20190915 「asthma」について、だけ

Odyssey - Single

Odyssey - Single

  • NILKLY
  • J-Pop
  • ¥600

music.apple.com

 

今回は「asthma」の話しかしません。なぜか。「asthma」がどうしようもなくいい曲だからです。なぜどうしようもなくいい曲の話をするのか。どうしようもなくいい曲の話をすると気分がいいからです。

 

沿革を端的に。

 

「asthma」はBELLRING少女ハートが2015年に発表した、 空五倍子作詞・タニヤマヒロアキ作編曲による、アイドル史に刻まれた大大大名曲です。その評価の正当性については、多くのオタクたちが同意してくれることを信じて書いていますが、エヴィデンスはともかくとして、オタク語り的な文脈において、すなわち評価語彙のインフレとしてひとまず受け取ってください。特に意味はない。マジ卍、みたいなやつです。批評が書きたいわけじゃないから。

 

「asthma」を知らない人がいたら、お手元のデジタルデバイスで、Youtubeを開いて検索してみてください。おそらくこの動画が現れる。

 

youtu.be

 

歌の下手さは聞くに耐えないでしょうか。暴れまわる観客は見るに耐えないでしょうか。ひとまずどちらでもいい。少なくとも私は、初見で聞くに耐えないと思いました。それが何故こうして、暇つぶしとはいえ、ひとつの記事を書くに至ったのか。

 

 

「asthma」は録音時期の差によって、いくつかのバージョンを持ちますが、私が一番聴いたのはこちらです。

 

soundcloud.com

 

ここで何度か書いていますが、ベルハーは未体験なので、後追いで最も手に入りやすかった音源がこれ、というだけでした。このベスト盤では、ほかの曲を先に気に入って聴いていて、「asthma」としっかり出会うのはもう少しあとです。といっても、なにか決定的なイベントがあったわけではなく、何回か繰り返しているうちに、そして実際にライヴで聴くようになって、徐々に特別な曲になっていったのです。だが、少なくとも気にかかるファースト・ステップはあった。それは、メロディやフロアの盛り上がりではなく、歌詞です。すべてを引用してしまいたい誘惑に駆られますが、サビだけ抜き出します。


 

だから、ぼくらは命からがらで

すがるように出会うのさ

夜空の星は灼熱で溶ける

だから、ぼくらは喉もからからで

叫ぶように笑うのさ

さみしげな雲を振り払うために

 

 

そのとき青春が二人を捉えた––––とは、やはり私が最も好きな詩人にして小説家のマルセル・シュウォッブ「大地炎上」の一節ですが、この短編、あるいは散文詩と言っていい10ページ足らずの掌編は、世界の終わりに残されたふたりの少年少女が、終末の迫るその瞬間まで逃げ、最後に愛を交わす約束をだけして終わる、ただただ刹那的な美しさを結晶したような作品ですが、やはり「asthma」にもまた、というか、「asthma」を聴くとき、私はひとり「大地炎上」の美しさを重ねて透かすようにしてしまうことを避けられません。

 


ここで歌われている、とにかく高みへと目指す運動の切迫感は、ついに夜空の星々を溶かしてしまうような熱情であり、いささか「セカイ系」めいた短絡がなくもないのですけれども、自意識のもつれを解消するよりも、なにかもっと即物的な煌めきに着地します。驚くべき最後のセンテンス、すなわち

 

だから、ぼくらの喉はからからで

汗に濡れた君の頬が

果実のように輝いて好きさ

 

からからになるほど叫び走り続けたぼくらは、だから、となにかを言いかけて、ふと彼/彼女の横顔の汗に目を奪われます。ひたすら外へ、高みへと目指された運動が、息を整えるかのようにして、他者の身体への視線として留まること。いっそ闇雲な、あてのない気持ちや高ぶりが、他者への愛を自覚することで結ばれていること。なんとロマンティックなのでしょう。私は、これほど青春が持て余したエネルギーについて乱暴さを隠さない音楽を聞いたことがないし、これほど青春を美しいものとして表現した歌詞を、ほとんど知りません。繰り返しますが、これは批評でもなんでもない。ただただ、私がこの曲を愛してやまない、ということを熱のまま書いているに過ぎないのです。そうすることを許してくれる音楽だと思いこんでいる、という話です。

 

 

そんな特別さを纏った「asthma」は、ベルハーの崩壊後、後継グループのゼアゼアことTHERE THERE THERESに引き継がれましたが、ゼアゼアもまた今年2月末に解散。「asthma」は封印されたかに思われました、が、やはりゼアゼアの後継的グループNILKLYによって、この度リアレンジを施され、シングルリリースに収録されたのです。

 

 いやあ...よりによって「asthma」を再編曲して、ちょっと考えてもグループの現在の方向性と沿っているように思えないこの曲を、わざわざデビューシングルに入れるなんて...と考えていた私は、とにかく愚かでした。常に愚かであることを自認しつつも、「asthma Nil Version」はそんな自覚を大きく上回る愚かさだと教えてくれました。とにかく素晴らしかった。感動したと言っていい。


一応もう一回リンクを貼っておこうか。聴いてみよう、そして比べてみよう。わからない人は、それでいい。なぜなら私は説得したいわけでも、わかって欲しいわけでもない。ただただ、話を聞いてほしいだけだからだ。

 

Odyssey - Single

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オープニング、ストリングスが響いた瞬間、すべての疑念がすっ飛び、リアレンジャーにして作曲者のタニヤマさんが、そして作詞者にしてディレクターの空五倍子=田中さんが、いかにして「asthma」を届け直すか、結論として「asthma」が持っている輝かしさを失わせないままに届け直すことを選択した、作家的判断の総合が、もうバチバチに、ほとんど電波的な勢いを持って侵入してきてしまい、うっかりして泣いてしまうほどです。原バージョンのティンパニのようなパーカッションがダラララと鳴り響き、加わるピアノが速さを増していくイントロは、どこか重力や重み自体から解き放たれようとして駆け出していく力強さを感じさせる。スッタッタ、スッタッタとドラムがはっきりと刻むビートは、確かに地を踏んでいる。しかしNil Versionはイントロからして彼ら/彼女らを言祝ぐようにして軽やか、そして、息を切って走り抜けた原バージョンと完全に違った、実に贅沢でエレガントなブレイクまであるのです。「トランジスタラジオから溢れる ラブソング 空へ」と同じく歌っていても、Nil Versionでは、自分がその高みに駆け上がろうとするより先に、なにか達観的に空へと見送るようなニュアンスとして聞こえます。それらをどんな変化として見るのか、また具体的な音楽的な知見を持って判断するのか、手の及ばない無知の恥を忍ぶしかありませんが、美しくあろうとすることに何一つ衒いのない姿勢をだけ、何より私に必要なこととして受け取れれば十分すぎるのです。

 


あまりにも素晴らしい「asthma」を作り直すという、ただただ驚くしかない作業を終えたタニヤマさんと田中さん、そしてNILKLYのメンバーに...お疲れ様などというのも似合わない。もう最高に好きだよ!

 

 

あ、いっこだけ「asthma」以外の話をします。

「Odyssey」も「REM」も、ほんとーーーーーーに最高!好きだよ、あなたたちの音楽が!

 

 


ご清聴、ありがとうございました。