20190613 NILKLY初見からの雑感

うーーーーん、なんて書き出そうか迷ってしまう。

 

つい数日前に書いていた「NILKLY」を見てきました。が、なんと言うべきかまとまらない感じでして...かといって黙っていたいのでもない。まあまあ、思いつきで進みます。

 

 

まず、映像で見ていたときのように、ベルハー/ゼアゼアとここまで印象の近似がないものかと、改めて言われなければ驚くこともないほど自然に「NILKLY」を見ていました。なので、実際見たら羽があることにも、特段に感慨があるわけでもなく、なんかついてんなあと思ったほどです。しかし無くせばいいとも、無くてもいいとも思っていません。逆に言うと、自分の中で何かしらベルハー/ゼアゼアを継ぐグループ、という前提がどこかしらにあり、それが実際はあまりに違っているので、ちょっとチューニングが合っておらず、うまく言い難い感覚になっているのかもしれません。一旦、そういうことにします。

 

ステージは、三者三様のあり方の違いが目に留まります。平澤さんは、ハードに踊りながらも隙を狙ってフロアを見渡しては観客と視線を合わせていましたし、伊吹さんは細かな表情や仕草に気を配りつつダンスをコントロールしている印象で、小林さんはそうしたフロア/自己へのモニタリングをすっ飛ばした没入感の高いパフォーマンス。

そしてダンス。YUKOさんに顕著だったポーズやフォーメーションの静的な視覚性ではなく、明確にダンスの動的な時間が主題化している...いわば非常に"ダンス"然とした振付は、振りコピ的な同期を外しにかかります。銃をコッキングし、撃ち撃たれる動きが特徴的な「Odyssey」のシーンにしても、同期に誘われるより早く、彼女たちは舞台に倒れ込みます。何を撃ち、何に撃たれるのか考える間もない。鋭く、また誘惑的なアクションだけがステージを滑空していくかのようです。

 

これは完全に趣味っつうか"泣きどころ"のようなものだと理解していただいた上で、今日はやはり小林さんからほとんど目を離せませんでした。均等に見るポイントを配分しようと心がけていたのに、気づけば小林さんを追ってしまう...それはやはり、私が"非モニタリング型"とでも言うべきタイプのパフォーマーに弱いからで...私の中では完全にSU-METAL – 矢川葵 – 小林潤という系譜ができあがってしまいました。具体的な対象に送られるわけではないが、内的な情念や、未分のエネルギーが乗せられているような、それ故に貫くような強度を持ち、かつコミュニケーションや意味へと供されざる孤独の冷ややかさもあり、まあ私はそんな視線と出くわすためにアイドルを見ているようなところすらあります。

 

一方、頭部を遠慮なくガッと動かす小林さんのダンスの癖には、我々が視線を送る先の的をズラされる効果もあり、意図せずして小林さんを追尾してしまうようなことも起きているかもしれない。感情的に振り乱すのでなく、頭部の動きを起点に身体の微調整を行っているような、自分自身のパフォーマンスにムチを入れるかのような厳しさにも見えてしまう。小林さんにしても、個人的な系譜(もう「推しメンたち」とか言ったほうが早い)に属する方々についても、どこか背筋を正されるような、その厳しさにおいては、いっそ倫理的とでも言いたいパフォーマンスを行っている、と私には思えてなりません。
 

余談ながら、ここには「憑依的」という形容を避けたい思いもありまして、どうしたって一心不乱で狂気的なものはウケやすいですから、そのほうが話が通りやすいのでしょうが、メタ的にフロアや自分自身をモニタリングする自意識から遠のきつつ、完全に彼岸へは行ききらない、微妙な意識の表れ、もしくは自己との戦いがあるんじゃないのかと、ひとまず言っておきたいんです。これは今のところ、かなり半端にしか言えないことではありますが、ステージやパフォーマンスというものに、何物にも代えがたいピュアさがあるとすれば、それはこうした戦いの場でもあるからだ、とだけは断言します。

 

 

しかし、楽曲の幅の広さにも関わらず、ライヴを通してずっと感じていたのはひたすらに落ち着いてしまう居心地の良さで、これもまた不思議でした。最後の曲が流れたとき、頭からもう一回やってほしいなー、と感じたくらい。

 

 

いやーー、どうなるのかな、これから。 わかるのは、今後最も見たいアイドルグループが決まってしまったということだけです。