仙台日記

もちろん、コロナ禍がもたらした最大の好事である夜行バスの回避が3.11の回帰によって破られたとか、その(クソ狭い)車内から脱出したとおもえば、すぐネカフェの(クソ感じの悪い)店員から指示されたブースで丸まって無理に仮眠(クソみたいなアラームがずっとどこかで鳴っている)するだとかの不愉快さから書き出せばべつだが、仙台でとても楽しく現場を過ごしてきた。

現場は2日あるうち、初日が西公園から大橋を渡った先にある青葉の風テラス。翌日が松島海岸駅眼の前の松島離宮。どちらも震災後に建てられた建物だが、今回の大規模な余震で、施設のところどころにダメージを負っていたらしい。青葉の風テラスでは壁に幾筋も亀裂が走り、松島離宮では床のレンガが剥がれ、中庭一面に広がる池の水を一時的に抜いていた。現場で話すうち、それぞれの10年前が回想されることもあったが、そうした限定的な話題より、息つく間もないほどあわただしくなったり、急にエアポケットが生まれたりする、現場特有の時間の流れそのもののほうが体に残る。

青葉の風テラスは仕事で何度か来ている。ここの多目的スペースはしばしばイベントに使われている。一昨年は瀬戸内サーカスの公演があり、私もたまたまそれを見ることができた。ぜんたいに広く抜けた空間の半分には市内で有名なカフェの姉妹店も出店しており、地下鉄駅直結のアクセスもあってか、いつ来ても席はほとんど埋まっている。南方は全面の窓ガラスで、青葉山の木々の緑を映して見ばえがいい。

集合時間の9時を過ぎればメンバーが集まって会場も開き、続々1階から2階へとエレベーターで荷物を搬入する。仕掛けに差し障りを起こさないよう、マジシャン組のイリュージョンの道具にはさわらず、手に張り付くほどキンキンに冷えたトラスを運びこむ。設置してある施設のテーブルを一部は片付け、一部はそのまま客席に利用し、最前列には持ち込みのウレタンマットを浮島のようにして敷く。パフォーマンスエリアの上手と下手にスピーカースタンドを立て、高さを調節したらスピーカーを乗せ、ケーブルをLRともにスピーカーからミキサーへとつなぐ。下手の端ではさっきのトラスを5人がかりで組んでいる。だいたいの設営が済めば、楽屋でそれぞれの着替えや道具の準備をする。このとき、髭を剃り忘れて、出番の10分前に気づくことになる。

ここには、その名の通り、風通しのいいウッドデッキがある。デッキの東端からは広瀬川と、ちょうど地上に出てくる東西線の線路が縦横に交わるのが見え、奥には市街地もかすかに伺える。
ツイート用に写真を撮ろうとするが、しかしなかなか電車が来ない。せっかくだから電車が向かってくる姿を収めたいけれど、なにぶん東西線は本数が少ない。数分は粘るのに、さっぱり来ないから、一度あきらめて、休憩時間に再チャレンジして撮影した。とはいえ、曇り空でそれほどの画面にはならなかった。

とりあえず写真は撮れたので中に戻ると、いつも観に来てくれるお客さんたちが3人でお茶をしている。ずいぶん演技を褒められたので気をよくした。この日だけ、6年前のパフォーマンスをリメイクしたものをやった。練習しはじめて、まあすぐ形になるだろうと思ったら、結局沼にハマってずいぶん苦労することになった。それでも、お客さんの1人はよほど気に入ってくれたのか、配信も買ってくれるという。評判がよくて何よりだが、たぶん今後これを演じる機会はしばらくない。あっても、この日のまま演じることはないだろう。どちらの回も友人たちが観に来てくれて、ごく短い間雑談する。それぞれ変わらないようすだった。

終演後は、ようやくお気に入りの中華料理屋に行けた。ここは何を食べてもうまいが、レニラ炒めの臭みのなさは他に比べるところがない。もともと臭みが苦手でレバーは避けていたけれど、何かの折に食べて驚いて以来、定番化した。会計のとき、ずっと姿を見せなかったからか、5年以上通ってきてはじめて店員さんに声をかけられた。

この晩は疲れ切って10時半には寝てしまう。

翌日の松島離宮ははじめて行く。これも久々の仙石線で向かう。仙台駅でマジシャンの左近さんと一緒になる。車中あれこれ話して、共通の知り合いの奇行に話題が及んだ当たりですでに松島。しかし県外の観光客はしばしば誤解するらしいが、仙台から松島へ行くとじつは40分近くかかる。また、やはり電車の本数も多くない。行けば行ったで、運が悪ければ不愉快な殿様商売の店に当たることもあるが、さすがに今はそういう店は減ったのだろうか。
そういえば、最後に友人と松島に来たときは夏で、驚くほどのゲリラ豪雨に当たり、さんざんだった。今日は肌寒く曇っている。スピーカーを立てていると、ぽつぽつと小雨も来る。4人くらいで天気予報のアプリを見せ合い、開演時間あたりで雨雲が通るのを確認し合う。全員違うアプリを使っている。しかしそれらの予報は外れ、開演時間になれば太陽が差した。それからはずっとあたたかい。

1回目と2回目のあいだ、施設の方から昼食がふるまわれた。豚バラ肉のブロックにてりやきソースがかかったものと、やきそば、そして豚汁。さむい時期、現場ではよく豚汁をもらう。それも本当に久しぶりのことだ。
あたたかな日だったので、そのまま中庭の客席を借りて、みんなで食べる。時節に不似合いなバーベキューのような雰囲気ができる。
目の前にひくい山がある。この施設は、宮城県民には馴染み深い松島水族館の跡地で、しかし水族館があるうち、その山があることを知らなかった。近くでよく見なかったが、山の裾には洞窟のようなものがある。子供の頃、こういう穴ぐらを見るたび、あれは防空壕だったと言われて癖がついたのか、このときもそう思った。

昼食を先に終えたメンバーの何人かが山を登っている。衣装のままで登るから、ひとり派手な色が妙に目立つ。ベテランの案内人に先導されているような雰囲気がおかしい。
自分もそのあと登って、中腹あたりでジャグリングする。それを撮影係も兼任していたマジシャンの曾我さんが撮っていてくれている、と思うことにして何度かトライする。思いのほか木に絡まってうまくいかないが、なんとか成功して下山すると、さすがちゃんと押さえていてくれる。曽我さんのカメラで今の動画を見せてもらい、すこしパフォーマンスの話をする。自分のパフォーマンスは、動かないことを意識しているのか、と訊かれ、動かないというより、道具へ視線を集中させたうえで運動を作るため、体の動きが小さい時間がある、私のジャグリングのパフォーマンスは身体だけでも道具だけでもなく、その関係から運動が発生することに主眼がある、というような話を、こうして文章にするよりずっと解像度は低く説明した。

池の水がないから、浮島のような役割を果たすだろうエリアは、間が抜けた感じになっている。その浮島のいちばん大きい島に、なぜかみんな自然に集まって輪になってどうでもいい話をした。この人数はエレベーターだったら定員オーバーになるかね。ていうかエレベーターのブザーって聞いたことある?ああ、ありますよ、なんだったら、鳴りそうなときに狙って乗ることもあるし、とか、本当にどうでもいい会話を、傍から見たら何かを召喚しているかのような円形になって話していた。それをまたわざわざ曾我さんが高いところに登って写真を撮ってくれる。

2日とも、演技の合間にケント君へあれこれとアドバイスめいた話をした。でもアドバイス、というのは口幅ったい感じがする。特に求められてもいない話をするのは、自分がしたいからであって、そういう触発を促されるパフォーマンスへ、忌憚なくコメントした、という。しかしそれは立場的にもへんな「アドバイス」めいた空気は拭い去れない。みょうに気持ち悪いけれど、仕方ない。本筋の感覚は通じているはずで、そう思うからこそ、話す。
ちょっとこだわるが「アドバイス」というのは、おおく共通認識がとれているような事柄があり、その認識からズレていると判断できる事柄になされるもの、と思っている。ケント君のパフォーマンスは、そうした共通認識が立ち上がった以降の話で、立場によって意見を相違する領域のものだ。そうした相違にこそあえてつっこんでいくのが最もおもしろいことで、また言葉を変えれば批評的な営為だと思う。が、私がケント君にしたのは、批評というより、もっとローカルな信頼関係を前提にしたコメントだった。しかしそこには先に言ったキャリアや年齢といった縦軸の「立場」がやや干渉しているきらいがあって、それが気持ち悪い。かすかにでも権威性があるところ(権威がコメントの信頼を水増しするような)が効果を持ってしまいそうなことを、気にしつつ話した。同時に、そうした小さい権威性はむこうで勝手にキャンセルしてくれるはずなので、構わずズバズバ話した。
自分には、こういう対立する感覚がしばしば同時並行的に起こる。

終演後、しらないお客さんが声をかけてくれる。マジシャン組のお店に通っている方らしい。すごいね!あんなに高くあげて!うまいね!と。ありがたくお礼を伝える。こうした感想はしばしばいただく。だから同時に、すこしばかり物足りない思いもある。楽しんでもらって、また感想まで伝えてもらうことはありがたいが、それとは別に、うまい/すごいというラインしか応答されないのは、自分のやっていることに不安がよぎる。私たちがうまい/すごいのは、本当に当たり前のことで、たぶん相当な体調不良でも酩酊状態でも達成できることにすぎない。もちろん、何がしかの質は残しつつも、それを言葉にしようと思わないだけなのもわかる。ケント君のこともそうだけれど、一般的な感覚よりも遥かに強く、具体的なコメントを求め、与えようとする要求が高いのだと思う。ただ、くだんのお客さんは最後に、ほとんど振り返りつつ、誰に向けるでもないように、そしてきれいだったなあ!ともらして、それに救われる。

 

 

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