栗橋の空

栗橋は、いつも常に晴れている。
これは当然、事実ではなくて、そういうイメージがあるという話に過ぎない。雨が降った日なんて、何日もあった。はじめて栗橋の劇場を訪れた日の写真を見たら、ばっちり曇っている。思い返せば、猛烈な雨に外出もままならない時だって。
それでも、記憶をまさぐると栗橋の空は常に晴れているように思ってしまうのだ。南栗橋駅に着いてまず臨むロータリーからまっすぐ伸びる道の上には、いつだって雲ひとつなくて、抜けるように青い、栗橋の空があった。送迎の車を待つ間、その青さに包まれるようにして数分を過ごす。
この青さは格別で、どうしてか忘れられずに強く心に残ってしまう。曇っていた日や、雨降りより、遮るものなく広がる青空の下こそが、栗橋の劇場には似つかわしい。栗橋の気分と晴れ空はいつだって同期している。

栗橋は、一個の浮島のようだった。
ベイシアボートピアもまた、外界に接する波打ち際として、ぎりぎり「栗橋」の内陸に収まっている。お腹が減ればさくら亭、もしくはベイシアのフードコートに行った。ベイシアではちょっとした差し入れも買えるし、何を買うあてがなくても、絶海の漂着物というにはあまりに豊富な物品の数々を冷やかすように流し見てれば時間は潰れた。ボートピアではもちろん舟券を買うことだってできた。無数のTVモニターでは全国各地のレースをひっきりなしに中継している。水上を駆けるボートとブルーバックに重なる選手たちの情報とが、交互に映し出される。
そして何より、それらを繋ぐ国道4号線や旧日光街道を、道路に覆いかぶさらんばかりに茂った雑草をかいくぐるようにして、歩いた。このライフが物流倉庫だなんて気づくわけがないよなと、道すがらに何回も思い返したりする。
ここが国道沿いにも関わらず、この道がどこか他の街へ繋がっているだなんて、ありえない話ではないか?そんなふうに感じてしまう。

そうした時間や空間が、あの劇場で過ごす時間とまったく無関係だなんて、誰に言えるだろう。

広い駐車場の端にはバラックの事務所。隣には、なにやら怪しげな倉庫、奥に物干し竿、何より劇場自体の奇抜なオレンジ色の壁、色褪せたテント看板、その周りではじゃれあうように他愛ない話をしている従業員、気の置けない楽屋着でうろつく踊り子。そして何度も腰掛けた、コカ・コーラのロゴが白抜きになった、赤いベンチ。
国道をトラックが通ると、劇場の床は地震が起きたようにがたがたと揺れる。古めかしい場内には似つかわしくない高輝度のLED照明が、踊り子の肌をいつも以上にヴィヴィッドに照らし出している。独立した電気系統を持っていると聞くサブウーファーが、やはり小ぶりな場内には不釣り合いな低音を鳴らした。傷ついてくすんだ鏡は左右の壁と、盆上の天井に貼られている。時々ステージから目をそらして、合せ鏡の中で無限に増殖する踊り子の姿を追ってみたりする。踊り子もまた時々、無限に増えた自分自身と目を合わせているようだった。

その佇まいの頼りなさに比べて、栗橋の劇場はほとんど永遠かのように思えた。
都市からも時代からも切り離されて、そこにずっとあるかのようだった。この劇場での時間は、いかにも終わらない夏休みを過ごすかのようだった。しかし、どうやら、そうもいかないらしい。ライブシアター栗橋は2024年8月20日を以て閉館となった。閉館に至った経営上の問題を語るうわさは目にすれども、本当のところはわからない。確かに、あんなにものんびり構えていて、経営はどうなっているんだと考えたことがないわけではない。ただ、どう考えようとも、客としてはただ通うことしかできず、そして閉館となってしまえば理由などどうあれ、通うことはできなくなる。
現行の法律上、新設・再建が許されないため、日本に残されたストリップ劇場はこれで全国17館となった。そのすべてを巡ったわけではないが、どこの劇場に行っても、固有の空気がある。肌触りがある。香りがある。味わいがある。私はそれらを身の内にとどめている。

"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."

エリック・ドルフィーの"Last Date"の最後に流れる、ラジオ局のインタビューで語ったという、あまりにも有名なせりふである。ひじょうに当たり前の、わざわざ言わなくてもいいんじゃないかと思うくらいに当たり前のことを、ドルフィーはアルバムの最後に聞かせた。音楽が終われば、それは空に消えて行く。そしてもう捉えることができない。我々は、そう語るドルフィーの言葉を何度も聞くことができる。そして、音楽を聴くたびに、それを思い出すことができる。いずれにせよそれは空に消え行き、捕まえることは叶わないのだが、私たちにはドルフィーの言葉が残されてしまった。
これもまた言うまでもないが、ステージも終わってしまえば捉えることができない。かろうじて、それは劇場という空間に、かすかな気配のようなものとしてとどめられていた。閉館すれば、そして物理的に解体すれば、それらはいよいよ空へと消えていくだろう。言うまでもない。けれども、言うならば、それを読むことができる。

私が劇場に通うようになってから、はじめて、行ったことのある劇場が無くなった。駅から遠いこの劇場は送迎車を出してくれていたのだが、はじめて行ったときは勝手が分からず、歩いて行き来した。夕暮れにはまだ早い時間、田んぼのあいだの細い道を通って、冷房が直撃し続けていたので凍えて、東北新幹線の高架と隣り合わせて、ステージのことを思い返しながら、コンビニひとつない駅へと向かった。
この日の写真を見返したら、どんより曇っていた。それでも、栗橋の空は常に青かったと、これからもきっと言いたくなるだろう。