ストリップ見聞記 (1)

縁があってストリップを観に行くことにした。
といっても、誰に手をひかれるでもなく、ひとりで勝手に行ったのだが、これにはきっかけがある。

ひとつには『イルミナ』。ストリップについて書かれた同人誌である。この本を、ストリップを観る前日の文学フリマ東京で買って読んだ。つまり『イルミナ』を読んでから24時間も経たずに劇場へ向かったことになる。そうした行動に促すほど力強い本なのか、といわれれば、そうである、といえる。

ただ、これには私があらかじめアイドルへの関心と、さらにアイドルの「現場」へ強い興味があるという前提があった。『イルミナ』は私の関心領域と重なるようにアイドル文化の相似形をなぞっている部分が多く見え、また、その似姿だけでは追えないだろう差異を確認したくて、観に行くことにした。

もうひとつ。かねてから共通の知人もあり、同じ『劇団どくんご』の受け入れという立場にもある、舞踊研究者の武藤大祐さんが、ストリップについてのツイートを頻繁にされているのを眼にしていたのが大きい。常からダンスにまつわる様々なことを武藤さん経由で情報を得ている。埼玉で観たフラメンコダンサー、イスラエル・ガルバンも武藤さんから知ったような気がする。ガルバンのフラメンコも忘れがたいし、大道芸フェスティバルの打ち上げで、ガルバンと同じアパートに住んでいたというギタリストの方と話したことも、懐かしく思い出す。つくばの夜は、いい夜だった。

話の筋道をそらしたが、昨年オンラインでされていた武藤さんの舞踊学講義をしばらく聴講してもいた。僭越ながら、私のなかに武藤さんと近しい視点もあるかもしれないと思っていた。なので、ストリップも見れば得るものは多いのだろうなというあたりはついていたわけだ。このように、けっこう下準備は整っていた。思いつきの突発的な行動ではなく、たんに機が熟したということだったと思う。ストリップを観る必然性が生まれていた。必然性、というと大げさかもしれないけれど、しかし、結果から言えばそうでしかない経験だった。


文学フリマ東京からくたくたになって帰ってきた晩。気軽に読み始めた『イルミナ』を開いたまま机に伏せて、PCを起動させる。明日、ストリップ観てみよう。Google Chromeのアドレスバーに「ストリップ 浅草」と打ち込む。ホームページから香盤表を目で追うが、あいにく見覚えのある名前はない。料金。6,000円とある。なるほど。歩いていけるから浅草がいいのだが、絶賛開店休業中の身には少し重みのある数字ではある。河岸を変えて、真反対の渋谷を探る。ライヴハウスや映画館へ向かうのに何度も通った道玄坂のあそこに劇場があるのは分かっていた。料金。午前割4,000円。なるほど。香盤表には見覚えのある名前...この段階では頭に入っていなかったが、『イルミナ』で言及されていた踊り子さんがふたり出演されていた。新宿や池袋まで調べる必要は感じない、ここで決まりでいいだろう。大きくは金額、というきわめて無粋な理由を支えに、渋谷へ行くことにした。そして、渋谷に来た。

東急のジュンク堂で新刊を流し見して、『宗教社会学』は面白そうだけど読む時間がないな、とか、隣の棚に面陳してあった本で棋士のなんとかひふみさんがクリスチャンであることを知って、へ〜となったりとか、でも結局何も買わずに用便を済まし、がらっがらの1階をすり抜けて、東急のそばでビッグイシューが売られていたので、なんとなく、それも初めて買い、円山町を抜ける。途中、ホテルから出てくるカップルとぶつかりそうになりながら、はやめの昼食を取りにきたサラリーマンたちが中華料理屋の前に並んでいるのが見えるところまで来た。あ、ついたと思って左手の下り坂へ向かって折れると道頓堀劇場だ。
一段上がった入口の向こうに敷かれたふるめかしい赤いカーペットは遠目にも時代がかっていて、かつ淫靡に思える。淫靡さは人を惹きつけもするが、跳ね返しもする。繁華街のごく近くで育った身には、懐かしくもあり、同時に幼なごころに後ろめたいような気恥ずかしさも覚えたことを、こうした場所を通るといまだに思い出す。
とはいえ、さすがに恥ずかしいもなにもない歳なので、ためらいなく入店した。張り紙で顔の見えない受付から、窓越しにチケットを買う。さらに中へ入ろうとするときクロネコヤマトの配達とかちあわせてまごつくが、劇場の人にうながされて先行する。検温・消毒。バーカウンターが奥に見えたがスルーして左手の階段を地下に降りると、出演者のポスターやら何やらあるようだが、ともかく開け放ってあるドアを早々にくぐった。

こうも長々とわざわざ無関係なことも書いているのは、なんだかんだとずっと緊張していたからだ。行きつけない場所..."他現場"であることはもちろん、恥ずかしいもなにもないと言いつつ、行われる事柄と目の当たりにする事を思うと、さすがにどきどきする。ただ『イルミナ』にはさまっていた初心者への行き届いた案内が載った小冊子があったおかげで、よけいな緊張をすることがなくて助かった。場内はスマホの取り出し厳禁。大丈夫、本がある。本は時間も潰せれば、視線をそこに落としている限り、なにか余裕めいたものすら漂わせることができる。ところで14歳のころ、映画館の待合席でバタイユを読んでいたりしたのだが、さすがにわざとらしかった気がする。澁澤龍彦訳『エロティシズム』。何が書かれていたのか。今は手元にない。

場内は四方とも黒い壁。床は板張りで、とにかく狭い。ライヴハウスでいうとO-nestを三分の一くらいに縮めたくらいの広さ、と思った。壁の色と床の材質、後方が一段高くなってる形からの連想だろう。だがそんなことより、目の前にはあの特徴的な花道と出島である「盆」があり、それを半円形に囲む長椅子が四重に設えられている。シートは年期がはいってて、テープの補修が目立つ。先客として紳士ふたりがいて、ふたりとも下手の二列目・三列目に座っている。私は、なんでも下手側で観る癖があるので、彼らとほどちかい、下手最後方の端に席を取る。

座れば座ったで、バルト、リンギス、森崎東...と自分が引き出せる範囲のストリップに関係のある固有名がいたずらに頭を行き来する。ゆえあって読み返している『存在論的、郵便的』はほとんど頭に入ってこないし、だいたい、寒いんだけど!空調の風がずっと背中に当たり続けて、さすがにつらいので上手側に移動して、また森崎東、リンギス、バルト...とやっている。スピーカーからはうっすらとスティングが聞こえている。いや、ポリス時代だったか? シャザムすることもできないので、ただただ曲は流れ去って、しらないR&Bに変わる。気づけば客が増えていた。1,2,3...8人?全員男で、私がまぎれもなく最年少である。文庫を開いている人がいる。ビールの缶を開ける音が聞こえる。アサヒスーパードライの350ml缶。すでにうつらうつらしている人がいる。手紙か何かをていねいに折りたたんでいる人がいる。タンバリンの音が聞こえる。三味線の音が聞こえる。三味線を持った男がよいしょっと言いながら舞台に上がる。なるほど、前座さんがいるのか!

どう考えてもきつい現場だ。無愛想ではないけど、いわゆる演芸を楽しみに来たわけではない客。めずらしく精一杯笑ってみせたりした。演奏の合間に、時事ネタや小ネタ。コロナも怖いけど、今は何よりガサ入れにあったら怖いですね!というギャグが頭に残る。生まれてこの方、警察権力の介入を受けた記憶がない。初のストリップでガサに遭ったらウケるな。三味線を持った芸人は持ち時間の10分を過不足なくクリアして、よいしょっと言いながら降りていく。芸の間、ときどき、幕の向こうで足音が聞こえた。たぶん、裸足の音だろう。あるいは違うかもしれない。

芸人が退出したあとも、しかし、こんな場で、自分だったら前座で何ができるのだろうと考える。すぐ、楽しそうだな、と思ったけど、いやいや、それはいまこの場に好奇心を持って座っているからだろうと思い直す。でも、どうだろう。盆の上で何をしたら面白いかしばらく想像していると、女性のアナウンスが入って、完全暗転。
音楽が流れ出した。

 
(つづく)

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