ストリップ劇場、愛の対象について

つい先日、武藤大祐さんとだらだら(210分間)ツイキャスでストリップの話をする配信をした。だれが見るのかと思いつつ、ある程度発言に責任を持つためにも公開していたら、アーカイブをご覧になった方からご感想のツイートをいただいたりした。いただいたりした、というか勝手に見つけのだが。

配信の後半では、武藤さんと自分の共通項である「どくんご」の話題が出てきていた。そして、ご感想のツイートでもどくんごとストリップの、劇場や旅にかんする共通性を挙げてくださっていた。
劇場という非日常空間が、そこに出演する者たちにとってはいたって日常的な生活の場であり、またその日常性が観客の非日常性に染み出しているかのようにも感じられる、という点で、寄席にも増してストリップ劇場はどくんごのテントにずっと近しい。
私がストリップを見るようになって3ヶ月、異様なほど急速にこの文化に入り込んでしまっているのは、ウェルギリウスめいた踊り子さんたちの手引が何よりの力とはいえ、そうした非日常と日常が見分けがたく絡み合った、ストリップ劇場という場の魅力によるものだろう。どくんごのテントもまた魅力的だが、ストリップ劇場にはどくんごのテントに希薄な、性の香りがある。

 
個人的な話題に踏み込むなら、自分は遠征先で夜の繁華街を散策する癖がある。大阪や名古屋の粘り強い客引きを鮮明に覚えているし、大宮や川崎に泊まればひっそりしたソープ街まで歩いてみる。近所でも、あまり用もないので機会は少ないが、わざわざ吉原を横切って目的地に向かうこともある。とくに個々の店に立ち寄るわけでもないが、なんとなくそうした地域を歩かずにはいられない。冷やかしといえば冷やかしで、褒められた動きはでないから、あまり書くべきではないのだが。
個人史として、仙台は国分町に限りなく近いところに育ち、家の周りに水商売の男女の姿を見ながら過ごしていた記憶も、こうした癖に響いているのかもしれない。いずれにせよ自分は性的な香りのする場所にシンパシーを感じている。そして、そのシンパシーの意味を自分はとても高く位置づけているが、ここでこれ以上書くつもりはないような事柄による理由も、もちろんある。

しかしながら、そうしたシンパシーには、いわゆる一方的な幻想が根強く張り付いてもいる。歓楽街に漂う特異な空気にどこか居心地のいい思いをすることには、そこにあるはずの個々の現実の程度の見積もりがない。ただイメージがあるだけだ。

    

 

どくんごは、自分たちの活動をしばしば「旅」と呼んできた。これは打ち上げの中でのおぼろな会話の記憶でしかないが、演出家のどいのさんは、自分たちはいかにして旅を実践するかであって、作品を作るかではない、というようなことを話していた気がする(そんなことは言っていない、と言われるかもしれない)。
いずれにせよ「上演」がなされるその100分に活動が収斂されていくのではなく、より広く、生活と移動のすべてに、どくんごの活動は賭けられていた。これは確信を持って思い出せるのだが、バラシの後のあまりにも見事な積み込みをみんなで眺めながら、どいのさんが、うちらが一番上手いのは積み込みだからと珍しく自慢気に話していた。

私がどくんごに対して純然たる客だったことは最初の1日だけで、翌日からは打ち上げでジャグリングをしたり、翌年は前夜祭や幕間の舞台に出たり、更に翌年からは受け入れとして制作の手伝いも行っていた。
だから、打ち上げの場で純然たる観客の人たちが、年に一度の祭りのようなものとしてどくんごに接しているのを、やや距離を持ってみていたこともある。私にとっても既にどくんごはいくらか日常的で、過ぎ去ってしまう感傷や、どくんご自体が自称しつつも「旅」というイメージからファンタジーのようなものが消費されていることに対する微妙な反感が入り混じってもいた。どうして芸人はしばしばひとの感傷を引き受けなければならないのか。むしろどくんごはそんな感傷からこそ遠い場ではないか、と考えていた。

 
自分は義務教育から早々にドロップアウトして高等教育も大学教育も受けずにここまできて、いわば「プロ」としての生活を20年近く続けたことになる。こういうと大層だけど、10代の頃なんて何ができるわけでも何をするわけでもなく、今もかわらずダラダラとやっているだけで、漠然と短くはない時間が過ぎただけだった。
時々こうした来歴を人に話すと、驚きとともに反応は2つに分かれる。ひとつはよく親が許しましたね、とか、言葉にしないまでも、そんなやつが実際にいるのかという、規範から逸脱していることへの驚き。もうひとつは、学校なんか行く必要ないよ!とか、夢のために生きていてすごい!という賛意。
どちらの反応にも慣れているので、どちらでもべつにどうでもいいといえばどうでもいいのだけど、どちらかといえば後者のほうが引っかかる、というか、認識に乖離はある。そこには、そう発言している人の何かが投影されていて、私の現実が見られていない、という感覚がある。私がこの職業をしているのは夢だったからでもないし、学校は嫌になることがあるから行かなかっただけで、あらためて他人にその意味を肯定してもらう必要もない。ただ、そう言われたからといって、今さらべつに腹が立つわけではない。

 

他方で、自分がストリップに向ける視線はどうだろう。
たぶん私は、思ってもみないほどにこの文化や場所を深く愛してしまっているし、そのとき、私が誰かに向けられるような幻想を投影していないとは、当然言い切れない。というか、しているだろう。ましてここが、自分がこだわってもいる「性」の場である限り、必定であると思う。

また、ストリップ劇場では、見る/見られるの関係が十全に機能し、日々そこへ見ることを愛する観客が集まり、その観客たちの高い集中力が舞台上に注がれる。舞台ではそれに淡々と、かつおそらく充実を感じながら応える仕事をこなす踊り子たちがいる。
私は自分の仕事をしながら、それをこそ求めていたことに、ここで気づかざるを得ない。私の仕事において、多くの場合観客の視線の存在は前提でなく、結果としてしか存在しない。職業的には当然のこの事柄について、いっこうにフィットしないところが強くあり続けたと思う。ストリップ劇場という場では、私の日々にあった欠落へと嵌るピースが揃い、一枚の絵が完成している。
日々更新される演目は、それを見てくれる観客 - 視線があることを知っているから可能なのであり、くわえて観客もまた、踊り子たちの肌に視線を向けてふざけあっているようで、踊り子が表現している/しようとしている固有の質を確かに受け取ってもいる。やたらな言葉にせずとも、"それ"がたしかに何度も起きていることを、わずか3ヶ月の間に何度も見ている気がする。

       

 

劇場に行くたび、深く幸せや感動を感じる。道玄坂を下りながら、気づけば無意識に鼻唄など歌っているとき、こんな自分がいたのかと驚かされたりする。そのことを友人たちに話せば、呆れつつも祝福があったりする。そんな出会いがなされることは、誰にもあることではないからと。
私をこんなふうにさせてくれるストリップ劇場という場には非日常な魔法があるが、退屈な日常もあるはずだ。いいこともあれば悪いこともある、単なる日々の繰り返し。これが混ざり合ってるのが劇場だった。ただ私にとっては、その混ざり合いから非日常的な側面を、あるいは日常すらひとつの幻想として汲み取っている部分がある。
この「私」というものがこの文化や場に入り込むとき、あまりにも多くの歴史や感情、立場までもが絡まり合っている。その絡まり合いをほぐすことなく一足飛びに「愛の対象」と呼んでいるストリップ劇場、ストリップ文化への幻想から「私」はどの程度逃れきることができるのだろうか。愛の対象からイメージという重責を取り払うこと、とバルトがどこかで書いていた気がする。

 

こう書いてきて、最後になにか決意があるわけでも何でもない。通えば、変わらず劇場にときめくような思いがあり、好きな踊りを見たなら幸福に打たれるに決っている。そうした経験に自分の幻想がフィルタのように張り付いていて、いっこうにふさわしい現実を見せてくれないままなのも変わらないだろう。しかしいつか、そうしたものも色褪せて、落ち着きをみせてくるに決まっている。


その時にあらためて出てくる言葉や足取りに期待がある。その言葉や足取りこそが、よりいっそう自分には本当らしいものになるだろう期待。それが、今はある。