韓国旅行記(2)

 2日目の朝。ホテルの地下で朝食を出しているというので行ってみると、シリアルとパンがあった。従業員らしいにこやかなおじさんがいた。おじさんは何をするわけでもないけど、そこにずっとただいる。
 トーストを焼いてジャムを塗って食べる。日本のものよりも、小さい食パン。シリアルも少し食べた。
 
 DDPへと向かう。これもせっかくだから徒歩で。宿からは30分強。ビジネス街らしきビル群はすぐに終わって、低層の古い建物が並ぶ問屋街がはじまった。主に照明を扱っているらしい。
 遠回りになるが構わず横道にそれると、より雑多な事務所や、何ともつかないお店がぎゅうぎゅうに並ぶエリアに入り込む。なにやら機械の部品などを扱っているのだろうか。
 魚を釣り上げた写真が外に飾ってある店。店内には、その写真に写っているおじさんがいた。
 狭い道をバイクも車もひっきりなしに行き来する。車が一台、荷下ろしのためか堂々と道を塞いで駐車している。後続にはもう一台の車と、大きな荷物を荷台に載せたバイクが来る。時間がかかりそうととあきらめたのか、バイクはエンジンも切ってしまった。
 車は日本よりずっとひんぱんにクラクションを鳴らすが、あまり感情的なニュアンスを感じなかった。実のところはそんなことはなくて、すぐにイライラしているのかもしれないが。歩行者優先のムードはないのか、どこでも車はずいずいと入ってくるが、狭い道では日本よりも細かくハンドリングして避けてくれるような感じも受けた。

 東大門エリアに着くと、目当てのDDPが見えてくる。
 遠目に、宇宙船めいた銀色の建造物がうかがえる。いかにも現代建築然とした不定形なフォルムが周囲を圧倒するように存在している。いい加減に、とりあえず、写真を撮る。



 信号をわたって、建物が近づく。DDPと刻まれた門前(?)。ここから経験の質は一気に変わる。
 前方、まっすぐに伸びる動線を追うと、流線形の屋根はトンネルを作っていることが分かる。あるいは極端に分厚いアーチ。動線はトンネルを貫くように奥へと続いている。
 DDPの文字を手前に写真を映そうと横にずれると、奥へ巻き込むようにカーブしているのが分かる。いや、動線の直線上にいるときはその湾曲の意味がわからなかったのだ。巻き込みの曲線は、左手奥の別の流線へと視線を促す。ジグザグに登り降りする太い線。



 奥へと進むと、さきほどの巻き込みは回遊を誘う、あたかも先導者となって歩行者の手を引くような働きを生む。同時に、そうした促しは施設利用時のデザイン上の要請であるだけに留まらず、屋根と見えた、しかし今となってはそれが巨大な鯨のような全体として感受される構造物の物質的な厚みの変化を味わうことと共生している。銀色のそれは、ところどころ垂れるように、落ちかかるようにぶよぶよとしたものに思える、が、これも目を凝らすまでもなく、それぞれ大きさが異なる四角形のパネルが無数に貼り合わされた表面であることを認識する。メタリックでつめたい感覚が喚起される。そしてパネルはつるっとした表面のものと、細かい穴が穿たれた多孔のものとがパッチワークされている。これが機能上の必要によるものなのかは素人でわからないが、穴の空いたパネルはうっすらとその奥を透かしており、内/外をつなぐものでもあると感じた。
 さらに、動線は最初に起きたことと同様に、こちらのわずかな視点の変化によってダイナミックに風景を変える。線は重なり、見通しのいい奥行きは閉じられ、既知の空間を未知の空間かのように変えてしまう。おもしろくて、階段も10段ごとに振り返って光景の変化を確認する。
 このシークエンスは、そこにある身体でないと、見ることができない。
 
 内部に入ると、というか、まずもって内部に侵入する際の極端に斜めに設えられた自動ドアに圧倒させられる。その先の空間の広がりとのコントラストが面白くて動画を撮ろうとしてみるが、やはりどうやったってうまくいきそうになくて諦める。
 まずはカフェなのだが、こちらは外部と一転、鋭角なモチーフが目につく。床は平行四辺形のタイルがランダムに配置されている。黒色もグラデーションで2色。白く艶めかしいカウンターや椅子はいかにも設計者の意匠という感じだが、利用者が腰掛けるのはなんだか雑駁な椅子とテーブルだった。それと、店内BGMがJPOPのピアノインストバージョンばかりで閉口した。頼んだアイスティーもガムシロップを5個くらい入れたような甘さでびっくりする。

 次いでアートホールのむちゃくちゃな形の螺旋階段に笑ってしまう。やはり最近見た白井晟一松濤美術館の螺旋階段の楚々たる印象とはまったく違い、空間を圧する螺旋のボリュームと、他方で掻き傷のようにシャープな手すりのコントラストは不協和音的な印象すらある、が、不快さどころか官能もたしかにある。

 


 隣のスロープのほうに移れば、建物をゆったりとなめらかに登っていくことになる。鯨という生物的な印象のモチーフにこだわるなら、胎内的な落ち着きも感じさせる。また、こちらも螺旋形であることがすぐ分かる。ロープと階段は並行して──しかし異なるリズムで──巻き上げられていることに気づく。
 階段とのリズムの差。そう、リズム。目で線を追うこと、歩くこと、あるいは素材の質感を触覚的に感じ分けること。DDPは、土地の起伏というランドスケープをも取り込んでいる。建設途中に発掘されたという遺構によって、時間をも重ね書きしている。それらのバラバラなリズムが統合された空間の、あまりにも複雑なおもしろさ。
 何時間でもいられる、そう思ったし、予定を超えて2時間以上は滞在していた。

 
 せっかく旅に来たから、どこかでボールを投げている動画のひとつも撮ろうと道具を用意していた。外周をまわったところで、最初に通った道(橋だったことが分かる)が奥に見える、そして手前には鯨の腹の下に潜り込んでいくような広場につ続く、ゆったりしたスロープがある広場のところで撮影した。さむくて手がうまく動かないし、何をしているのだという気にもなったが、どうせならと数パターン撮った。思ったよりうまく撮れない。まあいいか。

 東大門から、またもと来た方向に戻っていく。ただし、北側のチョンギェ川のほうを通って。
 川沿いには細々とした店が並ぶ。主に古本屋、衣料品店。誰かが買いに来ることを歓迎しているわけではないというか、どうして商売が成り立っているのだろうと思いすらする(本を読んだら、夜になるとバイヤーが来るとあった)。
 地下鉄駅にはしばしばなんとかモールと名付けられた商店街があるのだが、これの多くは衣料品店で、どれも極端に安い。それだけにデザインや品質もいいとは思えず、実際、店員同士で雑談しているばかりで客がいるところはほとんど見かけなかった。
 日本にだってそんなところはいくらもあるわけだが、ソウルに関してはあまりに鷹揚ではないかと思ってしまう商売人たちの姿をよく見かけた。

 平壌冷麺の有名店に行くが、昼もずいぶん過ぎたというのに5組も待っているというから、さっさと諦めて適当なハンバーガー屋に入った。バーガーキングのような味。家族はチャジャンソースのハンバーガーを頼んでいた。
 トイレで用を足して、あとから写真を撮っておけばよかったなと後悔したのが水洗のボタンのデザイン。日本で「大/小」と文字で識別させるところ、大は大きい円形、小は小さい円形だけで処理していた(帰ってからよく見るとTOTOのものでボタンの大小で区別はしていた。形態的なデザインを意識せず文字を読んでしまっているということだ)。何の説明もなくても直感的に分かる。家族に話すと、別の場所では円の大きさは同じながら、中に描かれている水滴の絵の大きさで使い分けを促していたものもあったとのこと。

 DDPでだいぶ満足してしまったが、建築士の友人に勧められていたリウム美術館を見物に梨泰院のほうまで地下鉄で向かう。駅ではずいぶん日本語が聞こえるようになった。海外で日本語を聞くと、すごく損をした気分になってしまう。
 で、リウム美術館なのだが、やはりDDPで完全に飽和状態になってしまい、新鮮に受け取れるものはあまりなかった。むしろ、すぐ目の前にあるBORN TO STANDOUTという韓国発のフレグランスメーカーのフラッグシップ店を楽しむ。日本ではまだ限られた場所・機会でしか嗅げないので、ひととおり試香。SIN&PLEASUREと題されたものが好み。まあでも、買うほどではない。ハンドクリームもいいのだが、それほど乾燥肌でもないし使う機会が少ないなと見送り。完全なる冷やかしとして退店。
 柴犬とすれ違った。 
 家族の希望で坂を下り、漢江のほうへと向かう。だが、これが失敗。幹線道路で岸は遠くに阻まれ、橋の方を目指すも行き止まり。調べてわかったことなのだが、漢江に掛かる橋で歩いて渡れるようなものは皆無に等しいらしい。
 あきらめて南山駅から龍山駅へと向かう。

 龍山に向かう2号線地下鉄は、低層の古めかしい住宅街を車窓から伺わせる。どのくらい小さな駅なのだろうと思いきや、バカでかいので驚く。あとから、東京で言えば品川駅のような駅と見かけ得心する。
 ただここにも飾り窓があったと聞く。10年ほど前に一掃され、いまはすべて高層ビルになったそうだ。そうした歴史など知る由もない、ただただ韓国の発展の象徴だけがある。
 
 龍山に寄ったのはシーシャ屋である。最寄りは三角地駅なのだが、少し歩いて、また夕飯に先んじて、目当ての店に向かった。が、まだ開店には早い。
 戦争記念博物館があるが、ここには間に合わず。地図アプリを見ると、すぐ目の前にふしぎに青々とした記名のない空間が広がっている。米軍基地であるらしい。皇居外苑を含むほどの広大さとのこと。都会のど真ん中に、地図上の空虚として、米軍がいる。
 ごく小さなカフェでコーヒーを飲んで時間を潰す。40歳くらいの女性が1人で店に立っていて、別に不親切ということもないが、まったく英語を使ってくれないので、いやだからといってそんなに困るようなことはないのだが、とにかく何も聞き取れない。
 私の韓国語の能力だと、ネイティヴの彼ら彼女らが言っていることは、本当に何ひとつ分からないと言っていい。とくに店員はコミュニケーションというよりは、ルーティンで、慣習で発話するような、現地の人はあえて聞き取らずとも(日本の居酒屋に入店して「っしゃーせー」と聞こえても、それが「いらっしゃいませ」だと言っていることは状況と経験から分かるのと同じように)意味がわかる、そうしたものに関しては、とくに知識なしではまず聞き取れない。ファストフード店でなにやら訊かれてあいまいな顔をしているとHere? or To Go?と訊き直される。つまり店内で食べるのか?持ち帰りか?と。
 これはだから、おそらくは드시고 가세요? 가지고 가세요?と訊かれていた(はず)のだ。ただ、それがわかったとて、そしてたどたどしく韓国語で返したとして、次に来る韓国語はまた聞き取れないだろう。しかたないので英語でやり取りをすることになる。
 けれども、韓国語を学んだのだなという嬉しい実感を得られるシーンも多々あった。ここが何の店なのか、何を注意している張り紙なのか、おおよそは分かる。自分が異なる言葉を扱えている、その優越感。じつに初学者的な喜び。

 シーシャ屋。DAYOFF CLUBという。地図アプリで見た店内写真も品が良く、日本のシーシャ屋のイメージにも近かった。体格のしっかりした、まっすぐな目つきの青年が店員。前日と同様、簡単にメーカーについてなど質問。なんとなく彼なら任せられるだろうという直感が働く。
 最初にサービスのスナックなどを運んできてくれる。日本人ですか?と日本語で訊いてくる。そうです、と日本語で返す。店員は物静かに微笑む。シーシャ、よけいなギミックもなく、なめらかできれいな煙を作っている。あまり詳しいほうではないし、情報をあまり入れすぎないようにしているのだが、十分にうまいことはわかる。
 炭替えに来て、チェックし、いちど首を軽く傾げてもう一度炭の位置を調整した。
 退店のとき、아주 맛있습니다と告げると、照れくさそうに両手を胸に当て微笑んでいた。

 明洞へ戻り、友人たちへの土産物を仕入れる。ちいかわのグッズが気になる。グミの袋にランダムに入ったスマホグリップ。本にやたらめったら付箋を付けているうさぎのもの。どうするか、としばし手にとって見たが、買わずにおく。
 思えば、自分のために買った土産物は何ひとつないのだった。

 ホテル近くの店で食事。お腹が空いていたのでビビンパ、キムチチム、チヂミ、ケランマリと頼んだら、ひとつひとつの量は多いわおまけのキムチ類はおかわりを持ってこられるわで大変な思いをする。
 そういえばと気づき、持ち帰りを頼むことにした。この旅一番の長文である。남은 음식 포장 가는한가요?  
 が、カンの良い店主はこちらが남은 음식...と言ったくらいで포장! と言って、テキパキとチヂミとケランマリを詰めてくれた。