lyrical school 「PLAYBACK SUMMER」とちょっとだけメンバーの話 ※9/21にしつこい追記

※書き足りないので9/21追記

 

昨日の9月19日。友人の運転する車に乗って、どーでもいいことをひたすら喋りながら1時間半。お世話になったことはないものの、本業的に"現場"のひとつでもある、よみうりランドに到着。

 

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しかし華やかな乗り物たちはスルーして、園内奥にある「らんらんホール」に迎えば、そこにはアシカではなくオタクたちがたむろする"現場"がありました。

 

今年になって登場回数のおおいlyrical school、すなわちリリスクのワンマンライブ「PLAYBACK SUMMER」へ参加してきました。7ヶ月ぶりのライブ、実に7ヶ月ぶりで他人のパフォーマンスを見ることに。生活リズムも変わり、そもそも当たり前ながらライブパフォーマンスの類の参加機会自体が減っているのですが、リモートライブ以降に出会い直したといっていいリリスクのライブはどうしても見たいということで、迅速早急にチケットを入手したのでした。楽しかった...

 

結論から言えば「楽しかった」で終わることを「どう楽しかったのか」「何が楽しかったのか」というのをバカみたいにふくらませるのが私の文章ですので、ここからは終わりのない円周率を辿るようにして、無限の「楽しかった」を連ねるだけです。しかし、どっからいったものか。

 

先月の上野と比較するなら、「夏曲」パートのような明確な構成立てではなく、パーティーチューンもメロウな曲も入り乱れつつの進行。けれども、驚くのは前半にあらわれたノンストップのミックス仕様!ド新参なので前例を知らないのですが、意外なほどこういう仕掛けを使わないライブだという印象があるので、しかし当然ながらバッチリはまる。またトラックが機械的に進行を止めることがないだけでなく、メンバーのラップが次の曲へとシームレスに促すのもまた楽しい。ここは自分に身近なMIGMASHELTERのノンストップリミックスとの対照を念頭に置いてますが、ある種サディスティック/マゾヒスティックに身体を追い込んでいくことから生じる陶酔のカタルシスを与えるのでなく、客席間でとられたソーシャルディスタンスの空隙を、せめて時間的にぶっ潰していくぞと言わんばかりに、あくまでもパーティーの強度を求める必要から生まれたリミックスである感触がありました。

そう、知ってたり知らなかったりする顔と体がひしめきあって声ならない声がわきあがる「フロア」がないことだけは、どうしようもなくもやもやとしてしまうものでした。クラウドに混ざることも、あるいはあえてすみっこでひとり踊ることも、そもそもの選択の可能性がない状況は(昨年に続いてのホール環境ではあるものの)、かなりきびしい。それは演者にも手が届きようがない限界があるけれど、少なくとも抵抗はしてやるぜ、という試みのひとつとしてリミックスを受け取りました。

 

 

ところで、こうしてリリスクについて書くとき、なかば意識的にメンバーそれぞれの魅力について喋らずにきたのですが、リリスクのライブについて話そうとするとき、メンバーについてスルーしてしまうのはおそろしく不自然です。多くのアイドルのように、振付をこなしていくことで見えてくるフォームの完成度や、踊ることの懸命さに輝きがあるのでなく、フリーにステージを動き回る時間と、時折まじるダンスの塩梅に宿る即興的な余白が、それぞれのメンバーの人柄を前景化させます。五者五様のパーソナリティが単独で、また組み合わせによって、それぞれがまとまりきらずバラバラなまま、しかしそれが破綻へ向かうわけではなくタイトに「リリスク」のグルーヴを深めていくこと。これこそ、アイドル界におけるリリスクのステージの独自性に思えます。これは初見のときから変わらないポイントかもしれません。

 

 

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ステージを見ていると、ひときわ動きの大きいrisanoさんにまず目が奪われる。アメリカでダンス留学をしていたから、ということだけでは説明のつかないステージでの大胆さ、グルーヴというかステージのノリを増幅してメンバー全体に送り返すペースメーカーにもなってるようなあの大胆さを見てると、観客であるわれわれも、あそこまではっちゃけてもいいんだ、と自由になれる気がしてくる。また低くハスキーだと言われる声も「Tokyo Burning」では切なく高い音で歌うことに宿る絶妙に上品な切実さがすばらしかった。喋るとむちゃくちゃにズレたことを言うのも毎回すごい。
ある意味でもっとも安定しているhinakoさんは、いつも絶えずにこにこしているのに、全然表情に嘘がないから、パーティーチューンでもメロウな曲でもそれぞれ違う意味を感じさせてくれる。男女問わず、すばらしいアイドルほどやたらな表情の使い分けをしない、という私見がありますが、hinakoさんは完璧ではないでしょうか。「bring the noise」の見せ場では、歌いきったあとステージ中央でいつまでも拍手をねだる仕草が続くのだけど、あそこはなぜか泣けてきてしまうシーン。
ラップのスキルでリリスクの背骨を担うかのようなhimeさんは、的確にビートを捌いていくパフォーマンスのタイトさと、自然とオタクに寄り添おうとするスタンスの両立が魅力。MC中、他のメンバーが話してる間にステージの面でしゃがんで最前のオタクたちと何度か軽くお喋りしているのが見えたけれど、"あの感じ"のフレンドリーさ、しかしぶっちゃけて垣根がないわけでもない雰囲気の良さがすごくて、たぶん唯一、パフォーマーとしての自分に戻って様子を見ていた気がします。
おそらくリリスクを深く知るようになって最も印象の違ったminanさんは、ステージのクールな気品にあこがれるだけだともったいない気がしてしまうくらい、オフのチャーミングさがすさまじく、滅多に言わないけども、こんなに素がかわいいアイドルを他に知りません。そしてそこを踏まえてみると、前回と今回のハプニングの良さが際立つというもの。陰陽の比較が好みでないので、図と地の関係に直すなら、risanoさんがアグレッシヴに動くことで図としてステージの空気を基礎付けるなら、minanさんは節約的に振る舞うこと・あえてしないことで地としての空気を作っています。別のベクトルの自由を作っていて、それがリリスクの居心地の良さを担っています。
yuuさんは声と動きの人。「YABAINATSU」で今回始めて行われた下手から上手への移動(配信だと捉えきれてなかった)がめちゃくちゃよかった。膝の使い方だとか、細かな重心の移動に"ダンス"が宿ってる感じ。歩く姿の表情が豊かです。ちいさな動きから大きな効果を引き出すタイプのパフォーマーだとおもいます。リモートライブでの動きの良さについてなんて、いくらでも喋れる。また地声自体がギフテッドな良さであるのもあるけれど、資本に頼り切らない幅というか、ラップも歌もたいへん魅力的なのです。yuuさんの動きと声はリリスクに強くハマるきっかけの大きな理由でもあります。

 

ところで、リリスクに限らず、メンバーについてあまり話さないのはいくつかの理由があって、パーソナリティの魅力ってライブの構成であるとか表現物として見える/読めることを超えてしまって話しづらいのと、あんまり自堕落に「オタク」然としたふるまいをするのもなあという自制があるからなのですが、リリスクに関しては今わりとオタクムーブを行っていまして、ラジオにもマメにメール送ったりとかしている。言いたいんすよね、いかに皆さんが良いかということを...ここで書かないことをダイレクトに伝えようとしている。。しかし手段と目的が入れ替わってしまうのか、初の特典会(参加しました)で「熱心なラジオリスナー」になったのは笑ってしまった!違う!そういうことじゃなくて!!笑

 

 

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アイドル文化のひとつに、パーソナリティ消費があります。たしかに一歩誤ればとても危険なこともある部分なのですが、はじめは表面的なパーソナリティの理解が、たとえそれも表現物のうちだとしても、より複雑な理解になっていく面白さは否定しきれません。人は、あるいは人と人との関係は大雑把なイメージに収まらないし、言葉に定着させようという行為を裏切っていく。興味のない人に(あるいは本人にさえも)、彼女たちのよさを伝えることはいつでも失敗してしまいそうだし、言葉を重ねるほど「オタク」という閉域に閉じられてしまう。とはいえ、楽曲とステージとパーソナリティとが強く結びついて切り離せない猥雑なアイドル文化に、何度目かの出会い直しをさせてくれたリリスクから、まだしばらく目を離せそうにないし、都度に文章を書いてしまうこともやめられなさそうです。

 

 

さーて、またアーカイブ見よう〜!

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帰宅後もだらだらと2、3周はしたアーカイブが翌日に1080pへと高画質化されたので、好きな曲を中心に見ていましたが、今回の白眉は「シャープペンシル feat.SUSHIBOYS」だったのではという思いが強まったので、追記!

アルバムに収録されておらず、あまり聴く機会のなかったこの曲、もともとスシボも大好きだけど、しかしいくらかリリックに乗り切れないようにも思っていました。が、今回のライブでは音源よりもグッとスキルアップしたからか、フロウはより今っぽいし、いっそ艶めかしいまでにメロウな空気が漂っているのも不思議に魅力的で、曲への認識が改まりました。ことにminanさんとhimeさんが素晴らしく...滑るようになめらかに「気楽に行けばいいのに/無駄に力入れちゃ/字も上手く書けないの誰もが同じ」とラップして「誰でもやるやらない超簡単/それだけの話」に至れば、「それだけの話」なんて、もはや吐き捨てるように言ってのける格好良さ。気楽さよりは遥かにずっと、覚悟が決まってる人間の強さをブチかましてくれるようで、胸を打たれる。そこから全編で最も緩急のかかるhimeさんのバースに揺らされて...そして!そして!ラストのラップは何なんすか!?

minanさんは「PLAYBACKするSUMMER/あと何度味わえるのかな?/500日じゃ足りないくらいお熱なのよタチ悪い/かち割りのアイスで冷やす胸元は日焼け目立つ/ヤマタツがさよならを告げたって/まだここに立って夏を歌ってる」himeさんは「ノースリーブにパーカー/まだ早いっしょバーカ/秋とかまた来週再来週/どっか行けさみしさの台風/どうせ終わるなら今は踊ろうぜってのが当然/no pain no gain,all right OK?」とラップするここ、来る夏を愛し、去る夏を惜しみ続けてきただろうリリスクのアティテュードが凝縮されたバースになっているのではないか。現場ではノンストップに続く「OK!」の楽しさにさらわれていったが、こうしてすぐアーカイブが見られる(ふと思ったけど、ライブ体験の直後にプロショットの映像でライブを経験し直す、複数のライブ経験をミックスする形も、この世の中の流れならではかもしれない。)ことで、取りこぼさずにすむ。

 

やや話は飛躍しますが、リリスクには「夏」に代表される、言い換えるなら「今ここ」と「ノスタルジア」のテーマがあります。そのテーマの繰り返しは洗練され続け、おそらくその洗練が到達した頂点のひとつである「LAST DANCE」では、間接的に死を歌ってもなお(「ドゥワチャライク」では"贅沢に死のうぜ"と、より直截に言ったりもしてるけれど)、アイドルのポジティブさに包めてしまうくらいの強度を持っている。「Summer Trip」を彼岸からの歌のように感じると前に書いたけども、「リリスクの夏」が含む複雑さに、今さらのように惹かれはじめている。掛け値なしに、ただひたすらに楽しいのだけど、やはり何かが頭に引っかかる。それが、今リリスクをしつこく見てる理由のはずです。

 

 

ひとつも侮れない、リリスク。