韓国旅行記(3)

 三日目にして曇り。拍子抜けするほど寒さはない。聖水駅へ向かう。
 清澄白河か蔵前かという、工場地域におしゃれなカフェや古着屋やらが入ってきた地域という。が、工場地域としての機能はぜんぜん現役で残っていて、何かを削るような荒々しい音はそこらじゅうで鳴っているのに、平然と現代的なカフェが何食わぬ顔であったりする。通りも、いかにもおしゃれに敏感そうな若者と、油で汚れたつなぎ姿のおっさんとが同居している。ちぐはぐだ。
 このちぐはぐさは、すでに日本、とくに東京から失われつつあるものではないかとも思った。もちろん、東京にも目を凝らせば、戦中戦後と現在を強引に繋いだようなアンバランスな空間はある。けれども、やはり、実感としては東京の街のほうがはるかに消費主義的な健忘に身を浸しているように思えるし、そしてまたソウル、あるいは韓国はそうした健忘を許さない二重の「戦中」という緊張の中を生きているだろうとも想像する。
 しかしそれでも、ソウルにも健忘の波は覆いかぶさるだろうし、すでにして多くのものが失われているはずだ。五年前の訪韓のときすでに、海雲台の飾り窓は万博に備えて〝浄化〟されていて、廃屋になっていたことを思い出す。今回ソウルで目の当たりにした過去と現在がちぐはぐなまま繋がる緊張感も、どこまで続くだろうか。
 
 どうやら最近オープンしたような雰囲気の店で昼食に冷麺を食べる。注文もタブレットなのでかんたんである。冷麺は黒っぽい平壌冷麺ふうで、スープは細かく砕かれた氷で覆われており、キンキンに冷えている。本格的な(?)平壌冷麺は味がしないとすら思うらしいが、これはそんなこともなかった。
 店主らしいおじさんが、店を出たかと思うと向かいにある野良の喫煙所で煙草を吸い出した。帰り際、仏頂面を崩してにこやかに見送ってくれる。

 案外あまり見るものがなかった聖水エリアから20分ほど歩いて、昨日行きそびれた漢江の公園を目指す。
 川沿いに至れば長い長いサイクリングロード、歩行ゾーンも走り抜ける人がいる。何キロ走れるのだろう。高架下には備え付け(!)のベンチプレスを上下させるおじさん、公園にはゲートボールをしているおばさんたち。対岸の高層ビル群を眺めて、PSYの「江南スタイル」はあの地域をベースにしているわけだなと思った。
 ソウルの公衆トイレはどこも比較的清潔だと思った。

 公園から住宅街を通り抜ける。シンと静まり返っている。赤いレンガ壁の戸建て。居住まいは日本のそれだというのに、見た目は微妙に異なっている。パラレルワールドのようだ、と思う。低層家屋が並ぶ向こうに、ツインタワー。
 無人コンビニがある。試しにチョコパイをひとつ買ってみる。ロッテではなく、オリオンというメーカー。新大久保かどこかで見たことのあるパッケージ。食べたらエンゼルパイのような、マシュマロが挟まっているタイプのものだった。
 
 住宅街から団地群へと変化する街のグラデーションを経て、車の往来も激しいスクデイック駅に着く。旅は三日目にして焦点を欠いたものになっていて、いったんダンキンドーナッツで休むことにした。江南サイドから漢江を眺めてみるか、それとも寺でも行ってみるかと地図を眺めるが、何も定まらない。
 窓の外に、まっすぐ伸びる通りが見える。ここを通ると聖水駅に戻るらしい。入りそびれた雑貨屋とかをあらためて眺めてみようということで決定。LCDCという、複合施設だ。
 高円寺にPKPという、個人的に少し縁のある韓国輸入雑貨店があり、じょじょにメジャー化する(?)韓国雑貨のテイストのなかでも、店主なつよさんのびみょうにヌケた味わいへの審美眼が行き届いた(店に入るとまず1993年の韓国万博のキャラ、クムドリとその関連グッズが鎮座している。すごくゆるいキャラ)セレクトが揃えられている。で、通り過ぎただけのLCDCにもう一度行こうと思ったのは、検索したらこのなつよさんのネット記事があったからだ。
 とりわけ気に入ったのはOIMUというブランドの雑貨。刺繍の施されたブックマーク(三角になっていて、ページのコーナーに差し込む形)や、韓国固有語の色の一覧を収録した本、その他にもマッチ箱、消しゴム……どれも気が利いているし細価格帯もちょうどいい。ひとつそこから選んで、世話になっている人の土産物とした。

 一度、宿に戻って夜はサムギョプサルとする。明洞には数が多すぎて当たりがつけられなかったし、どうせ観光客向けの店しか見つけられないだろうと早いうちに選択肢から切り捨てた。前日に食事をしたエリアから少し進んだ裏通りのほうによさそうなところがいくつか集まっているようなので、そこへ向かう。が、平日というのにとんでもない賑わい。候補としていた店も外に待ちの並びができている。どこもかしこもといった塩梅の盛況で、早々にサムギョプサルは断念。大通りにはテレビ取材を受けた旨を貼り出している店が何件か並び、そのうちのひとつの店のおばちゃんが、通りを挟んだ向かい側の我々にも呼び込みをかけてくる。すごいガッツだ。
 結局は前夜の店に再訪した。骨付きの豚の煮込んだやつと、またチヂミ。学習したのでそれ以上は頼まない。
 
 食事が終わればまたシーシャ屋。どちらに行こうか迷って、初日の店へ行くことにした。案内してくれた店員は変わっていて、対応もどこか心もとない。いざ注文となっても、あまり要領を得ない。あらかじめあると確認していたメーカーも、名前すら知らない様子。ちょっと不安になっていたら案の定、ずいぶんとまずいシーシャが出てきてしまった。しばらく吸っていると先日もいた女性店員が様子をうかがいに来て、大丈夫かと訊かれるが、細かいやり取りになるのも億劫なのでそのまま流した。でも、ぜんぜん大丈夫ではない。
 で、ここからどうするかである。韓国最終夜、このまま不満を覚えてあきらめて帰るか、昨日の店に移動するか。
 こうした選択肢が生まれた段階で、心はもう「昨日の店に移動する」に決まっているのだ。それで、さっさと移動した。
 
 三角地駅の地下鉄出口をあがって眼の前のビル。階段を上ってドアを開くと、昨日の青年が驚いたような顔で迎えてくれる。注文を済ませると、彼は日本語で「昨日はめっちゃ緊張してました」と言う。日本のシーシャにも親しいらしい彼が日本人にシーシャを出すことに緊張感があったということらしい。日本のシーシャカルチャーがすごく好きで、今まで3回日本に行ってて、僕のお気に入りの店は〇〇で、とはにかみながら英語で教えてくれる。それならと、自分の行きつけの店を教える。知らなかったようで、その場でインスタのアカウントを見せると、即座にフォロー。きっと彼はここに行くだろう。
 彼に名前を尋ねる。ジンです、と言う。結城です、と返す。よかったらと互いのインスタのアカウントも交換した。プロフィールから、自分の上げている動画を見て、驚いたようにしていたので、パフォーマーをやっていると言う。マジシャン ?と言うから、ジャグラーだ、と言う。ピンときてないようだったので저글링.と重ねると、伝わったようだ。動画を見ながらカウンターの方に戻っていくジンくんが우와〜と声を出していた。
 別れ際、또 뵙겠습니다.また会いましょうと私が言った。きっと私はまた彼に会うだろうし、それは日本でかもしれないし、韓国でかもしれない。

 終電ぎりぎり、地下鉄で明洞駅へ戻る。どうやら宿に帰るには、今までと違う道のほうが近いということが今さらわかった。
 夜道に人気はほとんどない。時々すれ違う人は、日本語を話している。
 大きなホテルの前にテントがあった。側面には英語・日本語・中国語で何か長々と文章が書いてあった。ホテルの不当解雇により職を失った者たちの抗議活動だということが分かる。我々の解雇により人員不足になったホテルのサービスが低下したと感じたら、我々を応援してくださるお気持ちがあれば、それを手紙に書いてホテルの箱に投函してくださいとある。文は、良い年末をお過ごしください、と結ばれていた。

 宿に着く。家族が、ホテルの前でタバコに火を付ける。茂みの柵の下に雑然と置かれている灰皿へ灰を落とす。夜でもそれほど寒くない。私たちが帰ったあと、ソウルは急激に冷え込むらしい。
 24時間稼働しているらしいバスが目の前の通りに次々とやってくる。
 韓国に、また来たいと思い始めている。

 

(了)