7月に入ったら急にやることが増えました。今日も朝からノマドワーカーよろしくマックでPCのキーボードを叩いていたのに、気づいたらYoutube見てましたね。
それより昨日公開されたブルピン新曲のダンス動画。手数多すぎませんか。3分間でフレーズの使い回しがほぼ出てこない。
特に、下の2:02〜2:04の動きの当て方の細かさにびっくりした。ふりまわされるような視線誘導もあるし、ラストはジェニーが前方に出てくることへのフリとしても機能している。うーん、すごい。
こんな感じで面白がって20回以上リピートして見てます。マックでも見てます。
さらに概要欄でダンスカバーコンテストを開催しているらしいことを知ったので、これも検索していくつかチェック。韓国はもちろん、ベトナムにロシア、フランス...と要するに世界中で行われてるわけですな、と了解。(めちゃオーディエンスが「密」になってる動画があって、おおらかでした)わたしはダンスをやらないのでテクニカルな事がほとんどわかりませんが、こんなに手数の多いダンスをあっという間に完コピ出来てしまう人たちがたくさんいて驚きです。見た限りでは映像も手が込んでます。
と同時に、本家の巧みさにあらためて気付かされてしまうことも。ことにリサの踊りをもっとも目で追ってしまうことにも気づきました。身体のコントロールの切れ味はもとより、そのスキルでビートを乗りこなして音楽が視覚化される感触が確かに伝わるのと、たとえば0:58~あたり「Look at you now look at me」と繰り返されるシーンでの視線の使い方など、表情の水準でもダンスに豊かな彩りをあたえて、そりゃ世界のアイドルですわ...と今さらに感嘆。
日本のアイドルに親しんでいるとK-POPとの表現の差に乗り切れなさを感じることのほうが多いけど、BLACKPINKはまあ、ちょっと見ちゃうよなーと毎回新曲が出るたび思ってしまいます。(最近はITZYも気に入って聞いてたりした)
そうそう、ここ1ヶ月くらい武藤大祐さんのオンライン講義「舞踊概論」を受講していて、やっぱりダンスは面白いよなとなっているところでもあります。
「舞踊概論」第5回は、7/18(土)20:00~21:30です(講義60分+Q&A30分)。GoogleアカウントからClassroomへ入ってクラスコード「pjaytib」で登録するとMeet(ビデオ会議)へのリンクを見れます(19:45にご案内します)。今回からテーマが変わって「音楽」を扱います。ご興味ありましたらどうぞ
— 武藤大祐 (@muto_daisuke) 2020年7月6日
特に前回は振付とゲームデザインの相似性が展開されていて、目下の関心とも重なりが大きい回でした。そのなかでちらっと触れられてたのですけど、DDRのようなダンスとゲームの見分けがつかなくなってるようなもののプレイヤーの一部には、これはゲームプレイだからダンスではなく、ゆえに恥ずかしさがない、というような考えがあるらしく、結構新鮮な驚きでした。ゲームセンターとかでヘタな大道芸より集客してしまうプレイヤーを見かけたりしますが、そういう人たちの中に自意識の免罪(?)があったりするのだなあと。そして同時に、ダンスとは自意識の絡む、いわば「自己表現」という一般的な理解が根強くあるのかなと。
講義内でも紹介されたフォーサイスのインスタレーションが、オブジェクトを介して参加者から非意識的な「ダンス」を引き出してくるように、DDRもまたゲーム上のタスクが非意識的なダンスを生成するわけですが、そうしたダンスと一般的に理解されるダンスのイメージが区別される要素に自意識(自己表現的?)の存在が大きいのは、その他の領域でもすぐ思い浮かびそうな、ある種現代の特徴なのかもしれません。
となると、ブルピンのような複雑で手数の多い振付は、まさしく過剰なタスクが踊り手にゲーム性をもたらして、そのことが自意識との乖離をあたえて参入障壁を下げてる側面もあるのかもしれません。表現すべき自己がダンスの形をまとうのでなく、あらかじめ振り付けられたフォームが、参加者=ダンサーの内面をメイクしてくれるような。tiktokのダンス動画の流行とかも、そうした線で見られる気がしています。自分の世代から見ても既にすごい不思議な文化なんですけどね。
自意識性と非自意識性は、実はアイドルを考えるのに欠かせないテーマだと思っているのですが、こうした補助線を引きつつのちのち何か考えられればね。
さて、そうこうしてるうちにマックの厨房が忙しない雰囲気になってきた。ウーバーイーツの配達員がひっきりなしにやってきている。
では、そろそろ帰って作業...あ、今日は読書会だ!