6月になりました

早いもので、はや6月。なんとまあ。
梅雨も間近に忍び寄って、憂鬱。湿度にめっぽう弱いのでした。


と、ここで先日の四丁目商店街大道芸のようすを。




こちらは、風はあったもののからりと晴天。
今回も写真はホゴノ氏。久しぶりの出演も。

ゆるキャラとの共演。楽しそうです。

個人的にもソロ・ホゴノ・華千代さんとコラボと盛りだくさんの内容でした。
友人知人にも見てもらえたこともあり、たいそう楽しめました。



さて今月前半は、7日にユアスタ&泉中央ペデストリアンデッキ。13日は勾当台公園にて食肉まつり。10:55〜 13:55〜の二回。翌14日はコボスタにて出演です。

また20日はWJD in Tohoku弘前にて開催します。久しぶりの弘前!
4年目の今年は弘前大学にて行われます。豪華ゲストもお招きしますので、ぜひ。


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先日は、岡崎藝術座『+51 アビアシオン、サンボルハ』を観てきました。久しぶりに興奮冷めやらぬ帰り路。時間が許せばもう一度劇場へ駆けつけたいところでしたが、今回は叶わず。
色々考えたいことがあるのですが、これもなかなか十分に展開できそうにないので、メモ的に。

・大村わたるさん
冒頭から心奪われました。あられもなく落涙寸前。動きも顔も好みでしたが、なにより声の良さ!
個人的なタイプの問題に負うところも多いのでしょうが、特徴的とか個性的とか言ってしまうだけでは取りこぼしてしまう身体性の官能、あるいは魔のようなものは、あるんじゃないか、と思います。

・フロウ
セリフ回しはラップのフロウを想起させるに十分なリズムの撓みがあり、かつ、掛詞やダジャレを含むテクストも興味深いものがありました。
神里雄大さんは2pacが好みという対談記事も見かけたので、あながち手前勝手な想像でもなさそうです。というか、その記事の対談相手がSIMI LABのMARIAさん(!)で、関心ズバリという組み合わせに一人興奮。

・記憶/忘却
有り体に言って、この作品が何の話をしていたのかほとんど掴めていないのですが、同時に、ごくシンプルなメッセージが基底部にあるのではという手触りがあります。
シンプルなメッセージがあり、それを伝達することが目的化されているならば、能う限りノイズは除去されるはずです。では、『+51 アビアシオン、サンボルハ』はどうか。先述のように、わたしはそのメッセージを掴み損ねています。であれば、メッセージなど始めからないか、電波よろしくわたしが手前勝手にそれらしきものを受け取ったのか。いや、そうではないだろうと、壁面に投影された英語字幕のことが引っかかっています。
たとえばチェルフィッチュ『地面と床』にも英語字幕の投影はありました。とはいえチェルフィッチュの作品がこれと同様の手触りだったかといえば違います。作品同士を対比させることもできるかもしれませんが、私の能力では叶いそうにありません。むろん、単純に海外上演を見越した措置という側面もなくはないでしょう。いやしかし、母語を失うほど海外を経巡ったマルチリンガル佐野碩と、複雑と言っていい自らの出自の地理的歴史的条件を題材にしたこの作品で、「翻訳」の問題が念頭になかったはずがないと思います。そしてそれは、当たり前のことですが、テクストの水準にとどまらず、俳優個別の身体を通過している点、ラップという文化が想起される点で、非常に興味深いです。
そして同時に記憶/忘却というテーマ。大量に吐き出されるセリフを覚えていられないということ。そしてそれは量的問題である以上に、連続を関係づけられない、そもそも記憶しづらい語りであることが、神里さん自身の言葉でいうところの「政治」や「対話」と切り離せないものであろうという直感だけは忘れずにいたい、などというところで、ベンヤミンの一つも読んでみなければと思う次第です。