20190303 ゼアゼアのおわりの日

終わっちゃった。ゼアゼア。2019年2月28日木曜日。雨。

 

There There Theres」の表記から全て大文字の「THERE THERE THERES」へ。ここではない、遠い彼方をイメージさせられるそのネーミング。ゼアーゼアーゼアーズ。黒い羽とセーラー服。そのセーラー服も、大胆にリメイクされた。それらは一旦、あるいは永遠に終わった。我々の中に生き残るが、このグループが活動することは当面、もしくは一生無い。「解散」してしまった。

 

この事実について、わたし自身はどういう感情なのか、やっぱりちょっと定まらない。解散がアナウンスされた段階では、あてのない悔しさに支配されていたけど、今は続きが気になっている方が強い、かもしれない。「THERE THERE THERES」が「解散」したという端的な事実に対して、それを入れるちょうどいい塩梅の箱が見当たらない、という感じ。ただそれは、間違いなく目の前にある。

 

ラストライヴがどうだったか。それは素晴らしかった。と思う。ステージのパフォーマンスもフロアのレスポンスも、最後だから、という弾け方ではない、いわば"いつも通り"のライヴだった。

 

 

 

 

でかい荷物を宿に預けて、夏にも来た恵比寿リキッドルームへ向かう。雨だし、何より開場してしまってるから、早足で。夏に入った、歩道橋の下のスペイン料理店の前に15人くらいオタクが溜まってる。18:10頃。

リキッドルームは、中に入るとすぐ階段で、それを一度を登って、フロアに入るために、またすぐ別の階段を降りる。チケットを見せてドリンク代を払うと、次は知り合いにサイリウムを渡された。そして、見にきてるアイドルとすれ違ったりして、あーこの人も来てくれたのか、なんてどの立場なんだか分からない感慨にふけったり、久しぶりに話せたオタクと他愛もない話をする。時間が来て、ゆるめるモ!のパフォーマンスが始まる。

 

私としては本当に異例なことだけど、出なければならない電話がかかってきてしまったので、中座した。いい位置で見てたんだけれども、入り直したら最後方で柱の見切れのなかステージを見る。モ!はあまり詳しくないので、知ってる曲もあれば、初めて聞く曲もある。友人は、あのちゃんのダイブで顔を蹴られたらしい。

 

出演しているグループに、こんなことを言うのは全く不躾で酷いことなんだが、最初2マンが発表されたとき、ワンマンじゃないのか、と思ってしまった。なんで最後なのに誰かとやるのか、理解できなかった。好き嫌いじゃなく。最後に、多くの予想通り「さよならばかちゃん」が歌われる。

 

転換。ゼェアー!ゼェアー!と、コールが野太い声で繰り返されて笑ってしまう。私は、このフロアが本当に好き。夏のワンマンと同じ、「IKENIE」に続く出囃子が流れる。太い低音。幕が左右に開く。上手からメンバーが躍りだす。私だったら、もうちょっと間を与えて、幕が開いたらもうメンバーが踊ってる、というやつをやるだろうなと余計なことを考える。余計なことを考えるライヴは、往々にしていいライヴである。ただ、そのあとはあまり考えごとはしなかった。だからといって悪いライヴではない。いいライヴだった。

 

ベルハーの曲をやるのもゼアゼアだから、躊躇いなくい言うけれども、涙が出たのは「タナトスとマスカレード」と、そしてやはり「asthma」だった。「タナトス」は何度見ても泣かされてしまう。ベルハー/ゼアゼアの、ある部分が結晶している、本当に素晴らしいナンバー。文字通り轟音に撃たれるように膝と腰を屈して崩れる、あるいは逆に轟音を浴びるように、両腕を伸ばしながら胸を逸らして仰け反り首を回す、あの振付。そして「asthma」の、バカでかいトラックの音にかき消されるようにして、しかしどこまでも溌剌と歌っている声。アスマは、あの音の壁に潰されるギリギリで聞こえてくる歌のメロディを受け取ることが、アスマ体験なのだ。一方で、ゼアゼアは最後に、「Sunrise=Sunset」という、あまりにもはっきりと届けられる歌声のアンセムを作った。いや、これも泣いてる。

 

セトリ。

https://twitter.com/rubysoho67maas/status/1101109416949014528?s=21

 

最後はゆるめるモ!とのコラボ。始まる前に、チラホラとフロアを抜ける人が見える。自分は残るけど、その気持ちは何となくわかる、気がする。「なつ おん ぶるー」「夏のアッチェレランド」。写真を撮って、ステージから全員がハケる。オタクの法螺貝が吹かれる。

 

客電がつく。出口の上手方向に客が一斉に動く。ぐしゃぐしゃに泣いてる人もいるが、少ない。ホールは仕切りがいないので、外に出る人・ドリンクを交換する人・フラワースタンドの写真を撮る人・モ!の物販列に並ぶ人・フードのカレーを買う人・それを食べる人・何となくいる人・ゼアゼアの物販を待つ人、などで動線崩壊。

 

なんとか外に出たら、知り合いがタバコをふかしていたので、こんなライヴというのに、お互いバカのような軽口を叩いて笑った。またどこかの現場で、と別れてiPhoneを開くと、22:15だった。

 

 

 

なんで2マンだったのか、なにか事情はあったのかもしれないが、結果的に良かったと思っている。あまりにも納得しがたい最後を、しかと最後にするため、つまり、その終わりは"みんなのもの"であるとするために、オタクだけではなく、同じアイドルからも、見届けられること。実は、これより幸福な最後は考えられないのではないか。ゼアゼアが素晴らしいのだとしたら、オタクにとってだけではなく、アイドルにとってもそうだったに違いない。ステージとフロアの縦の関係だけではなく、ステージの袖で次の出番を待つ同じアイドル同士の横の関係においても、その交点に位置するゼアゼアがいなくなってしまうことは、大きい出来事のはずだ。であれば、同じステージに他のアイドルがいることは、自然なことだったかもしれない。

 

 

生まれたときから予め彼方にあったゼアゼアたち、と頭によぎって、これを終わりにしてもいいけれど、また、こんな風に綺麗に終わりたくないと思ってしまった。結論があってもなくても、手の届かないところで終わってしまった。さよなら、と言っても、まだ次があるから、さよならではない。でもやはり、さよならなのだ。

 

 

今日と明日、メンバーそれぞれの新しい活動が発表される。

 

https://twitter.com/koji210/status/1101906927762595841?s=21