観たもの聴いたもの - 2021年上半期

思い立って1月からK-POPの勉強を始めた。楽曲の重複を含む独特なリリース形態のあるK-POPで音源の数を数えることにそれほど意味はないが、iTunes(いまは「ミュージック」だっけ)で+300前後。

次いで、Vliveを知り、そこで「Run BTS!」を遡りはじめる。これがめっちゃおもしろい。逆コンプリート癖というか、全体の9割くらいをさらうと止めてしまうクセがあり、すべてを見たわけではないけど、ファンの間で特筆して流通するエピソードが理解できる程度には見た、と思う。
以降、BTSのファンになった。しょうもないこと(ペットボトルの蓋を飛ばすゲームとか、UNOとか)で火がつくグルーヴをもつ7人は、わかりやすく欠点があり、わかりやすく補い合いあい、ほどほどに不干渉だったりする。やはり、チームとしてひとつの理想形にみえる。
アルバムでは『LOVE YOURSELF '結' Answer』が好きで、ライヴ映像では同作のサンパウロツアーが最高だった。ブラジルの観客の異様な大歓声のうねりに身を任せて7人があきらかにハイテンション。大掛かりなライヴは気を使い過ぎというか、段取りが勝ってるように見えることが多いなか、このライヴの中盤ほどまでは、ほんとうに生っぽい。

女性グループでは引き続きITZYが好き。ダサい上に節操もない「마.피.아. In the morning」は今でも聴いているし、バラエティ番組もVラもぼちぼち見ている。ここも関係性とそれぞれのキャラクターがいい。
なかでもリュジンは、韓国の女性アイドルのなかでは一番好きかもしれない。見た目もさることながら、大雑把な振る舞いが多くてとてもいい。くわえて、ITZYのメンバーそれぞれが、アイドル活動をするに至って抱える思いや悩みを吐露する動画では、リュジンだけ「女性にしては」ダンスがうまい、などとカッコつきで評価される業界の空気を変えたい、という趣旨の発言していて、ぐっときてしまう。しかし、ITZYを見てそうした発言が出てしまうプロの現場というのはなんなのだろうかと思ってしまうが...(とはいえ出番が続くとダンスがゆるくなる印象はある。ハードスケジュールすぎるのか、相対的にはパフォーマンス経験が少ないからなのか、両方なのか)

ところで韓国のアイドルは、比較的、大雑把な振る舞いをみせてくれることが多い。ソロ音源も今年のベスト級に好みだったEXOのベッキョンは、ほんとうに雑な配信をしてくれていて一発で好きになったし、BTSのナムジュンにしたって不器用すぎる(性格的な意味でなく)のが愛らしいし、Twitterで見た、サイン会中に駄菓子の袋を逆さにして残りを口に入れていた宇宙少女のソラ、メンバーへのスキンシップがやたらハードなwekimekiのキム・ドヨンなどもいい。
韓国にしたって、アイドルは規範意識を強く引き受けてしまい、ことは全くかんたんではないのだが、そこからすっと逃れるような彼ら彼女らの大雑把さは、こちらを鷹揚な気分にさせてくれる。
他者の目がある場で繰り出される雑さ、いい加減さは、自信の裏返しであり、その自信の表現は必ずしも細心で完璧な立ち居振る舞いを通過するわけではない、というのが、私が信じたいアイドルの大きな美点である。

 

日本のアイドルでは、変わらずlyrical school。ツアーファイナルは作り込みが強すぎるように感じてめずらしく乗り切れなかった(でも「BTTF」にちなんだ、まさかの3部構成はさすが!とおもった)が、地方ツアーは定点の配信が500円という英断だったのと、いちいちおもしろいアクシデントが毎回起きていて素晴らしかった。
たまに現場に足を運ぶと、NILKLYは見違えるようにスポーティーな印象に様変わり。けれど、曲間0秒の繋ぎを久々に聞けば「これこれ!」となる。現体制解散間際に見たグーグールルは、フロアが相変わらず創意に満ちていて笑ってしまうし、一年半以上ぶりに見たRAYは、瑞々しい印象にびっくり。ひとの表情、顔つきがかわるというのはどういうことなのだろう。

 

その他の音楽では、ラナ・デル・レイ、Tohji、C.O.S.A.に宇多田ヒカル、シルクソニック「Leave The Door Open」にBALLISTICK BOYZ「Animal」をよく聴いた。旧譜ではセレーナ・ゴメス「Rare」にカリ・ウチス「Sin Miedo」など。

 

さて、ストリップについてはずいぶん書いたし、今後もいっぱい書くだろう。宇佐美なつが...友坂麗が...とはじめると、また独立した記事に相当する文字数を書いてしまう。とにかく上半期ラストは怒涛の1ヶ月だった。下半期も人生めちゃくちゃにしていくことでしょう。
10頭の小倉、行きたいけど、さすがにスケジュール厳しいだろうな...などと書いておくと、実際10月頭になるとなぜか福岡にいたりするから困ったもんだ。予定は未定。


本は、韓国文化への接近もあって関連書を読むことが多かった。とはいえ、近現代の日韓関係の基礎となる日露戦争についてなど、まだまだ何も知らない。
そして、日韓のアイドルに関心を持ったことによる、こうした近現代史への遡りが、いよいよ天皇制との対峙を間近にしている気がしてくる。日本に限っていても、アイドルに興味を持ったら天皇制との対峙は必定に思われる。
昨年自分が書いた論考も、まさにそのグレーゾーンの中心たる天皇制を結局は擁護するところの枠組みでもあろうし、今後それが自己批判的に展開されるのか、あるいは積極的容認に傾くのか、まだ全くわかっていない。ことが重要に思われれば思われるだけ、それを考えるのを遠ざけてきていたので、何ひとつわかっていない。
万世一系の男性至上主義など、部分的な不同意はあるにせよ、いまのところ自分の天皇制に対する態度は、微温的な保守でしかない。
同時に、金井美恵子が鋭く批判するような、吉増剛造高橋睦郎ら詩人のナイーヴさに納得しきれないものもある。

 
韓国関係の本で面白かったものは以下。

www.iwanami.co.jp

www.iwanami.co.jp

honto.jp

 

千葉雅也『オーバーヒート』が印象深い。
冒頭の濃密さとざっくばらんさを行き来するような交錯的なモードにうっとりさせられつつ、底を抜いたような「何でも書く」態度にショックも覚えた。同性の年下の恋人が女性と夏祭りにデートをしていたことについて、かなりウェットなメッセージを送ること、献本を開封もせずバンバン処分すること、ツイートの反応を無感動に計算すること、SNSで絡んできた研究者のプロフィールを熱心に調べ上げること、それらは些細でことさらに取り上げることでもないのかもしれないが、意図された露悪性よりよっぽどショッキングだし、ただ単に「何でも書く」ことの真の徹底を見せられた気がしている。

あとは今更、『オーバーヒート』は文学的な「ストリップ」としても読めたのではないか、と考えたり(ストレージの都合で、本を手放すサイクルが早くなっている。単行本で買い直すか...)。

www.shinchosha.co.jp

 


映画を観ることは、今年はもう意図的に諦めていた。ようやくキム・ギヨン『下女』を観たくらいか。
しかし、ストリップを見だすと、なぜか映画を介していろいろ気になることが増えてきている。たとえば宇佐美なつの、完璧ながらも機械的ではない、しっかり人間味もある感覚は、まさか山中貞雄...などとうっかり思ってしまうし、しかしいや、山中は結局あの省略のしかただし、となると、どこからああした感覚が拾えるか......と、結局は映画というか宇佐美なつやストリップのことしか考えられていない、7月のはじまりだった。