素描_08結

 冷たい風が吹いて、これはひと雨来るかなと、昨日もそうだったことを思い出しつつ構えていると空振り。隠れていればいいのに太陽まで出てきて空は晴々としている。かと思えば、薄い雲だというのにどこから流れてきたのか大粒の雨が10分くらい降った。
 雨が降れば仕事は止めないとならない。刻々と予報の変わる雨雲レーダーを更新しつつ、雲が逸れただの、いや一帯を覆うくらい大きい雲になったから避けようがないとか、とにかく振り回されて荷物を出したり片付けたりを繰り返してばかりいた。それでも雨が降れば気温は多少下がったりするわけで、尋常な夏の夕暮れの肌触りを感じたりもした。

 そうだったと書いたように、前日も雨が降った。実際に経験したことはないが、こういう突発的な大雨にはそう言うのが適当だという知識でもって、東南アジアのスコールみたいな雨だ、と言った。建物の軒下を借りてしばしその様子をうかがう。さっきから話しかけてくる小学生くらいの男の子も一緒に雨宿りするが、雨には頓着する様子はない。もう止んだよ?と、そりゃあ小雨にはなったが、あきらかに降り続いているのに言う。まだ降ってるよ。彼は仕事ではないから、小雨なら止んだも同然なのだろう。あとは天気の変化には構わずドラえもんの豆知識を、もうひとりのパフォーマーに話し続けている。しかしこんなにもひどい夏を、夏という季節として受け入れ、良きものとして何かを留めることはできるのだろうかと思ったりするが、それも彼とはすれ違うのだろう。

 首から汗が伝うのを感じる。時間には間に合うが、待ち合わせた場所を迂回してちょっと買い物をする。レジが詰まっている。焦っているわけではないけど、汗は出る。単に暑いのだ。初めて会う人たちと会うので、あまりバタバタしたくない。買い物を済ませると先にWさんが待ち合わせ場所にいて、ふたりで貸会議室に入る。集合時間に応じてひとりふたりと集まり、自分以外は全員面識があるので簡単に挨拶をして本題に入る。複数人の話を展開させ、まとめる役回り。得意とは言いがたいが気後れすることもない。
 だがそもそも話慣れているメンバーで、自然と話題は転がるし、一つの話題にそれぞれがそれぞれの角度を足して話してくれる。あまり不安はない。ただ、ちょっとした特異点を成すワードが出てきたら、そこを拾って反復させて笑いにしたりする。これはどれだけ相手に届くものか分からないが、自分が気のおけない座談で使うワザではある。本当に笑っているかどうかではなく、笑うというモードになれば、まずはいい。

 音ゲー、というワードが出てきた。これは友人とのLINEで、だ。意味のない、テンポだけで会話するような時間のことを指しているらしい。音ゲー、したことはないがニュアンスは分かる。気持ちのいいテンポで会話することのイメージ。
 ちょうど、つい最近、今めっちゃいいテンポの会話になりましたねと感心して言われたシーンがあったばかりだった。これは自分のワザなんで、とはさすがに言うべきではないし言わないくらいの恥は持っているけど、これはワザなのだ。

 また、話しをする機会があった。だが今度は主体的に話す必要があったので、やや難儀する。会話は複数人のリズムが絡まって、「会話のテンポ」を作るのだが、ひとり語りではそうはいかない。自分がリズムを作らないといけない。聞くのはいいが、話すとなると、そこにはあまりワザがない。
 自分が話すとなれば、雨降りのなかでじっと待つようなことはできない。話しをはじめないといけない。テンポを作るいくつかのパターンは思い浮かばないでもないが、演技的な自分を想像すると馬鹿らしくなって、手持ちの札を一気に切り捨てるような語り方になる。そうなると流れを読むことはできなくなる。そういう放棄的な大敗でいいとしばしば諦めてしまう。もっと自分を遊べればいいのだが。
 
 ずっと昔にテレビで見た印象深い検証があって、雨の中を歩いても走っても、結果的に濡れる量は変わらないという。だからといって人が雨の中ゆうゆうと傘もなく歩いていると様子を訝しんでしまうだろう。実際、そういう人がいたのだ。小学生の彼と、スコールのような雨が降る軒下で、そういうおじさんを見た。小学生の彼が見つけた。雨なのに歩いてるよ。と。人には行かねばならない時があるんだよと、隣りにいたパフォーマーが言う。当然、子供には分からない含意を込めたギャグとして、それを言う。子供は笑わない。すべっているのとも違う。大人はこういうワザを時折使う。
 でも、なんのためだろうか。きっと、からかっている、くすぐっている、まあ、そういうものだと思う。そうされると子供はからかい返してくるし、くすぐり返してくる。もちろんそれほど経験もなければ、まだ言葉をじゅうぶんに玩具としては扱えない彼だから、物理的に。意味なんか分からなくても、そのうちふたりはふたりのテンポを見つけられる。そういうときがある。
 彼らは雨上がりの広場でじゃれあうようにパフォーマンスを見せ、見ていた。ように、ではないか。じっさいにじゃれついていて、それを受け入れたりいなしたりしながら時間を過ごしていた。一対一でぜいたくねえと通りがかった人が言った。でもそのうち一対一ではなくなって、じょじょに人が集まってきた。