20201228

雑談です。

 

あまり触れない話題に「お笑い」があり、でもまあいいやと思って書くのですが、M-1はもちろんのこと、『爆笑オンエアバトル』も放送開始当初からVHS(!)に毎週録画していた程度には「お笑い」好きです。仙台で収録があったとき、ダイノジの大谷さんがテレビ局の外でファンに明るく対応していたのを覚えています。懐かしいな。あの頃は今のような嫌われキャラではなかった......
で、今年の私的ベストは空気階段霊媒師ネタ。比喩ではなく腹を抱えて笑ったのはいつぶりか。コントって、舞台の外の空間を感じることが少ないのだけど、降霊という設定で呼び込んだ広がり(とその絶妙な狭さ)に、びっくりさせられました。

 

ところで「これは漫才ではない」という話題がもりあがってたのかなんなのか、いちいち議論をフォローしてませんでしたけど、ともかくM-1後によく見かけました。どのジャンルでもよくある話で、新味はないです。どうでもいい。が、どうでもいいところを連想して話題は続きます。

 

今回はマヂカルラブリーのネタが、掛け合いでなく、ほとんどボケ側の一方的な進行によって漫才が展開するという構成が(次点のおいでやすこがも同型)、正統な「型」から外れてるぞ!と、一部のオーディエンスを刺激したということでした。たぶん。
この、ある型=フォームが漠然と広く共有されて、そこから逸脱するものが一部の神経を逆撫でること......似たようなやつをどこで見たのだっけと一瞬考えて、ああアイドルかと思い至りました。
いや、アイドルの場合は話が逆向きで、フォームの逸脱こそが称賛の条件になります。いわゆる、ほとんど呪いのように繰り返されている「これは(もはや)アイドルではない」。これが呪いなのは、フォームの逸脱が、すぐまた別のフォームに回収されることにあります。パンクとかロックとかアートとか。言ってしまえば結局は、規範意識のなせる物言いです。
私なんかは、規範意識を裏切っていくもの、あるいはせめて規範意識との緊張感を感じさせるものこそがおもしろいのですが、件のマヂカルラブリーのネタに関して言うなら、そのどちらも混ざりあったものだったとも思います。
 
ただ、そんな規範意識は、こうして一笑に付したところで消えることもないし、それはそれでリアリティのあるものです。「これは漫才ではない」「これは(もはや)アイドルではない」とは、ざっくり言って幻想ですが、弱いわけではない。だいたい、最近の世の中の困りごとは、こうした規範意識の行き過ぎ・こじれが起こしているものばかりではないでしょうか。

 

 

なにかと言えばリリスクの話ばっかりしてさすがに申し訳ないけど、いちいち面白いので仕方ありません。

 

リリスクのhimeさんがこう言っているのは、同じリリスクメンバーのrisanoさんが参加している、アイドルによるフリースタイルラップバトルの番組企画を受けてのツイートです。お父さんがヒップホップ好きで2pacを聴かされて育ち、自身もハードな日本語ラップのヘッズであるhimeさんは、ラッパーでありアイドルであることを一身に引き受けつつ、しかし時に葛藤がある。そこには先の規範意識のあらわれがあるでしょう。
むろんその規範意識は、himeさんが内面化しているというより、ヒップホップカルチャーとアイドルカルチャーに属するそれぞれのファンと、そのファンが持つ規範意識とのズレが重なり合っている、ということだとも思います。
けれども、himeさんはこの番組に参加しているでんぱ組.inc成瀬瑛美(=えいたそ)さんとバンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIの恋汐りんご(=汐りん)さんのパフォーマンスを見て、アイドルである自分に誇りを持ったということです。


バトルでのえいたそや汐りんは、保守的な「アイドル」像をなぞるような、フリル付きのドレスやビビッドな原色使いのミニスカートといった古典的なイメージの衣装を身に着けていました。それこそステレオタイプなろ、誰が見ても明らかな「アイドル」の姿。
くわえて汐りんに至っては「汐りん語」という–––酒井法子に始まり小倉優子でとどめを刺したような–––固有の語彙をそのままにラップをしていました。もちろんフリースタイルとして巧みではないけれど、視聴者にも忘れがたい印象を残したはずです。この汐りんという「アイドル」のありようは、規範意識の徹底が元の規範を突き崩すようであり、やや慎重を欠く言い回しが許されるなら、いっそクィア的です。


強くラッパー的でありたいhimeさんが、どこまでもアイドルでしかない*1、アイドルに救われることは、感動的な出来事だと言って許されるでしょうか。少なくとも、自分は心動かされてしまいました。今はそれ以上に話を深めることができないけれど、後々まで覚えているエピソードになりそうです。

 

 

 

と、ここまで書いて思い出したのは、17歳当時の自分のことです。
とあるダンサーの方と知己を得て、その人にクラブのジャグリングを見せていたときのこと。ふいに「それ、ひとつだけではジャグリングできないんですか?」と訊かれて、私はやれやれといったふうに「ひとつだとジャグリングじゃなくなっちゃいますね」と答えました。対してその人は、差し出がましいようだけど、と前置きしつつ「ジャグリングにならなさそうなことを考えないといけないんじゃないですか?」というような事を言ってくれました。 要するに、私が内面化していた規範意識をあぶり出してくれたわけです。

 

まあそのときは、痛いところを突かれたような、しかし反発したいような(あんたはろくにジャグリングのことなんか知らんだろうという最低の驕りがあったり)気持ちになっただけでしたが、あとから思えば、非常に重要な進言をいただいたものです。また、相手がどう思うかは別として、切実だと思えば忌憚ない話をすることの必要も、そこで植え付けられていたかもしれません。後にその方とは疎遠になりましたけれど、エピソードはこちらの勝手で体に残っている。

 

 

と、そういうようなことを話したい年の瀬でございました。

 

*1:バンもんは「ポストアイドル」を標榜してはいるのですが