20190618 2度目のNILKLY、または振りコピのヲタク

ここ最近、仕事やら何やらが立て込んでいたこともあって、いわゆるアイドル現場から多少足が遠のいて、アイドル文化に距離ができていくのかと思った矢先。世の中にはNILKLYみたいなグループが出てきてしまうのだから困ったものです。いや、ぜんぜん困ってない。超楽しい。結局、自分にはまだまだこのシーンと表現が"必要"なのだなと再確認しました。

 

"必要"といっても、自分にとってなにが足りなくて、なにを補おうとするのかは判明ではなく、自然に体がそちらへ向かっていってしまう。これは単に流されやすいということかもしれないけど、それはともかく。

 

 

2回目のNILKLYは、1回目よりかなり印象の輪郭がはっきりしてきました。周りの感想を聞いても、今日はひときわ良かった、というものが多かったので、実際にメンバーのパフォーマンスが優れていたのはあったにせよ、むしろ自分自身の方で眼や耳が慣れてきたりして、スムーズに情報を選り分けることができてきた、という状態だと思っています。三者三様のステージングはそのままに、しかし三人をつなぐ基底部分のテンションやグルーヴ、つまり「NILKLYの空気」が観客と共有できている感じ...といいましょうか。グループとしてのまとまりをうまくキャッチできた気がしています。

 

それにしても小林さん。今回は意識せずではなく、かなり意識的にフォローしてみることにしていました。私が小林さんにフックされるのに、どういう原因があるのか、たいへん気になっていて、しかもそれは必ずしも私の情動的な部分"ではない"ところで起きているような予感があったのです。

 

特にアイドルを対象にするとき、決まった誰かに惹かれる場合、どこか自分自身の見えざる欲望の写し絵となっているのは、別に専門的な裏付けを要せずともうなずけることと思います。とはいえ外から見ると、具体的な人間関係のない誰かに入れあげてしまう精神構造など、かなり特殊なものに見えてしまうのかもしれませんが、むしろ話は逆で、およそ無関係な誰かであるからこそ、自分の好き勝手なイメージを投影したり、ふとしたきっかけで自分自身が気づかない欲望のトリガーになっていたりする。こうして書くとおどろおどろしいものに思えてしまうかもしれないが、アイドル文化には、それを形式化する様々な独自の文化...ライヴでのMIXと言われるコールに熱量を預けたり、SNS上でアイドルに向けて、またはヲタク同士でじゃれあってみたり(あまりにもパターンが多く、頻繁に見られる「アクリルキー」や「チェキ」を酒や食べ物に突っ込む、などという意味不明かつ、かなり品のない事象についてうまく説明できないうえ、本当に訳のわからない人がたくさんいすぎる)、無定形的な情念を落とし込む、固有のマナーのようなものがたくさんあります。逆にいえば、私みたいに原理的なものにこだわってるのは、かなり「めんどくさいヲタク」なのです。まあ私は私で、私なりの「ヲタ芸」をカマしていく他ないのですが...まあ、そんなことはどうでもいい。小林さんの話をします。

 

小林さんのパフォーマンスを見ていて誰しもが気づかざるを得ないのは、その視線の真っ直ぐさと強度です。これは前回も書いてみた「非モニタリング」的な視線、観客のコンディションや自分自身の陶酔感に向けられることのない、「単なる視線」とでもいうべきものです。意味はないが、どこかに送られる視線。そして意味がない(=その視線を見るものが意味を読み取れない)からこそ、我々を惹きつける。この無意味さは、とてつもなくドライです。意味に湿る隙がないから、「鬼気迫る視線」などというものですらない。そうした紋切り型のイメージに解釈を落とし込むのは、むしろ小林さんの視線の強度そのものに我々が耐えられず、とりあえずの意味を与えて落ち着きたいからかもしれません。しかし、単にその視線にロックされる、ただそれだけのことでしかない事実に身をおいてみます。あえて深入りしないこと。

 

こうした準備(?)を行ったうえで、私が今回試していたのは、意識的な同期です。要するに「振りコピ」というやつ。しかし、振りコピといっても、先日の記事で触れていた頭部の動きに始まる運動に限定したものです。*1小林さんが頭をバッと動かすとき、私も密かに(周りの邪魔にならない程度に)その動きをなぞってみる。小林さんの身体性がもたらしている動きだけをトレースしてみる。髪を払うように頭を振り上げる、振り下ろす。腰の回転から連動して、また逆に頭の振りからはずみをつけて重心を大きく動かして移動して...すると、なにが起きるか。そう...楽しいのです。うん、楽しい。

 

私はダンスについて完全な門外漢ですが、小林さんのダンスは、いわば大文字の「ダンス」的な技術論で追いかけても仕方のないものだと思います。テクニックやリズムの正確さは、いわばプロフェッショナルな領域で行われているものと、いくらかズレのあるものでしょう。そもそも、「ダンス」を知りたいのなら、わざわざ小林さんの動きをトレースしてみる必要はなく、ダンス教室にでも通ったほうが絶対早い。私が見たい/身体でなぞってみたいのは、さらに広義のダンス、共有可能なマナーではなく、ごくパーソナルな固有の「癖」。私にとって、小林さんのパフォーマンスには、その動きをトレースしたいと思うような、真似てみたいような誘惑があります。そこに意味はない。ライヴ空間でリアルタイムに身体のテンションを調整し、楽曲とその振付というフレームの中で最も強く、快楽的に力を出そうとすること...私が現時点で感じている小林さんの魅力と関心は、こんなところではないでしょうか。

 

 

...また一足飛びに飛躍を許してもらうならば、小林さんは今の私にとって、その動きをなぞろうとする限りにおいて、憧れの対象なのかもしれません。めっちゃカッコいいし、ワクワクさせてくれる。それはアイドルであり...人によってはカート・コバーンでありオードリー・ヘップバーンでありヤング・サグでありリオネル・メッシであり高倉健でありビヨンセであるような、私とその存在の隔たりの故にこそ姿を重ね合わせてしまう、スターです。

 

 

 実は視線の話にしても、スターの話にしても、かねてよりもうちょっと掘り下げたいテーマでして。これは別に勉強することでしょう。ともかく、そんな個人的な関心をもバチバチに刺激してくれる人が現れた!という感じです。小林潤。今月に入って何回書いてるんだ、この名前を。でも最高!です。あくまでも今は小林さんにご執心なだけで、NILKLY自体も、またズバズバ好みを突いてくる楽曲といい、アレだ、また早くNILKLY見たい。

 

 

あ、あと固い話ばかりで逃げを打つのもあれなんで申し添えておきますが、ステージを降りたときの小林さんの魅力たるや、そちらもすばらしいです...ちょくちょくインスタライブなどやっていくようなので、見るといいと思うな...

 

 

よ〜し、俺も頑張るぞ〜!! 

*1:映画監督の三宅唱さんによる映画の見方についてのアイディアの借用でもある。