ITZYのリレー動画が面白い

年が明けてからというもの、何度も繰り返して見ている映像がある。

 

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特に断りも入れていないが、ひとつではなく、上のふたつ。

 

Twiceの「Eyes wide open」がなければ2020年の私的ベストK-POP音源だったITZYの二枚のミニアルバムから、それぞれ表題曲がパフォーマンスされているこの動画は、見て分かるように、スマートフォンの縦型の画面を想定した9:16のアスペクト比で、メンバーひとりひとりが順繰りに前へ出てワンフレーズずつ踊っていくのを繰り返す「リレー動画」という企画のもの(この企画を考えた人に心からの拍手をしたいくらい、好きだ)。
どうしてこれを何度も見ているかというと、楽しいからに尽きるのだが、何が楽しいのかと言われると、けっこう説明が難しい。

 

ここでついでにもうひとつ見てほしいのだけれど、ITZYの振付師であり、Twice,NiziUらJYPのアイドルだけでなくPSYからBLACKPINKまで担当する売れっ子Kiel TutinがBLACKPINK「How You Like That」をWSで踊る(ユニゾンが前提になっていてフレーズは違うが、一部のフレーズが制作段階で使われていた)映像がある。

 

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前後するが、BLACKPINKの踊りを見てから見たほうが、よりおもしろい。

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Kiel Tutin、ちょっと笑ってしまうほど踊りがうまい。
もちろん、素人なので、なにがどうと言う具体的な説明はできないし、いや、こんなのは別にそこまで大したことない、ということもあるかもしれない。
にしても、BLACKPINKに与えている振付が、段違いの明瞭さ(「ハッ」と息を引き込むような音でなされている両手を開くポーズが、KielとWS参加者で、どのように違っているのかを確かめるとおもしろい)で再現されているのは明らかで、くわえて異様な内股のフォーム、そしてそのコントロールなど、単純にあまり見たことがない。この動画もしつこく20〜30回くらいは見た。この話も、飽きることなく、様々な細部をねぶるようにして話していくこともできるが、問題は、というか気になるのは、あくまでも前出のITZYのほう。

Kielのダンスに関しては、すでに書いたように、「ダンス」としてその線や力の働きを追っていくことで、関心の在りどころを掴むことが、それなりに可能だ。
けれども、ITZYのリレーダンスでは(抜群の「ダンス」の精度を楽しみつつも)、そうした表層を追いかけるだけでは足りない、と感じる。自分は何を見ているのだろう、と思いつつ何度も見ている。
もちろん、何を見ているのか、端的に書いてしまうことはできる。たとえば縦一列のフォーメーションに対応された振付のアレンジだとか、振付の途中に挿入される、ちょっとしたポーズだとか、ユナ(「Not Shy」のトップで踊るメンバー)が、列からはみだして、あるいはメンバーが屈んだりすることで空いた隙間をとらえて、何度もカメラに顔を見せる......そう、こう書いてしまうと、ユナがカメラに向かって顔を見せていることで、何を見ているか、わからなくなっていることに気づく。ダンスパフォーマンスに含まれるさまざまな階層の、どこに位置づけられるものなのかが。

これもまた、とりあえずの簡単な結論を出してしまうこともできる。つまり、5人で踊られるパフォーマンスの総合的な空間乃至リズム(をカメラはフィックスで収めようとしている)からユナがひとり脱してしまうことで、空間乃至リズムの持つ方向を多方にブレさせ(ちょっとした仕草やポーズもこうしたベクトルに対応する)、予定調和ではない華やぎやかるい驚きが与えられる...などと。わかったようなわからないような。
ようするに、Kielのそれ自体大量の情報を含むようなダンスと、また違った階層の情報が一緒くたに混ざっているリレーダンス(これもまた言及したように、動画のスタイルもダンスと不可分である)とを重ね合わせて、重なりきらない剰余にあらわれる「アイドル」の姿に、いまだ飽きないのだな、ということでしかないかもしれない。

以前書いたけれど、「How You Like That」のダンスプラクティス動画では、LISAのダンスが絶品である。ダンスもだけど、表情、特に視線の使い方がとりわけすばらしいと思う。対して、Kielは、マスク姿であるからという側面はあるにしても、表情も視線もまったく使っていない。異様な身体のコントロールだけで、(逆説的だが)アニメのようなリアリティを表している。
寄り道して細部に入るなら、たとえば冒頭、深く落とした重心が、その深い重さに反してパキパキと内転する両膝によって霧散するのを、いっそう早くに振り払うような腕の速さにつられて持ち上がる左足がつくる瞬間のエアポケットと、全身を支える右足の強さ、に促されてやはり強く踏み込む左足による力の連鎖があり、他方で、腰というにはあまりに自在な回転に突き出し、双子のように近づきあう膝頭が結果的に形成する内股のそれらフォームが、ありきたりな「女性」像を引用しつつも、過剰さにおいて定型を崩してしまうような、その強度に宿っているリアリティに巻き込まれることが、彼のダンスを見る経験だと思う。

 

では、と、またITZYに話を戻すと、彼女たちがもっぱら「アイドル」の系において私を巻き込むとしたら、そうした力の働きとはなんなのか、やはりよく分からないままだ。分からない、というのは、ひとつには「形」に基づいた根拠の遡りがむずかしい、ということだ。ユナが列からはみ出て顔を見せたり、他のメンバーがちょっと振付以外のポーズをしたりするのを「形」の問題として考えていくと、無理が出ると思う。
すくなくとも、かわいいから、とか、尊いから、というのは、あるにしてもそんなにピンとこない。それにしても、かわいい、ということについて、充分に(というのは、しつこく、ということ)考えられた文章を、ほとんど知らない。かわいい、ということが人をひきつけてダンスや歌を見ることに招き入れるなら、そこに何があるのか、とても知りたい。かわいい、とは別にそういうことではない、ということもあるだろうし、それであればそれで気にはなる。かわいい、ということは、よく分からない。あるにしても、自明のことではない。当然、自分が括弧付きで書いた「アイドル」というものの内実が何なのかも、不十分なままだ。そんなに考えるようなことでもない、のかもしれないけど、面白いと思って見てるものが何なのか、言葉に置き換えられるならそうしたいというのが癖なので、ちょっと仕方ない。何か別の仕方があるのかもしれない。



年末からこうしてしばらくK-POP漬けで、MVも他愛なくダベっている動画もそれなりに見ていて、気づくとライブ映像はあまり見ていない。いいものに当たっていないのか、ツボを外してるのか、面白いと思うことがほとんどない。たいていダンスプラクティス動画よりも精度が下がって、リレー動画よりも華やぎに欠ける印象だ(状況が許すようになったら、ぜったい現場に行きたい)。

というので、久々に日本のアイドルのライブ映像を見ると、やっぱり面白い。当たり前だが、これは単純に比較して日本のアイドルを持ち上げたいわけでなく、「ライブ」によって感じられる、やはり根拠付けがむずかしい固有のリアリティが、日本の一部のアイドルグループにたくさんある、という話にひとまずしてしまう。

 

このとき、やはり以前書いた記事のことを思い出す。K-POPのダンスプラクティス動画に範をとりながら、徐々に違いをみせるカメラの動きから、日本のアイドルが主にライブで見せようとしている、あるいは観客が見ている"何か"が現れる。
ありていに言ってしまえば、それは「情動」だろう。だが、喜怒哀楽で単純に捌ききれる形式的な感情ではなく、情動に伴う、微妙な表情その他の筋肉の変化が、おそらくある(ダンスだけでなく、声帯にも影響があるだろう)。そして、それを見ている。コントロール埒外にある動きを、見尽くすのではなく、感覚的にキャッチする。Aqbirecの無観客配信であればカメラの押し引きに反映され、旧来であればオタクのMIXやコール、モッシュにフィードバックされる。それが「現場」となっていく、とするのはいささか我田引水のきらいがある(『かいわい』買ってください)けれど、いったんそうしておく。

 

 

もろもろいったんの落ち着きが出てきたので、今は結論も何もなくてもどうでもいいのだが、当然また、今年も何かとこういうことを書いていくと思う。

 

 

 

ちなみに、ですます調は廃止。一、二年前から思ってたけど、どうしても書きづらくてなー。