中途半端な話

大きくは、単なる思い出話。

 

しかし、こうした思い出話をする資格を微妙に欠いていることについての話でもある。思い出話に資格も何もないだろうけど、自分はそう思っている。ではなぜ、ということになるが、その資格のなさを、そのまま書くことの資格に裏返してみたくなった。半端者としての思い出があっても、いいだろう。



 

先日、私が2017〜2019年のあいだ、最も熱心に通ったグループのひとつが無くなった。しかし私とこのグループの接点は2020年1月29日を最後の現場としたあと、一度の配信を例外として、途絶えてしまっていた。最後になったライブも、行っていない。おそらく、残された配信もこのまま見ることはない。
ごく少数の友人は知ることだが、私はこのグループのワンマンを観ると、何かしら文句を言わずにはいられない客だった。私事でどうしても行けなかった唯一の例外を除いて、毎回欠かさず参加していたが、その都度、心から楽しめることはほとんどなかった。これは、今だから捨て台詞めいて言ってるのでなく、毎回オープンな感想にしていた。私はあくまでも、ふだんの何気ないライブの、そのデザインと裏腹な泥臭さが好きで、ワンマンで凝らされる趣向や、謎解きめいたメッセージの出し方は、基本的に肌に合わなかった。それでも、今度こそはもしかしたら、観ないと何も分からないから、と通い続けた。けれど、昨年の最初の配信ライブを最後に、意識的に観ることを止めた。

 

特筆しなければならないのは、このグループには、私にとって初めての「推し」がいた。今も相変わらずよく分からない「推し」だけど、それでも「推し」と呼んでもいい唯一の人だった。そのパフォーマンスも、パーソナリティも、たしかに私をのめりこませてくれたし、幾人もの友人を作ってくれることになった。ただ、友人たちの熱意と誠意にはぜんぜん及ばないし、最初から最後まで、どこまでもハンパなオタクだった。それはそれでしょうがないことで、どうしようもないし、ハンパさを受け入れるしかなかった。

 

グループの活動から距離ができると同時に「推し」からも距離ができるようになった。社会状況が変わって、こちらの生活も変わり、関心の向き方も大きく変わってきた。これも仕方がない。それでも、活動終了の報せを聞けば...正確には報せを見てからしばらく時間が経てば、思い出すことが多い。グループに、決して前向きではない決断があったことを思えば胸は重い。最後の最後まで「現場」にいつづけた、面識があったりなかったりするオタクたちのツイートを見れば悲しくもなる。
結果から考えると、現在のようなシビアな時期に離れてしまったことは、自責の念に繋がりそうにもなる。ただ結局は広義の当事者しか分かりえないことに、どこまでいっても消費者でしかない自分は思い悩まないことにしている。薄情は薄情なりに、ハンパはハンパなりに覚悟がある。


半端な思い出話。
2017年の定期公演。意外なライブの良さと「推し」になるその人の姿に打たれて帰りの地下鉄を乗り過ごした日から始まった。フェスからリリイベを回すとき、メンバーたちと同じ電車で移動して気まずかった。知り合いの知り合いがブッキングした地元のイベントでやりづらそうなライブがあった。ロフトで人生初のチェキを撮って、緊張してどうでもいい会話しかできず落ち込んだことがあった。「推しかぶり」の年長の友人ができて、気に入らないオタクの悪口で笑いあったこと、現場で話したオタクと、別のアイドルの懐かしい話で盛り上がったこと、ランチェキを何万円分も引いたオタクが、打ち上げのときテーブルにずらっと並べて写真を撮ったことがあった。ごくごく間接的にではあるが、生誕祭の一端をのぞいたこと、「認知」に一喜一憂したこと、ネットでふざけていたこともあった。手紙を書こうとして結局は書かなかったこともある。素晴らしいライブがあって、ひどいライブがあった。あるバンドセットのライブは本当にひどかったのに、次のバンドセットのライブでは最高の姿を見せてくれたことがあった。一番熱心に感想を伝えた日だった。なぜか履いていた靴をほめられた。ラジオ初公開の音源を六本木ヒルズで聴いたこと、新譜を終電の山手線で聴いたこと、私事でバタついて半年ぶりに観に行ったら、「お久しぶりです!」と大きな声で推しに迎えてもらったこと、酒を飲みすぎたあとなんかに思わず感情が高まったこと、どこを見るでもないけど、深い集中を伺わせる視線を幾たびも見たこと、それを褒めようにもうまく伝わらないこと、今は思い出せないけどふとしたときに思い出すかもしれないことたちが、私の人生にとって無意味だとは、誰にも言えない。

 

このグループが今後どうなるのか、何もわからない。相変わらずオタクたちは残された手がかりから、何かを読み取ろうとしている。
「推し」にしても、別の形で活動があるのかもしれない、もう2度と人前に現れないのかもしれない、コロナ禍で取得したという資格を活かして市井の人として生きるのかもしれない、そのあと諦めきれず表舞台に帰ってくるのかもしれない、何もわからないし、別に知ろうともしていない。知らないようにしてるわけでもない。
最後のライブで、その人は声が震えていたという。私はそれを確かめようと思えば、今すぐにでも確かめられる。あるいは夏まで待てばソフト化された映像でも。観るかどうか分からない。震えていた声を想像すると、やすやすとは言葉にならない気持ちがある。でもそれは、勝手に想像しているからにすぎない。実際にそれを観ることと、何もかもが違う。

 

私はアイドルとオタクの関係をぜんぜん信じていない。恋人でも友達でもない「アイドルとオタク」の関係は、確かにある。でも、信じていない。だから関係は生じない。「アイドルとオタク」の関係は、その関係を信じる力自体が、関係を育てるのだろう。その意味では、恋人でも友達でも、同じことだ。

 

いつもそっけなく聞こえる「いつもありがとう」という言葉を、関西弁のイントネーションを伴って思い出す。それ以上はないし、それ以上を望ませようともしない態度が、私にはありがたかった。それだけで充分だったのだ。