素描_10中

 レモンミント。ミントは中東っぽい感じの?という、今までに重ねたやり取りを多分に含んだオーダーの、気のおけない、ざっくばらんな、しかしひとつの約束のような確実さを持った、そうした厚みのある短い会話。やってくるのは極上と言っていいシーシャである。予定はなかったのに、図書館からの帰り道にたまたまKさんからLINEが入ったから、ここにいる。今いるんですか?もうすぐ店の前を通るところですと返した数分後にはそのオーダー。店の一番奥のソファに腰掛ける。さっき来たばっかりだというKさんが吸っているシーシャをまずは少し分けてもらう。本当に驚くべきことに、どこまでもジューシーなメロンの味わいが煙に乗せられている。
 壁にかかったテレビではイスラエルパレスチナの戦争のニュースが、長い時間取り上げられている。画面中央のすこし左側で光が何度か瞬く。その映像が何回か反復される。おそらくは兵器の射出の瞬間である。手早く用意されたレモンミントのフレーバーを吐き出した煙であいまいに画面を隠す。そんな薄い煙幕を貫いて、瞬きは眼に刺さる。タランティーノイスラエル軍を表敬訪問したというツイートを、朝に見たのだった。軍人たちに囲まれたタランティーノはあの見慣れた笑顔でカメラを見つめている。タランティーノの妻がイスラエル人だとはじめて知った。いや、聞いたような気はしたが、あまりはっきり覚えていなかった。
 パレスチナ鵜飼哲『いくつもの砂漠、いくつもの夜』がたまたま手元にあった。ジュネの話が出てくる。そうジュネの大部な『恋する虜』をずっと読みあぐねているうち、ふたつの国は戦争状態に突入していった。もちろん、私がジュネを読むことと戦争が起きることにはなんの関係もない。ただそうした想像の貧しい結び目なしに、どのようにしてその戦争を受け止めればいいのか、という話である。もちろん、粛々と知るしかないわけだ。そんな決意もただただ貧しい。そんな自省もすべてが貧しい。とにかく人が夥しく殺されている。
 テレビは大谷翔平藤井聡太の活躍のニュースに変わっていった。大谷、ドレイクに気に入られた途端に怪我したらしいですよとここで話していた話題をKさんにも話した。ドレイクに気に入られるとよくないことが起こるという、ずいぶん失敬な話があるそうだ。そんな話を聞いた翌日に大谷は怪我したのだった。ドレイクはカナダ人だそうだ。はじめて知った。

 長い長い電話をした。ほとんど夜通しの電話は途切れることない話題を継いで、人と話す喜びを編み上げた。話し終えて、話しはじめる前には見えなかった何かがそこに生まれている。さまざまな喜びがある。知ることの、胸襟を開くことの、からかうことの、疑うことの……そうしたすべてが織り込まれた形。雨が降る夜、電話を続けるために腰掛けたベンチの目の前には植樹された私には名前も分からない木があって、いびつな枝ぶりをいたずらに眺めてはそれすらわけもなく好ましいと思う時間が流れた。雨脚は強まって、枝葉に守られていた乾いだ地面もやがて全部濡れてしまった。手すりで分割された小さいベンチの片方に雨が入り込んでくるから、より奥のほうへと席を移す。斑にベンチも濡れていく。ハンズフリーにしているから置きっぱなしにできるスマホの画面にも雨粒が並ぶ。それらも手前に引き寄せる。話し相手の声が一瞬途切れると、屋根を打つ雨音がイヤホンをしていない左耳に鮮やかになる。イヤホンをしている右側から、また声が聞こえはじめる。雨のことはすっかり忘れてしまう。
 気づけば今年はずいぶん人と話している。いつになく、というより、いつにも増して。そろそろモノのほうへも行かないとなと思う。

 それでも話をする機会が減るわけではない。Kの展示を見に行ったら、資材が転がっているがらんとした広い部屋に通されて、窓際に椅子を並べて、これも長いこと話した。外に見える趣味の良いタイル張りのビルはそのうち取り壊されるらしい。が、この物価高騰で解体の目処が立たなくなってしまって、しばらくはそのままなのだと言う。向こうから黒い黒い雲がやってくる。あっという間に部屋はうす暗くなって、お互いの顔に影を落とした。この日も雨が降った。構わずおしゃべりは続く。我々がいるこのビルも様変わりするらしい。吹上御所があるおかげで、銀座は気温が低いと知った。それはおしゃべりでなく、作品によって。それもまた作品フレームのうちに包含されている、窓の斜交いに設えられた、街を見下ろす真っ白な怪物の像。彼──と言っていいかわからないが──には雨樋の機能が与えられているとはじめて知った。これはインターネットで。

 夜通しの電話の後に長く眠って、目が覚めたら今日も雨が降っている。風に煽られてほとんど真横に雨粒が飛んでいる。でも天気予報の通り、それも午後には止んだ。