あるばとろすvol.1 の余白に

 
上のツイートに始まるポストは、読んでの通り、ドッツさんの被災地訪問記とそのご感想です。
7年の時間ともなると、土地に住んでいる我々すら、そのインパクトを忘れかけているものです。

ファンの方のツイートでもお見かけしましたが、被災地には津波の高さを示すボードが設えられている場所があります。会場のあった塩竈市津波が押し寄せ、お亡くなりになられた方も当然いますし、商店街は復興のため、現在すっかり更地になっています。長きに渡って店を構えていた私の近い親類の店も、すっかりなくなりました。7年経って、天災の痕跡をとどめた土地が更新されようとしている、狭間のタイミングです。


今回、音響のオペレーションを担当してくれたひとり、えれぞうさんは震災当時、津波の押し寄せる多賀城のビルの屋上で一夜を過ごし、その8日後には慰問団体「仙台てっぱ会」を結成し、私とぽれぽれさんもそこに参加して、最初の一年で数十回の公演を各避難所などで行ったことは、過去の記事でも何度か書いておきました。


『あるばとろすvol.1』は、震災とは直接的には無関係ですが、震災という出来事の余波の一つです。そして、狭義に捉えても、今回のライヴは"被災地"での公演でもありましたし、お客さまがわざわざ足を運んで、その周辺で消費活動が行われたならば、"復興支援"であり、そもそも意識に上っていなくとも、"被災地訪問"だったのです。
だから、"善行"を施したのだ、と言いたいわけではなく、むしろ当事者、あるいは準当事者である私も、そのことを思い出しはしなかったということを、ドッツさんのツイートを介して、気づいた次第です。



これは先見の明を誇りたいわけでも何でもなく、少なからず被災地支援に関わった人間なら当時から誰しも予想していたことですが、「復興」の支援は長期戦の、ひどく"地味"なものになるだろうと思っていましたし、事実、現在は高齢者支援や、そもそも「復興」すべき具体的なヴィジョンのない街の再開発など、およそ多くの地方自治体が抱えているであろう問題に直面しており、大文字の「震災」の特有性は後景に遠のきつつあるのではないでしょうか。
「震災」とは何か、と問うたとき、視点を半身ずらしただけであまりにも多様な事実が重なり合い、一点への収束を拒んだまま、「「震災」とは何だったのか」とテーマが過去形にスライドしつつある今、いったい何に向き合い何を解決すれば「震災」の実態が分かったことになるのか、誰も知りません。今後も、決定的な答えは、おそらく出ないことでしょう。


しかし、誰かが、「震災」を思い出そうとしたり、知ろうとする力が働いたとき、私達もそれに並走して、確かに「震災」について何かを思い出したり、確認しようとするものでしょう。
私は、何度か訪ねた仮設住宅で、胸からぶら下げたご家族の写真を笑顔で説明して、パフォーマンスの場に同席させているんだと、会うたびにほとんど同じように説明を繰り返すご年配の男性のことを、おそらくは死ぬまで、こうして時たま思い出してしまうことでしょうし、ほとんど無限に思われるほど現れる、誰かがあの日亡くなってしまったことについての語りから、その光景を思い浮かべようとしてしまうことを止められないでしょう。そして、私自身も被った、想像もできないほどに非ドラマティックな震災の影響を、どのようにも消化できないまま、生活していくしかありません。



アイドルと震災、と結び付けられる何かが仮にあるとして、私が忘れられないのは、AKB48です。震災当時から月に一度、様々な被災地を訪ね、トレーラーステージで行われたパフォーマンスと住民との交流は、ドキュメンタリー映画でも見ることができます。
その映画で、現在もメンバーである峯岸みなみさんが、トレーラーステージの下にやってきた小さな女の子から花を受け取るシーンがあります。峯岸さんは、可能な限りステージに這いつくばって手を伸ばし、女の子から花を受け取るのですが、後日それを大きな後悔をもって、「どうしてステージの下に降りて受け取らなかったのか」と涙を流して語るのです。
私は、大げさに言って、この後悔が、アイドル、というより舞台に立つ者にとってのすべてだと、今でも思っているフシがあります。そのときその瞬間、どのようにして我々は正しく応答するのか。峯岸さんの後悔は、この"正しさ"を巡る後悔であります。

 


もしドッツさんが、ライヴを終え、そのまま帰路についても、誰もなんの違和感もなかったことでしょうし、かつて仙台を訪れて、「被災地」へ行かなかったアイドルさんにも、何一つ非はありません。しかし、「アイドル」という存在について誰よりも自覚的なドッツさんが、はっきりと「被災地」へ訪れたという出来事が、とても大事なことのように思わされました。そして、昨年に、はっきりと自覚的に被災地へ訪れたアイドルさんに3776さんがいたことも、なにか縁を超えた繋がりを感じてもしまいます。




勢いのまま書いているため、整理しづらく、何を言いたいのかはっきりしない記事になっているうえ、状況の変化と私自身が狭義の被災地支援から遠ざかっていることからも、どうしようかと迷いましたが、これもメモとして書いておこうと思いました。
しかしこれが、決して重い話というだけではなく、「私たちに何ができるのか」という無力感に苛まれるような問への、ささやかな希望につながる話だと思ってしまうのは、楽観的に過ぎるのでしょうか。