日記 20210722

昨日のワクチンの副反応なのか暑さにバテたせいなのか劇場通いの疲れなのか、ひさびさに通して長い時間眠っていた。今週は劇場で多幸感に満たされているから目覚めは抜群で、今日もふわふわしながら体を起こす。


といいたいところだが完全にロスがキマってしまって、ものさびしい気分も入り混じっている。あーいやだ、と思いつつ、朝食を済ませたら、さっさと勉強に向かう。喪失感はあるにせよ、あらゆる意味でそこに関わりたくない。バトラー『問題=物質となる身体』をぼちぼち進める。


昼からは亀戸で稽古。曳舟の図書館で本を返してから、東武亀戸線に乗る。深い緑の車体が好ましい。車内で、お金にまつわることを考えてツイートする。こうして言葉数が多いことを、とても恥ずかしく思う。そして多分、ロスを埋めるために言葉が多く出てるのもわかっている。よけい恥ずかしい。


稽古は月末の仙台公演のリハと、10月のための新作。新作はひとまずペアのディアボロで、ボキャブラリからリサーチ。相性がいいのと葵くんの頭が切れるので、ずんずん動きが出てくる。
音楽についても軽く打ち合わせ。自分ひとりでやるときは、音楽が先行していないと何もできない。すべては選曲作業からスタートしていく。


いま、ちょうど選曲を行っている。同時に、作曲も。自分が作るわけではないが、いちから進めているところ。


『かいわい』のための論考も進めて...はいない。1500字書いて、詰んでいる。


ハルカくんが、人文系知識人たちの「推す」ことに対するツイートに反応している。ハルカくんとは「推す」ことについて大きくスタンスが違っている。
自分はそこにオルタナティブな価値を認めていないし、何より、個々の複雑な感情が「推す」という言葉に縮減され、あまつさえ「推し活」「推しに課金」なんて言葉がポジティブな概念として行き渡っている状況は、最低だとすら思っている。資本主義に簒奪されようとする各々の感情について、言葉について、各々はきびしく抵抗すべきである。
けれども、ハルカくんが「推す」ことに見ている可能性は、ハルカくんと接しているとなんとなく分かってくるし、「推す」ことにこだわることがハルカくんの抵抗線なのだということも分かる。


韓国語になかなか戻っていけない。体に強い経験を叩きこめばまず母語があやうくなるから、外国語が入ってくる余地がまだない。


小腹がへって、買い置きしていた冷凍のピザをあたためて食べた。