京都旅行に行った

気づくとストリップのことしか書いてない...ので、京都旅行の話。

過日、家族の祝いを兼ねて京都旅行に行った。とくにこれといった目的のない旅は久々。街を歩き、食事をするだけ、である。宿も京都駅目の前でこりゃ便利、と思いきや、駅周辺にまともな飲食店が本当に少ない。
唯一、ラーメン屋の第一旭は超がつくほどの行列。早朝営業が売りの一つの店だが、朝ならいけんじゃねと甘く見ていたら夜より行列。さようなら。しかしなんと神保町に支店ができるとのこと。気が向いたら。

1日目は市街地を歩き回るだけでこれといった収穫もなし。唯一、シャレたような"カフェ"に入ったら、なめくさったような量のたいしたこともない味のケーキがひじょうな暴利をむさぼっていて呆れてしまう。が、それも旅のイベントと思えばまあ、ギリおもしろい。
夕食を祇園の「いづう」で。いかにも"祇園"といった店構えだがお値段も手頃。店内まったくの無音ですばらしい。飲食店からすべての無用なBGMを駆逐したい。
それにしても恐れ入るのは接客の丁重なこと。といっても無駄に格式張るのでなく、カジュアルで冗談など交えつつ、しかし見送りのときなど深々と頭を下げられていたりする。自分も広義の接客業といっていい部分もあり、勉強になった。人として扱われる、というのはどうしてかくも清々しいものなのか。

 

2日目は朝から嵯峨嵐山まで電車移動。京都駅の動線がだだっぴろく快適。
数年ぶりに会う、アメリカ人の友人(流暢な関西弁話者)と共に竹林や寺などを車で案内してもらう。彼のパートナーと娘さんも途中から合流。
自分のパフォーマンスのあと、僕もジャグリングをやってるんですと声をかけられたのが初対面。大学にジャグリングサークルもあるし、また海外の方はしばしば大学の研究員だったりするので、そうなのか訪ねたら、ふたりとも「無職です!」と明るく応えたのに、ああこの人達とは仲良くなれるなという勘の通り、長い付き合いが続いている。
娘さん(3歳)には初めて会った。ふたりの子供らしい、ごきげんで明るい子供でかわいらしかった。贈り物に小石をもらった。

今回の旅最大の収穫は庭園。
じつのところ、ジル・クレマン『動いている庭』を面白く読んだのをはじめ、なんとなくスペインのアパートなどにあるパティオに惹かれていたり、断片的ではあるが「庭園」という空間にひそかに関心があった。
彼の家にほどちかい竹林散策の途中、天龍寺へ横寄り。ここの庭園がとんでもなくおもしろい。最初は階段を登ってよくわからないまま進んで行ったのだが、開けたところの池に出て先程歩いてきたほうを眺めると、一気に意匠が了解された。
まず、植栽によって歩いてきた動線は完全に隠されている。このレイヤーが一番手前で、その奥にまたべつの山があり、そこからさらにもう一つ奥、嵐山を臨む形になる。池の端に立ってそちらを見上げると、こうした三層のレイヤードがあることが明瞭にわかる。当然このレイヤードは、自然の山を軸に、手前二層を構成しているものである。また、距離によって中景に霞がかかってその層の感覚を強めもする。
くわえて、池には出島のようなものがあり、この突き出しは山の方へと伸びている。こうした視線誘導が付与されているのは、現代の目による思い違いなのか、それともそうした作為は室町期にもあったのか、浅学にしてしらない。とはいえ、誤読であったとしても、そうしたダイナミズムが感じられる事自体は否定しきれない。
池の水は山の上の及川から引かれているらしい。この水流も庭に大きな動きを作っているが、それだけでなく、寺の本堂へ向かう渡り廊下と所々で交わったり、動線も多層化している。
こうした運動のレイヤードは、やがて植栽に舞う蝶の存在を介して、季節の花々へと思いを至らせた。つまり、「四季」と呼ばれる時間分節のフレームが、諸植物の変化にやはり複層的に内蔵されていること。この庭が、また別の時間フレーム(=春夏秋冬)によって、その姿を変えるだろうことが、イメージとして召喚される。今はここにないが、かつて、そしてこれからここ=庭で循環していくという、また別のスケールの運動を想像的に呼び足すのだ。

この庭園で完全に興奮してしまったので、予定外にガンガン寺巡りさせてもらう。見たのは愛宕寺・大覚寺龍安寺金閣寺龍安寺がやはり別格で、あまりにも有名な石庭は、その石の島のユニット群を一望できる視座が与えられず、常に視野の外にいくつかのユニットが漏れてしまう。またそれぞれのユニットの外周を刷毛で掃いたように同心円状に砂利が仮の囲いを作っているから、ひとつひとつの島がミクロコスモスを成すように感じられもして、個々に凝縮的にフォーカスが向きやすくもなっている。
まったく無知なのではじめて知ったが、来る客来る客「15個の石を全部見られる視点がないんだって!」と話している。へー。だがそれは、身体を使ってみれば、だいたいそういうことになっているというのは、感じられるようになっているはずだ。皆が皆ではないにせよ、そうした雑学的な前提の確認に時間を費やしているのを見ると、ひじょうにもったいない気がしてしまう。もちろん、一般的な読解や歴史的なコンテクストをほぼ無視している自分も、もったいない見方の一つではあるのだが。

 

最終日はふたたび街歩き。『たまこまーけっと』のロケ地でもある出町柳商店街をぷらぷら。以前も見たことあるのだが、たまこともち蔵の家が向かい合う通り(実際にそうした家はない)は、ちょっと感動的。ここで紙コップを投げあったわけだ...
目当てのうどん屋もふたばの大福もとてつもない行列で早々に訪店を放棄。アーケード端にあるいい感じの店でいい感じのご飯を食べる。店の前にたまことデラがいた。

そのまま祇園四条のほうへ再び移動。以前訪れたときもテーマパーク然とした陳腐さに辟易したが、花見小路は相変わらずどころか輪をかけて観光地化されている。ウブロとかラデュレとかが平然とある。また政権与党のポスターがそこここに張り出されており、まあそりゃそうだろと言う感じではあるのだが、共産党の強い土地だけに意外さもありつつ、花柳界がその"文化"をいかにして保ってきたかが察される。
とはいえ、政治権力と親しいならまだマシで、先斗町なんかはガワだけそれっぽくてほとんどフードビジネスやツーリズムという名の資本主義に蹂躙され尽くしているようですらあって、悲惨であった。
そんななか、たまたま入り込んだ宮川町はそれらと違ってシンとした空気が漂って、どこか閉域をなしている空気が強くあった。店前に掲示されている案内の類も実に楚々としていて、あるべき姿を保っているかに思える。この旅はじめての舞妓さんが通りすがり、常連らしい客と、おそらく非番の芸者さんが連れ立って歩き、準備中の店に入っては挨拶して回ったりしている。おきばりやす、という。
そして、この空気感は各所の風俗街、とりわけ飛田や吉原などにひじょうに近いものと思ったのだが、あとで調べるとまさしくそのとおり、遊郭街だったことが分かる。自分の勘も捨てたものでない。若衆歌舞伎が盛んな地域で、陰間もあったらしいが、驚くのは、けっこう最近まで近くには立ちんぼの男娼がいたらしい。自分が知らないだけで新宿などにもいるのだろうか。

締めくくりは東華菜館。ヴォーリズ建築のいかにも洋館といった佇まいに、日本最古の手動エレベーターが稼働している。4階に促される。
東京にもどこにあるのだろうかというゆったりした天井の高い空間で、鴨川のむこうにある南座を窓越しに眺めつつ、まずまずの味の料理を食べた。

 

こうした京都旅行の帰り道、建築家の友人といろいろとLINEをした。京都の寺や街の話をするうち、商業主義に簒奪された空間への批判や、建築をめぐる視座や公共空間のありかたなどなど、話題が広がって既にして旅の効用があった。翌日、よし本棚に眠らせている建築・庭園関係の本を読み直すぞと引っ張り出して、まずは中谷礼仁『近代建築史講義』を再読し始め、これは面白いと勢いづいたところで、宇佐美さんの「アンビバレント」を見てそれ以外すべての関心が水泡に帰した。