韓国旅行記(1)

 韓国へ旅行に行った。
 毎年、家族の誕生祝で10月頃に旅行をするのが慣例になっているのだが、いろいろあって誕生日からは半年ほど遅れてこの時期となった。家族は海外に行ったことがないので、では手近でKPOPに親しみもある韓国がいいか、となった。
 自分はと言えば、仕事で釜山の海雲台という場所に5年前一度だけ行ったきりで、ソウルははじめて。わずかに韓国語を学んだり、付随して小説を読んだり新書レベルでおおまかな近現代史に目を通したことがあるくらいで、ほとんど韓国に対する知識もない。ので、いざ韓国行きのチケットを手配しても、なかなか目的地やすべきことが定まらず、旅の焦点を結ばないでいた。

 それが近頃、建築に関心がわいてきたこともあり、またつい最近に建築士の友人と都内の建築・都市再開発地域などをめぐったなかでザハ・ハディドの話題が出てきて、それならばソウルにもDDP(東大門デザインプラザ)があると気づき、そこを軸に街歩きや寺巡りなどをすればいいかと輪郭が定まってきた。食に関しては、日本のそれと大きく変わらないだろうと踏んで、行き当たりばったりでよいとした。
 並行して、宿を探した。昨今のトコジラミ騒ぎもあるので、また家族旅行でもあるので、高すぎず安すぎずのいい塩梅の場所を明洞にて発見、予約。大きく息を吐く。だが、この段階で明洞がソウルのどこに位置するのかも知らない。次いで、仁川空港からソウル駅への動線を確保。AREXの直通電車を事前に予約するといいと見たので、コネストから予約する。もちろん仁川からソウルへの距離感も知らない。約50分ほどの乗車時間とあるので、結構遠いのだろう。
 今度は地下鉄の行き来を便利にするらしいwow passという電子カードだが、どうせ歩き回るだろうと思い、これは作らないことにした。結果的にはずいぶん地下鉄の世話になったのだけど、それほど不便は感じなかった。そして端末を使うためのsimカード。esimもあったのだろうけど、なんとなくくせで物理simを購入。5日間毎日1GBまで使えて1000円ほど。
 事前の準備はこのくらいだろうか。だとしてもイチから雲をつかむように情報を探していくのはそれなりに疲れた。また、ひとりで勝手に旅するのとは違って、初海外の家族を連れて行くのだから、それなりに責任もある。くわえて渡韓の前週に松山へ行く用事も入れてしまい、旅続きの2月になった。そして確定申告作業である。行きつけのシーシャ屋にいつもより多く通い、気を紛らわせていた。そういえば韓国のシーシャはどうだろう?こちらも旅の予定に入れ込むことにした。

 5時台の都営浅草線に乗り、成田空港第一ターミナルへ。近頃の国内線はオンラインチェックインばかりだったので、パスポートチェックインはずいぶん久しい。カウンターに行かなければいけないのかと思ったら、端末に読み込ませればいいのだった。複数の航空会社から、今回の航空会社を選択する。ボーディングパスがペラペラの紙で出てくる。家族が早々に破いていた。
 これも知らなかったのだが、保安検査場は7:00にオープンするらしい。30分以上前だ。場所取りのアジア系外国人が先頭を陣取っている。
 とりあえずトイレに行くと、小便器の上のスペースにはコートが置かれていた。届けようにも誰もいないし、職員も見当たらなかった。ねぼけて忘れていたのだろうか。想像する。時差ボケで、あるいは早起きで、空港内が暑くてコートを脱いで、手に持って、それをトイレのスペースに置いて、用を足したらすっきりしてすべて忘れて出ていく。さすがにどこかでコートのことを思い出すだろう。取りに帰れるタイミングで、あるいは手遅れのタイミングで。旅の記憶として。

 つつがなくフライトを終えて仁川空港に到着すると、信じられないほど長いイミグレーションの列に圧倒された。
 つづら折りに並ぶ人、人、人。おそらく1時間以上並んだ。simカードの入れ替えもできない(あたりまえだが機内でやればよかったのだ)ので、空港のたよりないFree Wi-Fiで調べ物などをする。いちいち途切れる。
 パスポートチェックと指紋・顔写真登録を行い、一息つくヒマもなくAREXの乗り場を探す。それほど本数が多くないから、あまり乗り逃したくない。券売機でQRコードを読み込ませようとするが、あいまいな赤外線の所在が画面をうまく捉えてくれない。いらいらして手打ちで予約番号を入力。うまい具合に、残り5席と表示された直近の列車に乗り込むことができた。車窓を見る気にもならずスマホアクティベーションに勤しみ、また寝、たまたま渡韓の時期が重なった友人と連絡を取ったりしていると、ソウル駅に着いた。
 
 長大なエスカレーターを3回くらい登ると、開放的な駅舎に到達する。目先の出口を通ると、ソウルの勾配に富んだ街並みが目に入ってくる。低い山があって、その中腹くらいにビルが林立している。なんとなく、ソウルだ、と思う。
 喫煙所があったので、喫煙者の家族はそちらへ向かい、自分は家にあった小銭で飲み物を買う。そう、以前の旅の残りもあったが、時おり投げ銭に紛れ込んでいた500ウォン硬貨が何枚かあったので、それを使った。
 お茶を飲みつつ喫煙所を眺めていると、皆が痰を吐くのを確認する。これもあらかじめ聞いていたし、かつての渡韓でも目にしたような記憶があるが、そんなに痰が出るものだろうかというくらい皆吐く。日本の公衆マナー的にはあまりほめられた行いではないわけだが、そもそもそんなに痰を吐きたくなるものだろうかという疑問が先立つ。男性のほうが多いように思ったけど、女性も全然吐いていた。以降、これはソウルの風景として1日に何度も当たり前に見かけた。
 そして喫煙率もひじょうに高い。日本でいうと違法駐輪という感じだろうか、そのくらいの気軽さであちこちに野生の(?)喫煙所が生まれていた。これも男性が多かったように見受けられたが、女性もなかなかに喫煙していたし、ポイ捨てもふつうにあった。実際、ソウルの道端は吸い殻だらけである。
 大まかなソウルの印象のひとつに、20〜30年くらい前の日本の風景を幻視しているような感じがあった。たしかにこのくらい道は汚れていたし、ゴミは捨てられていた、はずだ。
 だから韓国は遅れているなどと言いたいのではなくて、ただ単に、そういう印象があるのだった。そもそも、ソウル市民が痰を吐こうがポイ捨てをしようが、それほど不快に思うこともない。自分の土地ではないからかもしれないが。

 ソウル駅を出ると、漠然と広い空間が現れる。階段を下って左に進むと辰野金吾ふうの、もっといえば東京駅丸の内駅舎の引き写しのような旧ソウル駅舎が目に入る。子弟たちが旧植民地に辰野様式の建築を残している。これはその有名なもののひとつだ。
 駅舎には進入禁止の囲いがあって、あまり近づけない。
 付近には、高齢の男女があてなくふらふらとしている様子だった。よく見ると住居らしき集積物がそこここにあったので、野宿者たちと合点する。さらに奥では炊き出しがなされていて、20~30人くらいの人たちが立ちながら食事をしていた。鳩にそれをあげている人もいた。鳩は日本と同じようなドバトだった。その鳩の群れをかいくぐって地下道に進んだ。
 明洞まで歩いていくうち、naverの地図アプリにマークしていたソウル図書館を通っていく。しかし休館日なので中には入れない。旧ソウル市庁舎であり、これも植民地時代の日本建築である由。館内は現代的に再デザインされているようだ。
 図書館前の広場では、どういったタイミングでなのか梨泰院の圧死事故の犠牲者たちを追悼するブースがあった。おそらくは可能な限り全員の遺影を並べ、悲痛なバラードとなんらかの取材映像をモニターで流し続けていた。
 GS25というコンビニで、NERDYのセットアップのジャージを着た、至って無愛想なお姉さんのレジ(なにかの書類が散乱していて商品を置く場所もなかった)からキンパとおにぎりを買って外で食べた。キンパは2800ウォンくらいだったと思う。ほとんど一食分を賄えるボリューム。味も全然いい。
 気づけばソウルには腰掛ける場所もゴミ箱も当たり前にあって助けられる。日本がおかしすぎるだけで、これは当たり前ではないかとあらためて思う。
 
 明洞に着くと一転、日本人と見るや日本語で化粧品や何かをしきりに勧めてくる。また、明洞の道では夜に向けて出店を準備するらしい。大きな四輪の屋台を引いている人が次々と狭い道を通っていく。ともあれ、やかましいしあまり自分には用のない場所だな、と思う。中国大使館前で換金を済ませる。大使館の前では法輪功の人間らしい男が座禅を組んでじっとしていた。
 イシューを違えても、こうした座り込みを、ソウルではしばしば見かけた。また、いちいちを読もうとしていなかったので訴えのそれぞれを理解はできなかったが、何かと横断幕を掲げる文化があるようだ。これはおそらく市民の訴えにとどまらず、公共施設らしい建物の門前にもよく見かけた。どうみてもそれのためにあるわけではなさそうな2本の柱にも半ば強引に結われて渡された横断幕もあった。
 さらに大雑把な印象を書き留めるなら、ソウルというのはとにかく文字に覆われた街だと思った。明洞のような観光地はともかく、すこし町外れに出ると、看板もドアも文字で埋め尽くされている。いくら読めるとはいえなじみの薄いハングルだから余計にそう感じるのだとしても、広告的な洗練よりずっと直截に、「文字」そのものが通りを浮遊している。
 話が横にそれたついでにもうひとつ印象を書いておくと、ソウルの広告で西洋人がモデルに使われているイメージが日本よりずっと少ないことにも気づいた。あるいは、日本にそうした西洋人のイメージが多すぎるのかもしれない。

 明洞の街中を通り過ぎると、これもマークしていた大聖堂が現れた。韓国最古のゴシック建築教会ということだそうだ。観光地ではあるのだが、今も変わらぬキリスト教徒たちの祈りの場である。マリア像に拝跪する者、長椅子に腰掛けつつロザリオを握って像へ顔を向ける老婆。教会のなかに入るとミサを待つらしい人たちがじっと椅子に腰掛けている。シスターは壁面のレリーフに向かって正対して目を閉じ祈りを捧げるようにして、それを壁に並ぶひとつずつに繰り返していた。あまりうろつくべきではないと判断して、すぐに辞去する。
 ヨーロッパでも都度に教会を見たけれど、イタリアの小さな教会に漂っていた濃厚な信仰の香りを忘れがたくいる。ここはソウルでも最も大きな教会のひとつなのだろうが、そうした濃密さがあった。そして濃密さは、この場に長々といるべきではないという緊張感と共にある。
 このときも、またソウル駅での野宿者たちに対してもそうだったけど、自分が観光客=よそものであることをたびたび意識させられる場面があった。つよくその土地に固有な雰囲気を作っている空間に出くわすと、それをおもしろく・興味深く思う。ただ、そうした興味を向けられているためにいるわけではない彼ら彼女ら──あるいは無機物にですら──に対して居心地の悪い思いをする。
 観光地は退屈だ。南山のタワーも、何度も目にしながらそこに行こうとは思わなかった。景福宮すら素通りした。漂白されているだろう空間に、スタンプラリーのようにして訪ねる意味がよくわからない。これは家族も価値観を同じくしている。かといって、ヴァナキュラーな存在へ、ことさらにおもしろがる視線を向けていればいいというものでもない。基本的なことだが、そうした緊張感は常に生々しくうまれる。
 ありていに言ってしまえば、我々もまた「観光客」として見返される視線に緊張しているのだろう。振る舞いや視線の馴染まなさはすぐにバレてしまう。空間に対して最低限の緊張感を持つこと。当たり前のことである。だが、その緊張感をもって興奮しても、しようとしてもいけない。当たり前のことだ。だが緊張感はあり、その心地よさもある。

 緊張感は、街の方でも失っていたりする。すくなくともそう感じる場所はある。
 ホテル(きわめて感じのいいフロント)にチェックインして荷物を置いてから、夕暮れにかけて北村へ向かった。韓屋という伝統的な様式の家が並ぶエリアだ。まあここも、観光スポットとして紹介されているのだから薄々そうだろうとは思っていたが、韓屋のリノベーションをして今っぽいカフェやらバーやらお土産屋やら、そういうもので商売をしている場所であった。ひとつひとつの趣味がおぞましいほど悪いということもなく、好意的に目に留まる店もあった。とはいえ、あまりに〝いい感じ〟過ぎはしないか。もう少し早い時間に訪ねて、もっとゆっくりまわれば印象も変わったかもしれないが、世界はどこに行っても同じ!という気分になる。
 早々に離れて、歩いて明洞の方へと戻っていく、どころか、ソウル駅に近い市庁駅まで歩く。
 
 先に韓国を旅行していた友人とスンドゥブ屋で合流する。家族も見知った古い友人なので3人で食事する。スンドゥブにはビビンパもついてくる。といっても米は釜炊きのそれで別にやってくる。まず店員が友人のものでデモンストレーションしてくれる。具材の入った大きな器に8割くらいのご飯を移して、念入りに混ぜてみせる。次いで、釜に残ったご飯には熱い烏龍茶をそそいで茶漬けにしろという。ほかにも韓国料理屋ではおなじみのキムチ等の付け合せがくる。これらすべて合わせて10000ウォン程度なのだから驚く。
 韓国料理。以前に釜山へ行ったときも強く感じたのだが、現地の料理は案外うすい味付けである。濃い色にはくどいほどの甘みや辛味を想像するのだが、逆に言えばそれを期待していると肩透かしにあう。実際、家族はそうだったようだ。先に言った烏龍茶漬けは、どう楽しむといいのかわからないほど味がなかった。いま思えば、付け合わせに来た、えごまの葉のキムチはこれに入れるのだったか?

 友人はチムジルバンというスーパー銭湯のような(友人曰く「スーパースーパー銭湯」)場所にハマったらしく、そこへ向かった。我々はシーシャ屋である。都内の異常なほどの多さに比べて、ソウルには限られたエリアにしかないようだ。実際、明洞からすぐに行ける場所には前もって当たりをつけていたこの一か所しかなかった。
 そもそも、ひとつひとつ地図アプリで店をチェックしていくと、ずいぶんギラギラした感じの店が多いのと、ユーザーの投稿した写真も酒のほうが多かったり、実態があまり見えない。とりあえず、向かう店にはクラシックなエジプシャン台を扱っているのが確認できたし、そこまで気に食わないこともあるまいと入店。ビルの5Fにあり、通りを一望できる窓と、半個室めいたスペースと、なにより絨毯敷で靴を脱いで、なんなら横になってシーシャを吸えるというすばらしい環境。ここまでの店は、都内にはほぼないと言っていいだろう。
 簡便なメニューしかないので、店員になんのメーカーを取り扱っているか尋ねる。一般的なものは揃っているようなので、自分の好みのアルファーヘルのオレンジを注文する。しばし待って到着。5cmくらいの厚みの正方形のアクリル板を設え、いらないのにLEDライトを点ける。台を置くとボトルが七色に光る。珍しいと思ったのは転倒防止のチェーンで台を留めること。窓際・壁際ならではだろう。シーシャ好きの友人たちに写真を撮って送る。2時間ほど過ごして、歩いて宿に戻る。日付が変わっても賑わう屋台、誰に贈るのかこれも露店の花屋、溜めに溜めた灰皿をぶちまけたのでもでもこうはならないだろうという量の吸い殻が散乱する休憩所。
 
 宿に戻る前、KMARTを覗いてお菓子でも買おうとしたが高いことにびっくり。ロッテのガーナが3000ウォンくらいだった。