに関していうなら、初パフォーマンスの楽曲群は、音源とは違った"ライヴならではの"新鮮な印象のもと、楽しむことができました。「オールニードイズラブ」は先行発表のときに、その良さを掴みかねていましたけれど、アルバムの流れで聞くこと、そして"ライヴで見ること"で、どんどん楽しみ方がわかるようになってきています。

 

しかし逆に言えば、ライヴ経験において現場も生配信もそう変わらないとしたら、配信だから積極的に見る理由もないし、現場が解禁されたところで勇んで行く理由にもならないという、在宅でも出不精というのは発揮されるのだという2020年ならではの発見があるのみです。いわずもがな、これはコンテンツを提供してくれる(繰り返しますがコンテンツって言い方嫌いです)側にはなんの責もないことです。また人前に出て飯を食べている端くれとしても、お客さんがなんとなく腰が重く感じてしまう心持ちを、逆の立場からもうっすらと理解しているつもりです。

ただいずれにしても、現場と配信を二項対立化して現場主義を強化していくような流れには、わずかでも疑義を呈して抵抗していきたいものです。個人的にささやかなアイディアがあるとすれば、いろいろ都合はあるのでしょうが、配信の枠をもう少しゆるやかに設計したいなと思っています。たとえば出番前からテストを兼ねて配信をスタートし、どこかに据えたカメラへ出演者が自由に絡めるようにしておく、とか。配信ではないものの、これはAKB48がオマケ映像でよくやっていました。
結局、実際の現場はきっちり縁取られた枠内でのパフォーマンス経験にとどまらないノイジーなものなので(わたしは枠内でのパフォーマンス経験を重視しているので、ライヴと配信で差異が大きく働かないということでもある)、事前と事後のだらだらした時間も配信内に入れ込みたい。そこはさまざまアイディアが出せるし、面白いところなんじゃないかなと思います。また、テレビなんかに相当な蓄積がある気がします。

 

 

じぶんもテレビをあまり見なくなってしまったものの、いまはTVerのおかげでいくつかはチェックしてます。「テレビ千鳥」「千原ジュニアの座王」「ゴッドタン」あと、たまに見たいときは「アメトーク」も録画したり、要するに芸人色の強いバラエティ番組は結構見ています。このブログでは、雑然とさまざまなものについて書いてきたけど、お笑いについて書くのはかなり抑圧していたので、初めて書くような気がしますね。

 

先日「ガキの使いやあらへんで」でリモート大喜利という企画をやっていまして、これが面白いというか、松本さんの芸のほんとうに天才的な感覚を見せつける30分でした。

キャスティングされたのは、いわゆる大喜利が得手ではない芸人と、レギュラーメンバーの計9名。出されたお題に全員が連続「正解」したら賞金が出るという体裁です。むろん、大喜利に「正解」も何もなく、ただただ松本さんの采配でそれがコントロールされるわけです。
くわえて、大喜利が得手ではない芸人たちが出す答えは、微妙にズレています。さらにその"ズレ"は、リモート環境による状況がもたらす、本来あるはずの空気のまとまりからの"ズレ"と重なり、なぜか妙な面白みを持ってしまう(浜田さんがしばしば顔を背け笑ってしまう姿がワイプで抜かれ続ける)、という複雑な前提を、スタジオで成否を判定する松本さんが完全にコントロール(スタッフとの協同もあるのでしょうが)しているのです。
つまり、つまらない答えでもあえて正解を出し続けて「流れ」を作りつつ、どこかで不正解を理不尽にあたえることで、その「流れ」をぶったぎる。番組で見られる、この「流れ」のハンドリングはどう考えても名人芸としかいいようがありません。リモートという、ダイレクトな臨場性がないからこその縛りゲーを悠々とクリアしてみせる芸人たちの姿は、ちょっと驚くべきものに思えました。あんなのちょっとできないよなー。

 

 

 などと、ここに費やした文字数を本来の仕事に当てればずいぶんな進捗なのですが。

さーどうするかな...