ITZYのリレー動画が面白い

年が明けてからというもの、何度も繰り返して見ている映像がある。

 

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特に断りも入れていないが、ひとつではなく、上のふたつ。

 

Twiceの「Eyes wide open」がなければ2020年の私的ベストK-POP音源だったITZYの二枚のミニアルバムから、それぞれ表題曲がパフォーマンスされているこの動画は、見て分かるように、スマートフォンの縦型の画面を想定した9:16のアスペクト比で、メンバーひとりひとりが順繰りに前へ出てワンフレーズずつ踊っていくのを繰り返す「リレー動画」という企画のもの(この企画を考えた人に心からの拍手をしたいくらい、好きだ)。
どうしてこれを何度も見ているかというと、楽しいからに尽きるのだが、何が楽しいのかと言われると、けっこう説明が難しい。

 

ここでついでにもうひとつ見てほしいのだけれど、ITZYの振付師であり、Twice,NiziUらJYPのアイドルだけでなくPSYからBLACKPINKまで担当する売れっ子Kiel TutinがBLACKPINK「How You Like That」をWSで踊る(ユニゾンが前提になっていてフレーズは違うが、一部のフレーズが制作段階で使われていた)映像がある。

 

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前後するが、BLACKPINKの踊りを見てから見たほうが、よりおもしろい。

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Kiel Tutin、ちょっと笑ってしまうほど踊りがうまい。
もちろん、素人なので、なにがどうと言う具体的な説明はできないし、いや、こんなのは別にそこまで大したことない、ということもあるかもしれない。
にしても、BLACKPINKに与えている振付が、段違いの明瞭さ(「ハッ」と息を引き込むような音でなされている両手を開くポーズが、KielとWS参加者で、どのように違っているのかを確かめるとおもしろい)で再現されているのは明らかで、くわえて異様な内股のフォーム、そしてそのコントロールなど、単純にあまり見たことがない。この動画もしつこく20〜30回くらいは見た。この話も、飽きることなく、様々な細部をねぶるようにして話していくこともできるが、問題は、というか気になるのは、あくまでも前出のITZYのほう。

Kielのダンスに関しては、すでに書いたように、「ダンス」としてその線や力の働きを追っていくことで、関心の在りどころを掴むことが、それなりに可能だ。
けれども、ITZYのリレーダンスでは(抜群の「ダンス」の精度を楽しみつつも)、そうした表層を追いかけるだけでは足りない、と感じる。自分は何を見ているのだろう、と思いつつ何度も見ている。
もちろん、何を見ているのか、端的に書いてしまうことはできる。たとえば縦一列のフォーメーションに対応された振付のアレンジだとか、振付の途中に挿入される、ちょっとしたポーズだとか、ユナ(「Not Shy」のトップで踊るメンバー)が、列からはみだして、あるいはメンバーが屈んだりすることで空いた隙間をとらえて、何度もカメラに顔を見せる......そう、こう書いてしまうと、ユナがカメラに向かって顔を見せていることで、何を見ているか、わからなくなっていることに気づく。ダンスパフォーマンスに含まれるさまざまな階層の、どこに位置づけられるものなのかが。

これもまた、とりあえずの簡単な結論を出してしまうこともできる。つまり、5人で踊られるパフォーマンスの総合的な空間乃至リズム(をカメラはフィックスで収めようとしている)からユナがひとり脱してしまうことで、空間乃至リズムの持つ方向を多方にブレさせ(ちょっとした仕草やポーズもこうしたベクトルに対応する)、予定調和ではない華やぎやかるい驚きが与えられる...などと。わかったようなわからないような。
ようするに、Kielのそれ自体大量の情報を含むようなダンスと、また違った階層の情報が一緒くたに混ざっているリレーダンス(これもまた言及したように、動画のスタイルもダンスと不可分である)とを重ね合わせて、重なりきらない剰余にあらわれる「アイドル」の姿に、いまだ飽きないのだな、ということでしかないかもしれない。

以前書いたけれど、「How You Like That」のダンスプラクティス動画では、LISAのダンスが絶品である。ダンスもだけど、表情、特に視線の使い方がとりわけすばらしいと思う。対して、Kielは、マスク姿であるからという側面はあるにしても、表情も視線もまったく使っていない。異様な身体のコントロールだけで、(逆説的だが)アニメのようなリアリティを表している。
寄り道して細部に入るなら、たとえば冒頭、深く落とした重心が、その深い重さに反してパキパキと内転する両膝によって霧散するのを、いっそう早くに振り払うような腕の速さにつられて持ち上がる左足がつくる瞬間のエアポケットと、全身を支える右足の強さ、に促されてやはり強く踏み込む左足による力の連鎖があり、他方で、腰というにはあまりに自在な回転に突き出し、双子のように近づきあう膝頭が結果的に形成する内股のそれらフォームが、ありきたりな「女性」像を引用しつつも、過剰さにおいて定型を崩してしまうような、その強度に宿っているリアリティに巻き込まれることが、彼のダンスを見る経験だと思う。

 

では、と、またITZYに話を戻すと、彼女たちがもっぱら「アイドル」の系において私を巻き込むとしたら、そうした力の働きとはなんなのか、やはりよく分からないままだ。分からない、というのは、ひとつには「形」に基づいた根拠の遡りがむずかしい、ということだ。ユナが列からはみ出て顔を見せたり、他のメンバーがちょっと振付以外のポーズをしたりするのを「形」の問題として考えていくと、無理が出ると思う。
すくなくとも、かわいいから、とか、尊いから、というのは、あるにしてもそんなにピンとこない。それにしても、かわいい、ということについて、充分に(というのは、しつこく、ということ)考えられた文章を、ほとんど知らない。かわいい、ということが人をひきつけてダンスや歌を見ることに招き入れるなら、そこに何があるのか、とても知りたい。かわいい、とは別にそういうことではない、ということもあるだろうし、それであればそれで気にはなる。かわいい、ということは、よく分からない。あるにしても、自明のことではない。当然、自分が括弧付きで書いた「アイドル」というものの内実が何なのかも、不十分なままだ。そんなに考えるようなことでもない、のかもしれないけど、面白いと思って見てるものが何なのか、言葉に置き換えられるならそうしたいというのが癖なので、ちょっと仕方ない。何か別の仕方があるのかもしれない。



年末からこうしてしばらくK-POP漬けで、MVも他愛なくダベっている動画もそれなりに見ていて、気づくとライブ映像はあまり見ていない。いいものに当たっていないのか、ツボを外してるのか、面白いと思うことがほとんどない。たいていダンスプラクティス動画よりも精度が下がって、リレー動画よりも華やぎに欠ける印象だ(状況が許すようになったら、ぜったい現場に行きたい)。

というので、久々に日本のアイドルのライブ映像を見ると、やっぱり面白い。当たり前だが、これは単純に比較して日本のアイドルを持ち上げたいわけでなく、「ライブ」によって感じられる、やはり根拠付けがむずかしい固有のリアリティが、日本の一部のアイドルグループにたくさんある、という話にひとまずしてしまう。

 

このとき、やはり以前書いた記事のことを思い出す。K-POPのダンスプラクティス動画に範をとりながら、徐々に違いをみせるカメラの動きから、日本のアイドルが主にライブで見せようとしている、あるいは観客が見ている"何か"が現れる。
ありていに言ってしまえば、それは「情動」だろう。だが、喜怒哀楽で単純に捌ききれる形式的な感情ではなく、情動に伴う、微妙な表情その他の筋肉の変化が、おそらくある(ダンスだけでなく、声帯にも影響があるだろう)。そして、それを見ている。コントロール埒外にある動きを、見尽くすのではなく、感覚的にキャッチする。Aqbirecの無観客配信であればカメラの押し引きに反映され、旧来であればオタクのMIXやコール、モッシュにフィードバックされる。それが「現場」となっていく、とするのはいささか我田引水のきらいがある(『かいわい』買ってください)けれど、いったんそうしておく。

 

 

もろもろいったんの落ち着きが出てきたので、今は結論も何もなくてもどうでもいいのだが、当然また、今年も何かとこういうことを書いていくと思う。

 

 

 

ちなみに、ですます調は廃止。一、二年前から思ってたけど、どうしても書きづらくてなー。

 

 

 

 

2020年のまとめ 観たもの聴いたもの編

毎年、その年に良かったものをずらずらっと並べるのが楽しみだったのですが、どうも今年はいまいち興が乗らず。趣向を変えて、各ジャンルひとつのものだけにしぼってから、話してみようかなと。そうしよう。

 

音楽

 

Twice 「Eyes wide open」

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※1/3注を追記
今年はいよいよK-POPカルチャーを見ていくぞという条件が揃ったかなあという年にもなりました。BTS,NCT,ITZY,BLACKPINK,MAMAMOO,LOONA,aespa,Weki Meki......既知のグループも未知のグループも、次々に好みの音楽に行き当たりだしたのを最も大きい要素としつつ、リリスクのminanさんのバースデーライブでK-POPから「Feel Special」「Any song」「Dynamite」をバンドセットで聴けたのも現場の多幸感と相まって後押し、その流れでチェックしたTwiceの新譜が、かつてのキラキラしたポップさとは別のイメージで上書きされたのが決定打でした*1
貼付けた「I CAN'T STOP ME」の、いささか懐古趣味もあるサウンドも趣味ですが、「BRING IT BACK」のように大胆で、トレンドも抑えつつ、かつそうした目配せにとどまらない"K-POP"固有の手触りをおもわせるに充分な楽曲群が、ピアノバラードという個人的な鬼門をクリアした上で13曲も連続する幸福。聴き始めたのこそ今月ですが、今年のベストアルバムといっていいほどリピートしています。
ちなみに、これを聴くまではITZYの2枚のミニアルバムがベストで、グループダンスの精確さに関心の薄い私ですら目を引く精度と、一転して、まるで日本のアイドルのようにくだけた企画–––ポジションチェンジや衣装チェンジによるダンスプラクティス動画–––のグダグダ感も身近で、K-POPにおける"推しグループ"の様相です。

 

こうして楽曲/パフォーマンスから離れた側面にコミットできるようになると、いよいよという構えができてきます。しかし、現場はもちろん、しっかりコミュニティに属してないと見落とす様々が多すぎて何もわからないまま、修行時代は続きます。
K-POPとはなんなのか、というそれ自体外野だからこそ口にできてしまう目の粗い疑問は、たとえばブルピンのNETFLIXドキュメンタリー『Light Up The Sky』などを見ていても、違和感に重なって浮かび上がります。
K-POPは(日本のアイドル文化に深くコミットしている立場からすると特に)、どうしても優れた部分だけがピックアップされて語られがちにみえます。ゴシップめいた話題は論外としても、ひたすらハードなトレーニングを誰でもないものとして数年間続けた先に、ひとたびデビューすれば突如として世界中が自分たちを大スターとして認識してしまうこの光景には、かつては『ローマの休日』によって瞬く間に大スターになってしまった「オードリー・ヘップバーン」を生んだ時のような、むしろ"古さ"の回帰を見てしまいますし、ありていに言って恐ろしさに似たものも感じました。またそもそも、技巧の修練を徹底するその方法論が手放しで褒めそやされるような価値観へのコミットも、いったん距離をとりたいと思います。

これらは単純な批判ではなく、私自身の知識不足から判断留保しつつも、今後K-POPを見ていくときの寄す処となるような感覚の問題です。いつか、単なる勘違いだったなとすべてひっくり返しうる。文化とは、マクロに見てもミクロに見ても一面的にはなりえず、その多様さの混合体の縫い目を辿っていくことにしか、確かさは現れません。そのとき、やはり様々な言葉が必要になってくるでしょう。
だが、身を切って文化に関わっていない人間の「ひとまず」の理解は、さしあたって自分には必要ありません。同時に、首までズブズブに浸りきった人間の言葉だけがリアルなのかといえば、それもどうでしょう。

 

というとき、この大和田俊之さんの連載は非常に助けになりました。BTSアメリカで成功したことに生じている歴史性を、政治的/文化的要素を取りこぼすことなく描き出しています。

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どのくらい関心が続くのかちょっと分からないけれど、この年末年始は特にK-POPまわりを見てみようかなーというところでした。

 

映画

 

もう「映画を観ている」とは言えないほど低調が続いていますが、わすれがたい映画に出くわしてしまいました。



エリア・スレイマン『時の彼方へ』

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10年越しに見ることができたスレイマンの映画は、オールタイム・フェイヴァリット級の作品でした。『D.I』もお気に入りの作品だっただけに、期待は随分高まっていたというのに、そんなハードルなどやすやす越えて、このまま映画が終わらないでほしいと思ったほどです。言葉少なな役者たちとは裏腹に、画面は運動にあふれて止みません。
予告編中にも映っている花火のシーンの美しさたるや、映画史に登録されてしかるべきものでしょう。ラストシーン、スレイマン本人の主観ショットとして繰り広げられる眼前に往来する人間たちの姿も、忘れ得ないものです。
パレスチナ出身の監督が父の半生を描くことで逃れがたい、彼の地の政治的な諸問題について、ほとんど何も知らない恥を忍びつつも、まず「映画」として酔ってしまう。


新作『天国にちがいない』も素晴らしく、年明けにはようやく全国で劇場公開もされます。大掛かりな無人のパリでのロケシーンと対照的な小鳥とのダンス(?)シーンは必見と言えます。

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ここは思ったより言葉が続かないけども、映画はいまだに最も好きな自覚のあるジャンルです。しかるべきタイミングでまた向き合うだろうし、だけど、もしかしたらそういう時期はなかなか来ないのかもしれない。

 

 

近藤聡乃『A子さんの恋人』

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もっぱらこちらの頭の問題で、大変なので通読しないけどおもしろい、みたいな本と、通読したけど全部忘れた、みたいな本が山程あります。

 

そんななかで、唯一買っていた漫画『A子さんの恋人』が無事完結(いまの自宅に漫画は、この作品と『わたしは真悟』『放浪息子』くらいしかない。それらに並ぶくらい好きだということ)。さすがに5年の付き合いとなれば忘れがたく、印象も未だ鮮やかです。完璧な結末には落涙。。
一筋縄ではないタイトルであることをいちいち感じさせるストーリーは、美しく簡潔的確な線描に縁取られたキャラクターのドライな意地悪さと生々しい煩悶によって、快くもそればかりではない緊張感を保ち続けます。人に恋し、愛そうとするさまは滑稽で、その出来事の表面をスケートのようにして軽やかに滑っていくだけでも、それはそれで清々しい小品として私は好きだったはずですが、厚い氷を突き崩して、取り返しがつかないことを引き受ける切実さに迫った作品でした。あまり好まない言い回しですが、誠実さが支える表現の強度に、あらためて驚かされます。いや、ひどく抽象的な言い方をしてるのは、めずらしく「ネタバレ」を避けているからです。いわゆるショッキングなラスト、というわけではないけど、頭からもういちど読み返さずA太郎のことを書いてやれる気がしない笑ということでもあります。
A子さん、そしてその「恋人」であるA太郎と呼ばれる登場人物が、どのようにしてラストをむかえるのか、あるいはどのように作品を支えていたかを、ぜひ読んでいただきたいです。

 

恋愛を主題にしたコメディで、同じような切実さから逃げなかった作品として、古沢良太脚本の『デート』も思い出していました。

 

ライブ

 

BABYMETAL 「LEGEND - METAL GALAXY」幕張メッセ

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書くのもむなしいような1年に思えるけれど、いやいや1月のベビメタは、5年間のベビメタ経験のなかでも指折り3本に入るものです。YUIMETAL不在のダークサイド期から、YUIMETALの正式な脱退発表という谷を越え、横アリでは元モーニング娘。鞘師里保が非公式に加入する驚きと新曲の連打(私がはじめてベビメタを見たのがこの横アリで、さらに同じように1曲目が新曲という、回帰ぶり)、なにより笑顔のSU-
METALという大歓喜のライブすら上回って、幕張のライブは素晴らしかった。

新作から未パフォーマンスの楽曲をやるのは、まあ予想通りとはいえ、やはり大大大歓喜。忘れられないのは、なんといってもラストの、2017年末、広島でやはりYUIMETAL不在で行われた以来の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が、5人+東西の神バンド全員集合という蒲田行進曲のラストかというような大盤振る舞いの姿でパフォーマンスされたこと。ピアノイントロが流れ出した場内のざわめき、そして千々に乱れた興奮がまとまりなくそちこちで歓声や跳躍に還元される「現場」の熱。2014年来、毎年海外遠征に行ってゆうに通算100回はベビメタを見ている友人ですら、この日の特別さを話していたものです。

また、そうした興奮を支えていたのは、フルフラットでけっしてライブ向きではない幕張メッセのどこからでもステージを視認できる、なんていうものではない、背面すべてを覆う超巨大高解像度パネルと、その映像演出に触れないわけにはいきません。直後のEUツアーでもついにバックドロップを排してまで携行された高解像度パネルは、ベビメタのライブがいよいよ映像と分かちがたく、また能動的かつ積極的に映像/身体の共存を目指しはじめたことを示唆していました。

ことに、「Distortion」での、SU-METALの睥睨するような視線と観客を煽動する指先(かきまぜるようにして、フロアにサークルピットを生成する)がスローモーションのなかでディゾルヴする場面など、ほとんどリーフェンシュタールの映画のように危うげな強度まで感じるほどでした。

ベビメタのステージ上の身体は、多くの場合、会場の広さから直接視認することが難しい。我々観客は、BDや動画を介し、ベビメタの映像的身体を見ています。これが、リアルタイムで、ステージと並走的に発生していること。ベビメタのライブにあって映像は補助的な要素ではなく、まるごとライブ経験を担うファクターになりつつありました。このことを考えたくあるし、本当であれば1年かけて様々なライブで展開される部分であったと想像します。

 

映像と身体のテーマは、配信活況の状況で期せずして豊富に考えることになりました。なぜある配信がつまらなく、またある配信が面白いのか。映像/編集によって再編される身体/ライブのありかたには、望むと望まざるとに関わらず、来年もまた多く向き合わざるを得ないでしょう。 

 

おわりに

 

ということで、大まかには、いまだにアイドルを中心に関心がめぐっている1年には変わりなかったようです。

他にもビデオゲームをはじめて、触発されることがかなりあり、そういった話もなくはないけど、「アメリカン・ダンスアイドル」以降すっかり飽きてしまったオーディション形式の番組(なのでラストアイドルは一瞬も見たことがない)であるところの「虹プロ」をこの年末年始でぼちぼち見てみようということにしたので、残念、時間がありません。

 
言いたいことはだいたい言い終わりました。
それでは、よいお年を。

*1:もう一度あらためて過去の楽曲も聴かなきゃなあと『Twicetagram』に『TWICEcoaster LANE:1』『LANE:2』とさかのぼったらば、いやー全然いい。スルーしてたのは、こちらのタイミングが整ってなかったということに尽きます。もしくは、MVのきらびやかさが聴取を鈍らせてたところはあるかもしれない。

20201228

雑談です。

 

あまり触れない話題に「お笑い」があり、でもまあいいやと思って書くのですが、M-1はもちろんのこと、『爆笑オンエアバトル』も放送開始当初からVHS(!)に毎週録画していた程度には「お笑い」好きです。仙台で収録があったとき、ダイノジの大谷さんがテレビ局の外でファンに明るく対応していたのを覚えています。懐かしいな。あの頃は今のような嫌われキャラではなかった......
で、今年の私的ベストは空気階段霊媒師ネタ。比喩ではなく腹を抱えて笑ったのはいつぶりか。コントって、舞台の外の空間を感じることが少ないのだけど、降霊という設定で呼び込んだ広がり(とその絶妙な狭さ)に、びっくりさせられました。

 

ところで「これは漫才ではない」という話題がもりあがってたのかなんなのか、いちいち議論をフォローしてませんでしたけど、ともかくM-1後によく見かけました。どのジャンルでもよくある話で、新味はないです。どうでもいい。が、どうでもいいところを連想して話題は続きます。

 

今回はマヂカルラブリーのネタが、掛け合いでなく、ほとんどボケ側の一方的な進行によって漫才が展開するという構成が(次点のおいでやすこがも同型)、正統な「型」から外れてるぞ!と、一部のオーディエンスを刺激したということでした。たぶん。
この、ある型=フォームが漠然と広く共有されて、そこから逸脱するものが一部の神経を逆撫でること......似たようなやつをどこで見たのだっけと一瞬考えて、ああアイドルかと思い至りました。
いや、アイドルの場合は話が逆向きで、フォームの逸脱こそが称賛の条件になります。いわゆる、ほとんど呪いのように繰り返されている「これは(もはや)アイドルではない」。これが呪いなのは、フォームの逸脱が、すぐまた別のフォームに回収されることにあります。パンクとかロックとかアートとか。言ってしまえば結局は、規範意識のなせる物言いです。
私なんかは、規範意識を裏切っていくもの、あるいはせめて規範意識との緊張感を感じさせるものこそがおもしろいのですが、件のマヂカルラブリーのネタに関して言うなら、そのどちらも混ざりあったものだったとも思います。
 
ただ、そんな規範意識は、こうして一笑に付したところで消えることもないし、それはそれでリアリティのあるものです。「これは漫才ではない」「これは(もはや)アイドルではない」とは、ざっくり言って幻想ですが、弱いわけではない。だいたい、最近の世の中の困りごとは、こうした規範意識の行き過ぎ・こじれが起こしているものばかりではないでしょうか。

 

 

なにかと言えばリリスクの話ばっかりしてさすがに申し訳ないけど、いちいち面白いので仕方ありません。

 

リリスクのhimeさんがこう言っているのは、同じリリスクメンバーのrisanoさんが参加している、アイドルによるフリースタイルラップバトルの番組企画を受けてのツイートです。お父さんがヒップホップ好きで2pacを聴かされて育ち、自身もハードな日本語ラップのヘッズであるhimeさんは、ラッパーでありアイドルであることを一身に引き受けつつ、しかし時に葛藤がある。そこには先の規範意識のあらわれがあるでしょう。
むろんその規範意識は、himeさんが内面化しているというより、ヒップホップカルチャーとアイドルカルチャーに属するそれぞれのファンと、そのファンが持つ規範意識とのズレが重なり合っている、ということだとも思います。
けれども、himeさんはこの番組に参加しているでんぱ組.inc成瀬瑛美(=えいたそ)さんとバンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIの恋汐りんご(=汐りん)さんのパフォーマンスを見て、アイドルである自分に誇りを持ったということです。


バトルでのえいたそや汐りんは、保守的な「アイドル」像をなぞるような、フリル付きのドレスやビビッドな原色使いのミニスカートといった古典的なイメージの衣装を身に着けていました。それこそステレオタイプなろ、誰が見ても明らかな「アイドル」の姿。
くわえて汐りんに至っては「汐りん語」という–––酒井法子に始まり小倉優子でとどめを刺したような–––固有の語彙をそのままにラップをしていました。もちろんフリースタイルとして巧みではないけれど、視聴者にも忘れがたい印象を残したはずです。この汐りんという「アイドル」のありようは、規範意識の徹底が元の規範を突き崩すようであり、やや慎重を欠く言い回しが許されるなら、いっそクィア的です。


強くラッパー的でありたいhimeさんが、どこまでもアイドルでしかない*1、アイドルに救われることは、感動的な出来事だと言って許されるでしょうか。少なくとも、自分は心動かされてしまいました。今はそれ以上に話を深めることができないけれど、後々まで覚えているエピソードになりそうです。

 

 

 

と、ここまで書いて思い出したのは、17歳当時の自分のことです。
とあるダンサーの方と知己を得て、その人にクラブのジャグリングを見せていたときのこと。ふいに「それ、ひとつだけではジャグリングできないんですか?」と訊かれて、私はやれやれといったふうに「ひとつだとジャグリングじゃなくなっちゃいますね」と答えました。対してその人は、差し出がましいようだけど、と前置きしつつ「ジャグリングにならなさそうなことを考えないといけないんじゃないですか?」というような事を言ってくれました。 要するに、私が内面化していた規範意識をあぶり出してくれたわけです。

 

まあそのときは、痛いところを突かれたような、しかし反発したいような(あんたはろくにジャグリングのことなんか知らんだろうという最低の驕りがあったり)気持ちになっただけでしたが、あとから思えば、非常に重要な進言をいただいたものです。また、相手がどう思うかは別として、切実だと思えば忌憚ない話をすることの必要も、そこで植え付けられていたかもしれません。後にその方とは疎遠になりましたけれど、エピソードはこちらの勝手で体に残っている。

 

 

と、そういうようなことを話したい年の瀬でございました。

 

*1:バンもんは「ポストアイドル」を標榜してはいるのですが

2020年のまとめ 仕事編

今年の仕事を振り返ってまとめておきます。

 

年始からの冬期はたたでさえきびしいというのに、しのび寄る疫病に目配せしつつの環境で大道芸の"修行"を耐えたものの、年度が改まる前に開店休業。
おかげでオンライン上でのなんだかんだが増えました。

 

さっそく5月には「マヤマ」で(宮本道人さんが言うところの)ディスタンス・アート的新作と、過去のアーカイヴを『Cc Cc』として販売スタート。
意識的なものですが、まあだいぶ地味です。とはいえ、コンセプト面ではかなり納得がいくまとまりになりました。買って!

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ホゴノプロフィスからは、仙台文化事業団の助成事業として、ジャグリング入門動画を公開。7月末から3ヶ月連続「レッツ!キッズジャグリング・オンライン」として行いました。暑いなか自室で幕を立てたり照明つけたり、大がかりでしたわ。編集も今ふう(?)にしてみたり。

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唯一の遠征というか帰省というか、白石はこじゅうろうキッズランドにて出演もあったのが8月。楽しかったですね〜。

 
 
 
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アイドル批評誌『かいわい vol.1』を10月に創刊。編集・装丁(タゴマル企画)・執筆と、いちばん働きました。無名の同人誌で100部以上の頒布は、なかなか快調と言っていいようです。
拙文では、昨今の道徳的規範から逸脱するような、アイドル文化の「現場」で生じるグレーゾーンのあり方を追いました。買って!

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1,9,12月には空転軌道の劇場公演もありました。昨年から新パートが増えまして、さらにボリューミーに。10月は無観客生配信もありましたね。

 

 

さて、パフォーマンスの機会自体は言うまでもなく激減しましたが、なんだかんだ成果は出ているのでした。しかし例年だと、このあたりで来年分のスケジュールを更新する記事を固定にして更新するのだけど、現在は白紙です!!どうなるやらね〜。

 

いちいち悲壮感を醸すようでバカバカしいですが、こういう時期に支援していただいたり足を運んでいただいた方々には、本当にありがたく思います。
金銭的なサポート(死ぬほど重要です)はもとより、マスの小さなところでやりとりしてるぶん、おひとりおひとりのリアクションは相当に大きく受け取っております。

ニューノーマルだのウィズなんたらだの、ウイルスと共に瀰漫(端的な感染予防法の余剰で機能して)いるたわごとには一切与したくないので、お互い変わってしまってもなんとなくやっていけるが、そのうち今まで通り楽しみましょうという塩梅です。

 

 

 

時間があったぶん、見たり聴いたりはずいぶんはかどったので、こちらについてはまた別に更新したいですね。

 

ということで、めずらしい一年にお付き合いいただいたり、ご助力いただいた皆さま、あらためてありがとうございました。来年も、あるいは来年こそは、お目にかかりましょう。

Minan Birthday Jam Party 2020に行ってきた話 ※12/8追記

※本日12/8に配信されたリリスクのファンクラブ限定メルマガ(無料登録可・有料だと画像と動画も見られる)のminanさんが書いた文章は心動かされます。ご本人が抱えていた、年齢を重ねていくことの迷いをてらいなく書いていて、その率直さに、ふと涙腺が緩んでしまいます(そういや、よみうりランド後のhimeさんの文章でも泣いた)。何度か書いていますが、「オタク」になると、こうした情緒がとても育つし、それはみっともなくもあるけど、強く肯定したい部分です。
リリスクのメルマガ、時間が経つと遡れなくなるので、今登録して読もう。つうか過去のやつ読ませてくれ。
以上、勝手に宣伝の追記でした。

 

 

30歳になったとき、自分が何を思ったかなと思い返そうとしても、たいした記憶がないから、すでにして年齢などどうでもよくなっていたのかもしれず、三十路に先じて27歳のときに、あーもうこんな歳になるのかと感じたことだけは覚えています。

というのも、lyrical schoolのminanさんが30歳をむかえる「生誕ライブ」に参加してきたので、何年か前の自分のことをうっすらと重ねてみたのでした。
ご本人はただ楽しそうに年齢を重ねているのを、サイクルの早いジャンルに属していることから、ことさらに盛り上がってみせるのもはしたないとは知りつつ、観客の身勝手さで、30歳のアイドルなんて、ひたすらに最高だなーと思ってしまいます。

 

でもそんなことより、ふだんのストリートファッションとまったくちがった、半袖の白いパフスリーブのブラウスに黒いロングスカートを合わせた衣装にロングヘアーはゆるくカールさせてドレスアップしたminanさんがステージに小走りに笑顔であらわれることの...いってしまえば説得力のつよさには、だれもがわざわざ言葉を必要しない圧倒的な「アイドル」を目にしたでしょう。そして見目の華やかさにとどまらない「かわいさ」とはなんのことなのか、大人になってもそれを保ち続けることは可能なのか、minanさんはその答えを全身で体現しているかのようです。最近お気に入りのNiziUにBTSから想い出のミスチル、変わらぬあこがれの柴咲コウに新たな挑戦のギター演奏はスーパーカーと、ぴょんとぴょんとお気に入りの曲の間をはねまわるかろやかさにも、快さがあふれています。
いっぽうで、きっと皆さんは、私が楽しそうにしているのが一番楽しいと思うので、と"わかってる"発言があるのに、けっきょく何度も、みなさん楽しいですか?と確認せずにはいられないのがお人柄というかたちでした。

 

アンコール、サプライズでバンドメンバーがHappy Birthday to Youを演奏して花束とプレゼントを受け取ったあと、 minanさんが慎重に言葉を選びながら、ファンからのメッセージ、または直接誰に向けるでもないSNSの言葉をすべて「受け取っている」と繰り返したのが印象的です。とくに今年の状況下で、ポジティブであれネガティブであれ、それらの言葉の重みは増したはずです。

われわれは、と突然立場を変えて話し出すのをゆるしていただけるなら、送り手であると同時に、積極的な受け手である瞬間があります。わたしのような芸人ですら、なのですから、アイドルは幾たびも、より切実に「受け取る」必要があるだろうと想像します。そのことについては、先日べつの記事でも具体的に書いたので先に進んでしまいますが、minanさんが、あるいはリリスクがいまのわたしに特別好ましく、見聞きすることが必要なのだなと感じられるのは、そうした「受け取る」ことの切実さの先にminanさんが口にした、適度に、テキトーじゃなくて、適度に楽しんでいきましょうと言ったことに含まれている、おそらくは意識的に培われた余裕があるからです。受け取った重みに沈まない柔軟さこそ、わたし達に分け与えられたギフトであり、ふたたび受け取るべきものではないかと思います。おそらくは30歳というやはり決して小さくはない節目も、また。

 

言わずもがなの感想を付け加えるなら、ひとりの知り合いもおらず、スーパード新規のわたしが最後まで楽しめるか、さすがにいくらか不安もあったけれど、最後まで完璧に楽しく過ごせました。あと、twiceのカバー(ドレッシーな姿から繰り出されるラップパート、最高でしたね!)がよくて、あらためて今年の新譜とかチェックしてたら、先々月に出てたアルバムが、ちょう傑作じゃないっすか。あんまり話題になってた気がしないけれど、なぜ。マジでいいです。ありがとうminanさん!

 

 

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minanさんが歌ったのはこれ。Feel Specialって、ほんとそうだよ!

 

 

 

あーしかし、長年minanさんを推している友人の大事なプレゼントを代理で手渡すミッションや、写真が死ぬほど苦手(仕事は除く。いや、嫌ではないがやはり苦手または下手)なのに、ことの流れで人生初の2ショットで特典会に参加させていただいたり(これでもかという美人のよこに、だっせえ奴がだっせえ写り方をしている)、期せずして「オタク」としてのステップをまたのぼってんなというのもあったり。今年いかにリリスクに楽しませていただいたかをお伝えできて大満足ですよ。ほんと、Apple Musicのリプレイなんたらいうの、リリスクで埋まってましたからね。

 

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我ながらすごいなー。

 

 

 

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アイドル批評誌『かいわい』販売開始

販売開始しています。
販売サイトリンクと、重要事項のツイートを以下に。

 

kaiwai.booth.pm

 

 

 

 

執筆陣はすでにツイートで紹介してきましたが、お手元に届くまでのひみつということで、このタイミングで題字を書かれた方をご紹介。

 

 

アイドル批評を名乗る本誌にアイドルの、それも我々が本を作るきっかけをいただいたアイドルのおひとりにサインを頂けたのは光栄そのものです。
こういうご縁の動きは思い入ればかりではなく、つくり手にグルーヴをもたらして制作物に反映されると思っています。

www.youtube.com

youtu.be

 

 

本のおもしろさや、特に自分の論考の出来などはお読みいただいた方に委ねるしかありませんが、決して趣味の延長の活動ではないし、この状況下で最も力を使った制作です。どうも、シングルイシューでなければ伝わりづらいなか、たしかにとっ散らかった活動をしていますが、とっ散らかることにおいて、またとっ散らかる方法において、ふしぎと一貫しています。論考もいくぶんはそうした話、でもあります。同時にそれは、文化論でもあるし政治論ですらあるはずです。

 

とはいえ手に取るまでは尻込みもあるもの。
ということで、聞き流せる程度にダラダラとしたラジオを編集部でやってみました。ノーカットでお送りしていますので、余計なことも言っている。 

soundcloud.com

 

買って、読んで、感想をいただけたら幸い。

"アイドルを存分に語れるBAR"に触発されて雑然と、主にAKB48の話題

一昨日、Loft9 Shibuyaで行われた"アイドルを存分に語れるBAR"という配信をみました。南波一海さん、吉田豪さん、ぱいぱいでか美さんという盤石の布陣に、さいきんアイドル界隈への関心著しい(元?)批評家の佐々木敦さんが加わるかたち。

沼(佐々木さんのパンチラインに拠るなら「湖」)に入りたての佐々木さんの微笑ましい姿を見るだけでなく、話題が多岐にわたり、120分間ダレないトークイベントで、アーカイブで見ようかなと思ってたのが、ついつい最後まで見てしまったほどです。ハマりたての人を見ると、それが意外性のある人であればあるほど、つつきがいもあるし、何より自分の初心を思い返して楽しいものです。

 

www.loft-prj.co.jp

 

しかし、自分の初心であるAKB48は、ハロプロ好きが並ぶこのメンツにあってはいささか分が悪いようす。あまり親しくないどころか、批判的な文脈で登場することも多く、まあそのほとんどがうなずけるものですが、ここはひとつバランスをとりたいもの。とはいえAKBに関しては、こんないいところがある、という話より、悪いところが過大評価だと思うことが多かったものです。トーク内でも言及されたドキュメンタリー映画での"過酷"な西武ドーム公演や、その公演でもしばしば代表的に言及される「フライングゲット」のパフォーマンスだって、主催の熱中症対策不足にも大きな原因のあるバカバカしい(意味不明な美化)シーンだし、そこに限って言うなら、観客がもつ残酷さの欲求を刺激する水準のことですらないと思います。
大体において、今もって地下アイドルの運営がしばしばバカをさらしている(吉田豪さんをフォローしているなら、月一回は破綻した日本語でなされる様々に愚かな報告文を読むことができる)ように、AKBだって秋元さんの名前を抜きにすれば、実績もノウハウも乏しいなか、なんとか世に出てきたチームなのだ、という評価もあり得るのではないでしょうか。西武ドーム公演時において活動7年目、ミリオンヒットを飛ばしているグループに対する評価としては甘すぎるかもしれませんが、単にバカだよそれは、と言ってあげるほうが、シリアスにすぎる受け取りをするよりか健康的ではと思ったことも。(逆に言えば、そうした運営のノウハウが充分に蓄積されただろう果てに起きているNGT48の問題、欅坂46の不安定さは、各運営に分離があるという言い訳すら立たないほどには深刻だと思います)また、"ガチ"さを売りにして、それがインフレを起こしていったのも事実ですが(しつこいですが、欅坂はこれに絡め取られすぎたと思う)、じゃんけん選抜のような、すべてを偶然に委ねてしまう別の極に振られた"ガチ"さ、もまた見逃したくないものです。すべてがおよそバカバカしい偶然で決定してしまうバカさ加減と"残酷"さはギリギリのところで背中を合わせていた。そもそも過剰にシリアスな選抜総選挙も、当の仕掛け人である秋元さんにとって、どこか他人事のような側面はなかったでしょうか。歌唱メンバーがじゃんけんで決まることも、オタクの投票で決まることも、等しく自分の責任から離れた出来事です。秋元さんのこのバランス感を理解することなしに一面的な批判、また感覚的に引いてしまうことで、何か取りこぼしてしまうものが多い気がしてしまう。まともにやりあって敵う相手ではないというか。

まことに失礼ながら、私は秋元さんの仕事に対する尊敬がほとんどなく、「初日」「お待たせセットリスト」のような歌詞を読むと、あまりの他人事ぶり、あるいは乖離したまま憑依するような人ならぬ距離感に理解不能な恐ろしさを覚えます(本当にくどいですが、欅坂46「二人セゾン」なんかは秋元さんの作家的良心の頂点だと思うし、マイフェイバリット・アイドルソングとしてこれからも上位を占め続けるはずです)。が、最初に言ったように、秋元康というプレイヤーが作ったゲーム盤のうえで起きていた様々に、どうしようもなく惹かれていた数年がありました。秋元さんの現場からの乖離と表裏一体な権威性の隙間を縫って表れてくるメンバーたちの輝きに注視していたような数年、です。


かといって、私が楽しんだ数年は、やはり様々な愚かさとセットです。ただ、私がAKB48から得た大きいもののひとつは、愚かさを外部から断じるのではなく、当事者性において都度にグレーゾーンから微妙に判断する重要性です。愚かだが素晴らしいし、輝いているがどうしようもなく駄目、という両立が、とにかく多かった。今もって"オタク"であることに脳天気な開放感ではなく、葛藤を保持することを基本姿勢にさせたのは、間違いなくAKB48です。しばしば48グループなどに批判的だったアイドルに免疫のない人が突然オタクになったとき(当然、佐々木さんのことではありません)、あまりにも単純な賛美を繰り返し、各々が落ち着く運営やメンバーに過度な信頼をよせてみたかと思えば、突然掌を返して攻撃に転じる姿を見ると、気の毒に思うことすらある。大人たちは、あまりにもウブにすぎる。グレーゾーンで踏ん張る自力を身に着けられたのは、皮肉ではなく、秋元さんに感謝したいところです。いや、皮肉かもしれない。

 

 

トークで言及された楽曲の質について、好みの問題を超えたうえでAKB48にどの程度「いい曲」があるのか、 素人である私にその判断はつけられません。主観的なことで言えばAKBの現場デビュー–––当時は完全在宅だったので、去年はじめて友人について行った全握で見た–––で流れた「ポニーテールとシュシュ」のイントロには鳥肌が立ちましたし、SKE48片想いFinally」はMステ初出演時の気合の入りようとともに忘れがたく、そして欅坂(けやき坂)46の1st~4thシングルのカップリングには、捨て曲があった試しがない。ただ、こんなことを言っても仕方ないし、そもそも私は楽曲のクオリティ論に終始するアイドルの評価に懐疑的でもあるし、楽曲の質がアイドルを推す免罪符になっている側面の功罪について、もう少し語られてもいいと思っている。

 

そうそう、大きく脱線させますが、配信内で佐々木さんにAqbirecのアイドルをチェックしてくれ、とコメントを送って南波さんに拾っていただいたのは、他に同様の質問がなければ間違いなく私で、佐々木さんからはあまり好みでない旨の発言を引き出したあと、驚くほどスムーズにハロプロの話にスライドしてコメントの本筋に戻ってきませんでしたが(笑)、そのことで読まれなかったコメントの続きで、私はカッコに入れて「ライブ配信」をチェックしてください、と書いたはずです。
つまり、佐々木さんには演劇・ダンス等に近い水準でアイドルの"パフォーマンス"を見てみてほしい、という願い(笑)を込めたのです。
もちろん、アイドルのパーソナリティーや物語を楽しんでいらっしゃるのも充分すぎるほど伝わっているし、アイドルにおいて、大きくともパーツのひとつにすぎない楽曲にウェイトが置かれすぎているようにみえるのも、非現場派の佐々木さんの立場上矛盾はないはずですが、昨今の配信活況のなか、Aqbirecの踏ん張りないし抵抗は、もし未見であれば見ていただきたいものです。映像でライブパフォーマンスや現場の空気感を再組織化することに腐心している、という点においても、面白がってもらえるような気がするんだけどなあ...そのうえで、なお関心には引っかからなさそうな気もしてはいますが、ひとまずコメントの本意として。

 

閑話休題

 

私にはAKB48において、決定的に万人へ開いておきたいエピソードがひとつあります。それは、例の問題含みのドキュメンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』に捉えられています。

AKB48は2011年の5月から毎月、被災地支援のため避難所などでイベントを行っていました。頻度こそ年に一度程度となったものの、昨年まで変わらず支援活動は続いています。そして、2011年当時の様子が上のドキュメンタリーに収められています。メンバーのインタビューでは、被災地を訪れることで生じた心境の変化やインパクト、また現地の記録では笑顔をまじえた現地の方々との交流も記録されています。そのなかで私が今もって強く印象強いのは、峯岸みなみさんのインタビューです。
AKB48の被災地支援は、簡素化を目指したステージトレーラーでライブを行っています。トラックの荷台が仮設のステージとなるそれは、手狭ではあるものの、通常のステージよりも高さを持ち、ゆえに多くの人が観覧しやすい、という環境を作っています。あるシーンで、ライブのトーク中にちいさい女の子が花を携えてステージに近寄って、それに気づいた峯岸さんが、ステージに腹ばいになって手を伸ばし、花を受け取るさまが記録されています。しかし、インタビューでそれを振り返る峯岸さんは、強い後悔とともにそのエピソードを語ります。それも大粒の涙を流しながら。どうして自分はあのときステージから降りて花を受け取らなかったのだろう、絶対にそうすべきであったと。アイドルというパフォーマーが担っている緊張感と誠実さは、このエピソードにおいてひとつの極にふれていると思います。飛躍と論証のなさを自覚しつつ、またどの程度の人に伝わるか心もとないながらも、この後悔に含まれているものが、人前に立つもののすべてだと断言します。誰かがこうした緊張感に触れうることを示しただけで、私は、AKB48が全幅的に批判されうる対象ではない、とします。それはやはり、甘いのだろうか。

 

個人的な話になるけれども、私も同時期、被災三県の避難所で、通算30~40公演近く慰問公演を行っていました。私が広義の被災者であることをのぞいても、仮とはいえ生活の場に踏み込んでパフォーマンスすることには、それだけで語り尽くせないほどのエピソードがありますし、現在に至るまで私を形作る貴重な経験の一つになっています。だからこそ余計に共振するのかもしれませんが、峯岸さんの後悔、または感受性が、アイドルという立場からドキュメンタリーに残されていることの重要さを、何度でも考えさせられます。ひとりの花を正しく受け取ることへ差し向けられた、アイドル=パフォーマーの問いは、「国民的アイドル」のメンバーであったからこそより強く身に響いたでしょう。こうした微妙で重要なエピソードを見えづらくしているのは、当の48グループの責任でもあるが、確かに語るべきエピソードは、きっと埋もれているし、48/46グループから離れてしまった今も、きっと起きているだろうという希望は変わりません。

 

 

 

 

 

と、例によって長くなりましたが、ここまで読んでくれた方がいるなら宣伝していいでしょうか。10月中にアイドル批評誌『かいわい』が創刊。編集と論考、座談会に参加しています。私の論考はここでもふれたような「グレーゾーン」の問題をめぐって書いています。よしなに。

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