20190209 べらべら喋り続けた日の終りに

とんでもなく寒い日でしたが、大道芸でした。雪が降る中お客さんが立ち止まってくれるのは、ことによると仙台くらいなのではという話もある。同じく雪の東京の大道芸は中止する流れだったよう。まあ、積雪があればこちらとて中止だから比較にはならないが。

 

これは、恥を忍んでの話だけども、落語を見始めてからというもの、喋るのが楽しくなってしまい、今日だって雪が強く降って人もいない、いかにも"無理"な時間も飛び出していって、虚空に向かってぺらぺら面白くない話を喋ってみるようになった。
サマにも形にもならないのは当然とはいえ、いつの間にか、誰も聞いてなくとも一人で喋り続けられるくらいのスキルというのかメンタルというのか、そういうのが備わってきたことを改めて確認。大道芸をやっているとはいえ、私は本当に喋りがヘタなのだが、皆さん、これは結構むずかしいことなんですよ。できるようになると、わりと嬉しい。

 

それにしても今日は、タゴマル企画のメンバーである認くんも一緒だったので、ずっとべらべら喋っていた。最近見た映画の話やら食べ物の話やら、打ち合わせまで、バカみたいに話している。確か石川淳の奥さんの回想だったか、小林秀雄が家に来ると、二人でただただ黙って酒を飲んでる、みたいな、まあ無口あるあるでしょうけど、そういう話があって、それがちょっと自分には信じがたい。仲がよいというのは、会話が続くということで、会話は続かないけど仲はいい、みたいな友人は、ちょっとすぐには思い当たらない。単に好きな人はいますけど、距離感は遠い。

 

 

ところで、企画についてなんだけど、今は場所の開拓みたいな、それの準備段階みたいな状態で、あんまり大したことは言えないんですけど、自分のパフォーマンスが思ったような形で見てもらえる環境を整えることを企画化しようとしています。去年のタゴマルでの企画も、そうした流れにはあるんだけど、やはり「お仕事」にはなりづらいので、しっかり対価を得られるベースを作ろう、となりました。
「ジャグリング」をパフォーマンスとしてみることは、当然一枚岩ではなく、技巧が生み出す瞬間的な驚きの効果に終始するのではなく、道具の軌跡やリズム、それに快を感じる側面もありますよと。いわばジャグリングを見ることによって、他のものでは「押されたことのないツボ」が押される、その感触も楽しんでもらいたい。そんなパフォーマンスをもう少し広く楽しんでいただくべく、今年は動いています。

 

自分の中では、もうずーーっと当たり前のことになっていても、普通に生きていてジャグリングの多面的な面白さにふれる機会は、そうそうないでしょうし、間口を広げるタイミングが来たなと思っております。ただ、やたらに露出を増やすのではなく、むしろ限定的な環境で、ある種ひそやかに行われる形で試してみたい...まあまあ、我々の中でもう少し流れが見えてきたら、突っ込んで話をします。なんか、ほとんど敵視していた「わかりやすい」ということが、どういうことなのか掴めてきた近頃。「わかりやすい」ことを、少しずつやっていきます。