マヤマが動画を販売します

note.com

 

大事なことなので2回、というやつです。

 


この企画はnote開始以前からうっすらとスタートしており、1ヶ月半かけて着地しつつある現況です。
個人的にはコロナウイルスの(一次的)流行の過程でうまれる流れの記録のようなつもりでも、やっておりました。noteもその一部というかんじです。noteは別の職場に就いてから更新頻度が減るなど、そうした生活の変化も反映されていたりします。

 

動画については、バズったり、ステイホームで楽しもうとかだったり、あまり関係ないものになっていますが、マヤマでできることはこれかな、という確信にはたどりつけた気がしています。

 

ところで動画パフォーマンスの内容は、いわば小品をめざして制作しています。けっこう地味だと思う。(もとより地味を志向しがちではある)その理由はnoteにも書いたとおり。どう受け取られるかはわからないとはいえ、そうすべきであると判断した結果です。

 

 

www.hayakawabooks.com

 

そして、この労作というべき記事で提出されている「ディスタンス・アート」という枠に連なるものになりました。ただおそらく、良し悪しは別として、ここに含まれていない方法論で行われている制作でもあります。

 

しかし文中にある星野・安倍のコラボ動画について、記事中にあるのと同様の話を南部くんなどにもしていて、じつは今制作のインスピレーション源のひとつであったりもします。音楽と映像(運動)は、どうにかして"つながってしまう"ものにも関わらず、星野・安倍動画には信じられないほどの非同期/断絶があり、期せずしてスリリングという皮肉なものに仕上がっています。


なにかとレファレンスをだすのが好きなので、別記事でそういう話をしようかな。

 

 

では、販売スタートしたらまたお知らせします。

3776『閏日神舞』または「天地創造MIX説」について

※3/5表記等を若干修正
東京キネマ倶楽部で行われた3776×OTOTOY 企画vol.8『閏日神舞』は一部・二部に分かれ、メインイベントは、6組12名で演じられる第二部「富士山神話 LINK MIX」。かねてから日本神話に材をとってアイドルたちが"神"を演じ、またLINKモードで設定された、富士山を中心軸とした「静岡/山梨」の二項対立に則ったふたつの神話が語られるとSNS等で情報が出ており、3776の異様な企画にまたしてもオタクたちはざわついていましたが、それはひとまず置くとして。第一部「宵の宮」は通常の対バンらしいことも伝わってきており、広瀬愛菜/O'CHAWANZ/彼女のサーブ&レシーブ/963/XOXO EXTREME/井出ちよのという、好事家の評価も高いアイドルたちの出演それ自体がフェスのような雰囲気を醸しています。私としても、久しく見ていないグループが多く、また第二部との関連はありやと穿った期待もありましたが、まずは素直に楽しむことができました。

いや素直に、どころか特筆大書して楽しかった!という時間でした。対バンイベントで、この数年で私的トップ3に入る現場であったとすら思います。良質な音楽と、雰囲気も含め開放感のある会場、大勢の観客だがパーソナルスペースはしっかり確保できる密度、脱力と緊張の入り交じるパフォーマンス、(やや控えめだったが)オタクの奇行...これがアイドル現場のすべてだ!と言いたいほどです。そして出演順に各組の人数をみると1-2-3-3-2-1と第二部の伏線なのか奇妙な対称が作られているらしいことにもニヤリとさせられます。

そんな勘ぐりはともかく、構成の妙は図式的なフォームにとどまりません。前半、広瀬愛菜~彼女のサーブ・レシーブ~O'CHAWANZと振付や照明演出もゆるやかなソロ/ユニットが続き(ことに彼女の~とO'CHAWANZのサブステージをめぐるグタグダな進行!)、それとは好対照なXOXO EXTREMEがサブステージ上で、作り込まれた照明と振付でパフォーマンスに入る瞬間は鮮やかでした。意図せざる試みかもしれませんが、プログレッシヴ・ロックを主な楽曲のジャンルに取り込むキスエクが、イベント自体の"転調"に寄与していることを一際興味深く思います。
963のぴーぴるによる「こんなに人が集まってたら"アレ"にかかるのも時間の問題ですね」井出ちよのの「高校生活最後のライヴになる予定が、昨日急遽めっちゃあっさりした卒業式をしました!なので高校卒業後初ライヴでーす!」といった、時事ネタのライトすぎる扱いもまた、アイドルならではの洒脱さでしょう。

しかしぜんたいに、ひどく平和というか、それを物足りなく思う向きもあるかもしれません。同様に、"良質な音楽"(3776/井出ちよの、あるいはキスエクは留保が入るかもしれないが)は、時にアイドルの免罪符となるジャンルミュージックの先鋭的な融合からも、微温的撤退がなされているといえなくもない。が、彼女彼らが守ってきただろう現場にこそ、アイドルがアップデートされ続ける現在が色濃く反映されてもいます。年齢や地域性といったアクチュアルな主題はもちろん、わかりやすくキッチュだったりエモかったりはしないことで見過ごされてしまう、いわば"不燃性のアイドル"が持つアイドル性をいま一度考えてみることができるかもしれません。

***
 

第二部「富士山神話 LINK MIX」は日本書紀古事記から採られたエピソードを翻案した...音楽劇といっていいでしょう。いつもどおり複数のコンテクストが重なり合った3776のワンマンですが、今回は私が日本神話に不案内なので、神々の名前を改めて飲み込むのにもちょっと突っかかるほどです。そして、そもそもの公演経験がずいぶんと複雑かつ、アイドルの演劇表現にやや慣れきらないまま全編が過ぎてしまった感もあり、どうもうまく受け止め損ねた気がしてなりません。広瀬愛菜さんの浄瑠璃の素晴らしさや、あるいはその他の出演者陣も普段どおりのキャラクターが活きている、どころか、もうありのままといってもいいくらいで、公演の複雑さが、楽天的なアイドル性をいささかも損なっていないのを愉しめば十分、という気もします。だがやはり3776のライヴをそれだけで終わらせるのはもったいないぞと思うわけです。そんな予感があったからか、公演の理解の助けになるとアナウンスされていたパンフレットを買っておきました。が、情報量!公演の間に読むにはなかなかに気合がいる分量です。フロアのそこここから「これはもう読むの諦めたよ…」と嘆息が伝わってきます。

それにしても、「演劇的」と称される公演を行うアイドルグループ...たとえばMaison book girlのワンマンライヴが説明を極力回避することで観客の解釈の自由度を保証しつつ、提示されるイメージそれ自体の効果を美的/詩的に消費するのだとしたら、3776は極端なまでに説明的であり、むしろその徹底した説明的態度は予断的な解釈を許さず、だが丁寧にロジックを追った結果現れる多義的な構造こそが、アイディアの異様さを際立たせてしまうのだと、パンフレットをいたずらにパラパラしつつ、改めて思わされました。

 パンフレットは左右どちらから開いても、見開きに跨って富士山の写真が収められています。駿河國富士山記側から右開きに開くと、右ページ上に縦書きで「山には神が、宿っています。だから人はそこに安心して、足を踏み入れことができる」とあり、甲斐國富士記側から左開きに開くと左ページ上に横書きで「山には神が、宿っています。だから人はそこに、足を踏み入れてはいけないのです」と、まったく同一の前提ながら引き出される結論は正反対の文言が並びます。微妙にズレを伴ったふたつの文言は、実はそのまま、公演のオープニングに左右のスピーカーから同時に歌として、(おそらく)数拍のズレを伴って再生されます。聞こえ方は、まさしくミキサーのフェーダーがセンターに合わせられた状態と思っていただければよいでしょう。

ステージもまた、センターを軸に上手(甲斐國)と下手(駿河國)が分離しています。出演者はそれぞれ袖からゆっくりと奥を歩いて、半分になったステージのまたそのセンターで面へ向かって歩き、拝礼を行うような身振りを行います。が、こうした対称性は、駿河國の出演者だけ拝礼の後、サブステージへかけあがってポーズをキメる、というルーティンが組まれることで崩されています。そうした不均衡な世界のなかで、ふたつの神話が浄瑠璃の導きによって同時並行で進むかに見えたなか、突然、演者のメタ的なコメント「このままじゃ分かりづらい!巻き戻し!」という言葉を合図に"巻き戻し"のSEに合わせて逆回転するようなアクションをしつつ、一方の物語に光を当て直し(物理的にも照明によって)した形で、すぐさまそのシークエンスが頭から再演されることを繰り返すのです。
そう「富士山神話 LINK MIX」では、視覚や物語さえもミキシングの対象となって、左右それぞれにフェーダーを振り分けるようにして語り直されるのです。いや、そればかりか、センターを軸に侵されないかと思われたステージもまた、やがては中心線を踏み越えられるようになり、神々や怪物はわちゃわちゃとドタバタ劇のようにあちこちを行き来し、ついには神話的世界さえも乗り越えて「在宅」「観覧逃げ」などといったアイドルのジャーゴンが神々のエピソードと響き合うようにすらなります。「富士山神話 LINK MIX」においては物理的な事象のみならず、舞台空間に現象する世界の一切がミキシングの対象になっているのです。あるいは、制作することの基底部に存在する「ミキシング」が、「富士山神話 LINK MIX」の方法意識のもと、あらためて浮かび上がってくるといったほうがいいかもしれません。 

ミキシングという行為が基底となった世界において、そもそもミキシングとはなにか、ということもパンフレットにしっかりと書かれております。「一般的な音楽用語」としての「MIX」の解説に拠れば「一般的な音響装置で音楽を聴くために、複数の音声を混ぜ合わせること」(下線筆者)とあります。ごく穏当な解説です。だが、すこしの飛躍を許すならば、混ぜることで生成する世界について…そう「富士山神話 LINK MIX」あるいは日本神話においての物語の起点を思い出さずにはいられません。すなわちイザナギ/イザナミによる天沼矛を使った「天地創造」のエピソード。神々が未成のどろどろとした油のような世界をかき混ぜて天と地が誕生したことについてです。このようにして3776的世界において「天地創造」と「MIX」することは重なり合います。ある世界は、混ぜ合わせることによって発する。ですから「富士山神話 LINK MIX」の理路に則るなら、こう言えるはずです。「世界とはMIXだ」。そして、常に富士山とアイドルとを重ね合わせ続けてきた3776なら、もう一つこう加えることはできないでしょうか。アイドルもまたMIXだと。

アイドルは、我々が知るように様々な文化のMIXです。どれか単一のジャンルのプロフェショナルであることを肯んじず、常にミキシングの具合でしかない。音楽も演劇もアートもバラエティも飲み込んでしまう、それがアイドルです。ここで最後の問いが生まれることでしょう。アイドルをMIXする神とは誰か。が、答えは予め用意されているのです。再びパンフレットに舞い戻ります。出演者と彼女たちが演じる神々の紹介がなされるページ、「天照大神」紹介欄下部。

この「祭り」の主役は、芸能の女神であり日本最古の踊り子、天宇受売命(アメノウズメ)だが、この大芝居を企画した総合プロデューサーの思金神(オモイカネ)の存在も忘れてはならないだろう

 我々が想像するように、アイドルをMIXする神とは、プロデューサーに他なりません。そして同時に忘れてはならないのが、プロデューサーが「神」であるとするなら絶対的存在としての「神」ではなく、アイドルもまた同等に「神」である多神教の世界で、です。アイドルとプロデューサーは相互に世界を作っていくわけですが、その世界には、もうひとつの要素が入るはずでしよう。つまり、観客=オタクです。
そしてアイドルの世界において、音響的操作よりも、はるかに前景化しているもうひとつの「MIX」があることを、あの意味不明な言葉を喚き散らす、理解不能なまでに様々なヴァージョンをもった「MIX」があるじゃないかと、誰しもが連想せずにはいられない。フロアの我々もまた、期せずして制作の一端を担う可能性が、常に開かれているはずです。もちろん狭義の「MIX」を入れずとも、アイドルという文化的MIXに与する限り、可能性は常に。だがもちろん、こんなことは私が言うまでもなく、やはりまたパンフレットに書かれていることでもあります。「LINK MIXとLINKモード」を解説する項には、こうあります。

ステージAとB間は自由に行き来できるので、観客は自分の好きなように音楽を「MIX」できる。観客一人一人は言わばDJミキサーのクロスフェーダーのようになり、どちらをいつどのバランスで聴くのか全て観客に委ねられる。

 

–––LINKモード基本概念

「LINK MIX」では自分でミックスを楽しむ自由はないが、どんなミックスを聴かせてくれるのだろう?という別の楽しみ方はできる。DJプレイを楽しむように。

 

–––LINK MIX

厳密で多義的な3776の世界を分け入れば、私たちにはあらゆる形での自由が保証されていることに気づきます。アイドルと、プロデューサーと、オタクが作り上げる「MIX=世界」。3776が、圧倒的に異様でありながらアイドルの正道を歩んでいるとしか思えないのは、こうしたアイドルを介した観客の自由のあり方を、執拗なまでに見せ、創出しようとしてくれるからだと、何度でも受け止め続けることになるからなのです。

ホームページ更新

www.keisukeyuki.com

 

ホームページをリニューアルしました。これからもご愛顧くださいの一言につきます。

 

 

こうした作業も片付きつつあり、閑散期のゆったりモードも手伝って、映画を観たり本を読んだりするリズムが帰ってきました。しばらくぶりにレンタルショップでまとめてDVDを借りてきて、見落としていた新作群を何本か観るなか、際立っていたのはしかし旧作。1956年公開のバット・ベティカー『七人の無頼漢』です。80分に満たない西部劇ですが、各シークエンスの圧縮された演出は、ついに決闘のシーンで"主人公が銃を抜くさまを見せない"という大胆な省略に結実します。それだけではなく、岩の間を這いながら敵と撃ち合う場面や、雨のなか馬車の車体の下で眠る身振りなど、特異なアクションも眼を引かれます。無駄のない進行のうちに、平準化されない身体の動きが画面を魅力的にします。また、反復的に現れるコーヒーを飲むシーンなども、全体の流れのうちにリズムを刻んで妙に忘れがたいのです。

 

などと話し始めれば例によってキリがありません。
ひとまず今日はここまで。

活動予定 2020

 一般公開の活動予定です。詳細はリンクよりご確認ください。

予定は急遽変更・中止になることもございますので、ご了承ください。

 

ご依頼・お問い合わせはkeisukeyuki87@gmail.comまで

【11月】

28日(土) 江東会いフェス・サテライト ※空転軌道

 

【10月】

29日(金) 空転劇場 vol.27 ※空転軌道 ※オンライン公演

 

【9月】

 ※空転軌道にて非公開イベント出演

 

【8月】

 15日(土) こじゅうろうキッズランド 11:00〜 13:30〜 16:00〜 

 

【4月】

4/1(水)

代々木公園  噴水池前 13:00~15:00 

4/3(金)

代々木公園  噴水池前 13:00~15:00 

4/4(土)

渋谷キャスト ガーデン 12:00~14:00

4/5(日)

渋谷キャスト ガーデン 14:00~16:00 

4/8(水) 

上野恩賜公園 パークサイドカフェ側 14:00~16:00

4/11(土)

上野恩賜公園 パークサイドカフェ側 11:00~13:00 

4/12(日) 

代々木公園  原宿門 11:00~13:00

4/18(土)

上野恩賜公園 下町風俗資料館前 13:00~15:00 

4/19(日)

飯田橋セントラルプラザ みやこ橋 14:00~16:00

4/25(土)

赤塚公園 競技場前 12:00~15:00

4/26(日)

赤塚公園 競技場前 12:00~15:00 

4/29(水)

代々木公園  原宿門 12:00~14:00 

【3月】

3/1(日)

上野恩賜公園 蛙噴水 11:00~12:00
代々木公園 原宿門 14:00~16:00

3/7(土)

上野恩賜公園 すり鉢山 14:00~16:00 

3/8(日)

代々木公園  原宿門 13:00~15:00 

3/14(土)

渋谷キャスト ガーデン 14:00~16:00 

3/15(日)

代々木公園 原宿門 12:00~14:00 

3/16(月)

上野恩賜公園 スターバックス側 12:00~14:00 

3/20(金)

隅田川テラス吾妻橋 13:00~15:00

3/21(土)

赤塚公園 競技場前 12:00~13:00,14:00~15:00

3/22(日)

赤塚公園 競技場前 12:00~13:00,14:00~15:00

3/24(火)

上野恩賜公園 パークサイドカフェ側 13:00~15:00 

3/25(水)

渋谷キャスト ガーデン 13:00~14:00 
渋谷キャスト 大階段 15:00~16:00 

3/26(木)

代々木公園 噴水池前 12:00~14:00 

3/28(土)

代々木公園 噴水池前 12:00~14:00 

3/29(日)

代々木公園 原宿門 13:00~15:00 

3/31(火)

光が丘公園 けやき広場 12:00~14:00 

 

【2月】

1日(土) 西武池袋本店 睡蓮の池前 13:00~15:00

2日(日) 上野恩賜公園 五條天神前 14:00~16:00

8日(土) 光が丘公園 けやき広場 12:00~13:00,15:00~16:00

11日(祝火) 西武池袋本店 睡蓮の池前 13:00~15:00

15日(土)光が丘公園 けやき広場 13:00~15:00

23日(日) 代々木公園 原宿門 11:00~13:00

24日(祝月) 光が丘公園 けやき広場 13:00~14:00,15:00~16:00

26日(水) 上野恩賜公園 五條天神前 13:00~15:00

28日(金) 上野恩賜公園 すり鉢山 14:00~16:00

 

【1月】 

2日(祝木) 亀戸2020 スポーツ灯籠ライトアップ&お正月大道芸

4日(土) 光が丘公園 けやき広場 13:00~15:00

10日(金) 上野恩賜公園 五條天神前 13:00~15:00

12日(日) 代々木公園 原宿門 12:00~14:00

13日(祝月) ヘブンアーティスト in 渋谷 ※空転軌道

18日(土) 上野恩賜公園 蛙噴水前 11:00~13:00

19日(日) 代々木公園 原宿門 12:00~14:00

25日(土) 新宿子ども劇場「音と空間のジャグリング」※空転軌道

26日(日) 代々木公園 原宿門 12:00~14:00

20191201 第2回 せんだいキッズジャグリングフェスティバルがおわりまして ※12/7写真追加


『第2回 せんだいキッズジャグリングフェスティバル』がおわりました!

 

昨年に続いて2回目、しかし後ろ盾のない完全な自主企画としての2回目は、想像以上に困難であったものの、どうにかやり通すことができました。

 

裏話を話しだしたら際限のないことなので、まずは将監けやきっこ放課後教室の職員、父兄の方々、なにより子供たちに助けられました。そもそも、今年は子供たち自身に継続の意思を確認しての出発でした。私の転居、事業予算など、本当に出来るのか最初はかなり不安がありました。くわえて、新しい挑戦に対する練習期間の短さ...これが可能だったのも彼ら彼女らが「やる」と口にしたからこそです。美化しても仕方ないので正直に言いますが、けっして常に勤勉な練習態度だったとは言えない(笑)ものの、ジャグリングの技術力だけでなく、意図するものの理解力に、飛躍的な成長を見せてくれたのでした。本番後の、出来への少し不満げな顔にも、それを感じ取ります。

 

ひとつレファレンスを。三部構成になっていた子供たちの発表の第一部では・・・・・・・・・「サイン」のPD版インストの一部を使用しました。四つ打ちに合わせてディアボロをトスし、シンプルながら様々なかたち・リズムを刻むというだしもの。こうしたパフォーマンスを子供に行ってもらうとき、ともすれば軍隊式のキビキビと規範的にすぎる身体運動がむしろいやらしくあるのですが、楽曲の快楽的で爽やかなサウンドが、それらを避けることに大きく作用したと思っています。ちなみに、ひとりは気に入って家で繰り返し聴いていたようです。都市の幽霊よ永遠に飛び交い続けろと言った塩梅に、世代も場所も超えたささやかな誤配を促した次第です。

 

dots.tokyo

 

 

ゲストの山村佑理さんは、2013,2014年のホゴノエキスポ以来。浅からぬご縁を頼りにまたお力添えどころかイベントの背骨を通してくれた、というほどにご活躍いただきました。WSは参加せず近くで見ていた方々にすらご好評いただいておりました。彼のジャグリングがまたこうして近くで見られること、それを多くの方と分かち合う場ができたことを嬉しく思っています。それにしても、フロアで遊んでたクラブがめっちゃうまかったな。

 

 

個人的に、今年は悔しい思いをする物事が少なからずあり、このフェスティバルにしても反省事はつきませんが、2年続けられてよかったなと思うばかりです。そして各所へ直にチラシを配り話してくれたホゴノプロフィス代表の本郷、そしてタゴマル企画で一緒に動いてくれているぼたもち堂くんがいなくては、まったく成立しません。さらに、子供たちに「手本」となる動画撮影を行ってくれた石橋くん、翔くん、谷くん、水戸さん、当日のWS講師を請け負ってくれた長瀬さん、竹林さん、協賛していただいたジャグリングショップナランハ、RADFACTOR各位のご厚意に改めて感謝致します。

 

また来年お会いしましょう!

 

 

 



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そう、来年もやるぞ! きっと!!

 

 

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撮影:本郷仁一
 

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま終わればそれらしいのですが、つとめてそれらしくしたくないし、昨日の晩にへとへとなまま聴いたこちらについてだけ。

 

 

www.bureaukikuchishop.net

 

なんということか!酒も入りくわえて夜行明けの疲れたはずの体が、2時半まで繰り返し聴いてしまうほどの素晴らしさ。拝み倒したいほど愛すべきアルバムであり、また、こんな作品が作られてしまっていることに、身を焦がすほどの嫉妬の炎に苛まれる。今年ベストどころか、生涯のフェイヴァリット・アルバムになりかねません。音楽なんて皆さんが考えるよりずーっと簡単じゃないっスカ〜と嘯くODさんの言葉には、ありふれた物言いを超えた爽快さすら感じます。いや〜ちょっとこれはすごいじゃないっスカ!!

 

20191108 『青野文昭 ものの, ねむり, 越路山, こえ』

仙台滞在中の時間を使って『青野文昭 ものの, ねむり, 越路山, こえ』をせんだいメディアテークで観てきました。

 

www.smt.jp

 

結論的に言うと、近年こんなに感動させられた展覧会もなく、あわや落涙せんばかりのインパクトです。現代美術に昏い私でも、あるいはまたそんな者にこそ訴えかける展覧会かもしれません。

 

青野文昭さんは「修復」をモチーフに作品を制作する作家です。打ち捨てられていたモノをなおし、また拡大解釈的に延長してしまう、そこはかとなくユーモラスでもある作品群が特徴です。

 

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写真はすべて11/6の展覧会にて撮影

 

こうした作品の主題は現在まで一貫しつつも、3.11後を大きな境目として、修復される器物に人型が浮かび上がるようになったといいます。*1

 

今回の作品群でも、場内でひときわ目につくのは、箪笥や車が融解するように接合するオブジェと、そこに浮かび上がる人の姿や衣服たちです。

 

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こうした「人」の影はどこか幽霊めいており、一方で器物たちも互いを補い合いながら勝手に動き出しそうな、付喪神よろしく妖怪のような雰囲気を醸しています。よく見れば車は地を離れ、樹木は中空から根を伸ばし、私たちとは重力圏を別にした、この世ならぬどこかで浮遊しているような、奇妙な感覚を与えます。
しかしながら、それらが不気味でなく、むしろ笑ってしまうような間抜けさを大いにはらんでいるのが、心地よくあります。(上の写真の首輪に繋がれた犬=碁盤!)

 

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今回の展覧会では写真撮影がOKとのことで、こうしてiPhoneでパシャパシャ撮っていたりしたのですが、どうにもしっくりきませんでした。
というのも、会場にある作品群は、大きいもので車や船、あるいは箪笥といった人体と同等かそれ以上のスケールをもったオブジェですから、実は写真で捉えるようなフレーミングとはまったく違った形でのフレームが与えられます。
たとえばすぐ上の写真の場所で私は、開かれた引き出しに入っている一葉の白黒写真–––結婚式の写真–––に目を引かれ、やがて右手の箪笥に直接穿たれた穴が目になるへのへのもへじ、さらに祭り半纏を纏ったのっぺらぼうへと、段階的に、徐々にカメラが引くようにしてフレームが生起したのでした。

 

多段階のフレーミングは、会場を回遊している間、様々な水準で生じます。ひとつところに目を奪われて注視しようとすると、足元に人の足(!)が生えていたり、それに促されて視線を上げると実際の自転車の前輪があり、導かれるように運転手の方へ目をやると、消え入りそうな輪郭線が箪笥の地と融解し、全体を眺めようとすれば、さっき歩いてきたエリアにある遠景のオブジェ群が、また違ったスケールを与えたり...こうした運動は、ほとんど無限に思われるリズムで観客の身体を異なる世界へ攫っていきます。更には、そうした即物的な運動感だけでなく、顔のない(目鼻が描かれていない/頭部がない)人々という匿名的な「人」と、先ほどのような写真を介しての記名的な「人」とが混在することで、実在・想像の境界を乱してしまうことにも気付かされます。

 

 

展覧会の白眉とも言える八木山にちなんだエリアでは、青野さん自身の経験と記憶を参照しつつ、古代から3.11以降の時間までを、恐ろしい密度で圧縮します。動物園のトイレで出くわした少女や金魚の死、動物たち、脱走した動物たち、青野さんの部屋、そして部屋にあった怪獣の人形、祖先、鯨、蛇、蛇取りのおじさん、ダイダラボッチ...こうして書き並べると、たとえばコーネルのような私秘的でミクロコスモス的なオブジェを想起しかねませんが、先程言ったような身体と同等・それ以上の物量は、強く見るものを巻き込んで数千万年のタイムスケールに誘うのです。また、このエリアを構成する、やはり箪笥たちが、生活に根ざした器物であるのも、純化しきれない、言いしれないものを与えていることでしょう。更に付け加えるなら、青野さん自身の記憶を参照しつつも、青野さんがイメージを統合する主体ではなく、あくまでも八木山という霊的な磁場に絡め取られるひとつのファクターでしかない、という手触りを、決して忘れてはいけない気がしています。

 

そしてこのエリアを抜けた最後に現れる光景に、思わず胸を打たれてしまったのですが、こればかりはぜひ実際にご覧いただきたいものです。

 

  

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それにしても、この会場には犬たち(をはじめとする動物たち)が沢山いて、最後の最後まで犬が傍らにいます。私が大の犬好きだということを差し引いても、魑魅魍魎や幽霊たちが跋扈する会場にひときわの温かみを与えてくれているのが彼らでしょう。記憶と歴史の片隅で、名もなき人/モノたちを慰撫するようにして、ただ存在してくれた獣たちの魂の慰霊の場としても、少し特別な感情を呼び起こされたかもしれません。

*1:書本&cafe magellan店主高熊さんとの会話より