劇団どくんごについて

東京、仙台と今年のどくんごを観てきた。
2012年から旅を追ってきたが、今年は劇団からアナウンスがあったとおり、最後の旅となる。
最後とはいえ、テントの中が感傷に傾くことは、少なくとも自分の居合わせた2公演ではなかった。かつての通り──2022年に逝去した演出家どいのさんの不在を除いては、と書いてしまうが──のどくんごの姿があった。

東京公演に誘った友人のひとり、渡邉千尋さんが書いていた通り、どくんごの芝居はいつ頃からか、オープニングで「お話とか、ないから」と五月さんが説明することから始まるようになった。どくんごには物語も、意味もない。しかし眺めていれば、演目ごとに笑いがあり、ときには心を深く刺激するエモーショナルな時間も流れる。団員ひとりひとりの声や、身振りや、選曲とのマッチングを浴びていれば、自ずとどくんごへの体重のかけ方は掴めてくる。各々が自由に見ればいいし、そして、各々が自由に見られるような手の添え方が、どくんごには常にあるように思う。

そう、物語や意味の不在の宣言とともに、「好きなように見てください」とも、五月さんは言う。これは、なにか難しげに考えるような構えはいらないという話であるとともに、言葉通り、勝手な連想を持ち込んでも(それなりに)よいということでもある、と思っている。
最終的には全体の統一を考えられた演目の連なりがあるにせよ、基本的に演目は団員それぞれが制作したものが舞台にかけられている。だから、本当にどくんごには物語も意味も発生しようがないわけだが、不思議とあちこちに同一のモチーフやイメージがあるかのように見えることがある。それはあたかも夜空に散った星たちの点が、人間の視点から線を与えるなら、星座と呼ばれる一個の図像を織りなすかのようなものだ。無意味なはずの諸演目が混沌をなすわけでもない、不思議なまとまりを持つ理由であると考えている。
人は、どこにでも意味の手がかりを見出してしまうし、そして公式に「自由」が推奨されていればこそ、むしろ人がこうして何かに意味を作り出してしまうような働きにも、いっそう自覚的になれるはずだろう。だからどくんごは、徹底した無意味を志向しているわけでもなくて、時々意味ありげな瞬間すらも懐にしまいこんだ、それゆえにひじょうに豊かな奥行きを持った時間/空間を作っているのだと思う。
どくんごでは意味の燐光が、暗転に、あるいは幕を取り払った夜の闇に輝いている。私は、それを追ってしまう。しかし、他の観客は必ずしもそうではない。芝居が終わったあとにそのままテントで行われる打ち上げで感想を交わせば、そんなふうに見えていることもあるのかと驚いたりする。それをまた、団員たちも面白がったりする。どくんごのテントという空間に、我々は改めてバラバラであることを知り直すためここに集まっている、とすら言いたくなる。
公演が終われば、どくんごもテントを解体して次の公演地に向かう。あとには、ほとんど何も残らない。しかし、ここで確かに何かを見たのだという経験が想起される。彼ら彼女らの声や、身振りや、音楽や、星座のような意味の手がかりが、記憶を吹き抜けていく。
風のように感じられるからこそ、もういちどあの時間が何だったか、確かめたくもなる。そして、テントの中で過ごせば、風はむしろ熱気となって肌を打つ。

これこそどうしようもないこじつけだが、実生活でもパートナーであったふたり、つまり演出のどいの=伊能夏生と五月うかという、暑く解放的な夏という季節を刻んだ名と、5月という1年で最も快い風が吹く季節を刻んだ名が、どくんごのテントを支える太い柱であることを、美しい偶然として愛している。
緑が爆発している。そのように、五月さんは今年の芝居の後半で叫ぶ。爆発する緑の陰には、不可視の生命もしくは怪異たちがほとんど無限に蠢くだろう。緑が爆発している。つまりそれは、どくんごのことに他ならない、はずだ。

ここまで書いて口が淀むのもなんだけれど、どくんごについて何かを書いておきたい、そしてそれは、まだどくんごの芝居を、なによりあのテントのもとで時間を過ごしたことがない、あらゆる友人、もしくは見知らぬ人に向けて、どくんごに行ってくれと言い募りたいがためのものだったのだが、どうにも収まりの悪いかたちでしか書き進められなかった。
ただ、ひとりでもあの時間を過ごしてみてほしい。私たちはこのくらい贅沢に生きていい、25歳の私はそのように勝手に受け取り、それを実践する支えとしてどくんごと接してきた。あなたも、おそらくは、そうなる。

 

www.dokungo.com