2020年のまとめ 観たもの聴いたもの編

毎年、その年に良かったものをずらずらっと並べるのが楽しみだったのですが、どうも今年はいまいち興が乗らず。趣向を変えて、各ジャンルひとつのものだけにしぼってから、話してみようかなと。そうしよう。

 

音楽

 

Twice 「Eyes wide open」

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※1/3注を追記
今年はいよいよK-POPカルチャーを見ていくぞという条件が揃ったかなあという年にもなりました。BTS,NCT,ITZY,BLACKPINK,MAMAMOO,LOONA,aespa,Weki Meki......既知のグループも未知のグループも、次々に好みの音楽に行き当たりだしたのを最も大きい要素としつつ、リリスクのminanさんのバースデーライブでK-POPから「Feel Special」「Any song」「Dynamite」をバンドセットで聴けたのも現場の多幸感と相まって後押し、その流れでチェックしたTwiceの新譜が、かつてのキラキラしたポップさとは別のイメージで上書きされたのが決定打でした*1
貼付けた「I CAN'T STOP ME」の、いささか懐古趣味もあるサウンドも趣味ですが、「BRING IT BACK」のように大胆で、トレンドも抑えつつ、かつそうした目配せにとどまらない"K-POP"固有の手触りをおもわせるに充分な楽曲群が、ピアノバラードという個人的な鬼門をクリアした上で13曲も連続する幸福。聴き始めたのこそ今月ですが、今年のベストアルバムといっていいほどリピートしています。
ちなみに、これを聴くまではITZYの2枚のミニアルバムがベストで、グループダンスの精確さに関心の薄い私ですら目を引く精度と、一転して、まるで日本のアイドルのようにくだけた企画–––ポジションチェンジや衣装チェンジによるダンスプラクティス動画–––のグダグダ感も身近で、K-POPにおける"推しグループ"の様相です。

 

こうして楽曲/パフォーマンスから離れた側面にコミットできるようになると、いよいよという構えができてきます。しかし、現場はもちろん、しっかりコミュニティに属してないと見落とす様々が多すぎて何もわからないまま、修行時代は続きます。
K-POPとはなんなのか、というそれ自体外野だからこそ口にできてしまう目の粗い疑問は、たとえばブルピンのNETFLIXドキュメンタリー『Light Up The Sky』などを見ていても、違和感に重なって浮かび上がります。
K-POPは(日本のアイドル文化に深くコミットしている立場からすると特に)、どうしても優れた部分だけがピックアップされて語られがちにみえます。ゴシップめいた話題は論外としても、ひたすらハードなトレーニングを誰でもないものとして数年間続けた先に、ひとたびデビューすれば突如として世界中が自分たちを大スターとして認識してしまうこの光景には、かつては『ローマの休日』によって瞬く間に大スターになってしまった「オードリー・ヘップバーン」を生んだ時のような、むしろ"古さ"の回帰を見てしまいますし、ありていに言って恐ろしさに似たものも感じました。またそもそも、技巧の修練を徹底するその方法論が手放しで褒めそやされるような価値観へのコミットも、いったん距離をとりたいと思います。

これらは単純な批判ではなく、私自身の知識不足から判断留保しつつも、今後K-POPを見ていくときの寄す処となるような感覚の問題です。いつか、単なる勘違いだったなとすべてひっくり返しうる。文化とは、マクロに見てもミクロに見ても一面的にはなりえず、その多様さの混合体の縫い目を辿っていくことにしか、確かさは現れません。そのとき、やはり様々な言葉が必要になってくるでしょう。
だが、身を切って文化に関わっていない人間の「ひとまず」の理解は、さしあたって自分には必要ありません。同時に、首までズブズブに浸りきった人間の言葉だけがリアルなのかといえば、それもどうでしょう。

 

というとき、この大和田俊之さんの連載は非常に助けになりました。BTSアメリカで成功したことに生じている歴史性を、政治的/文化的要素を取りこぼすことなく描き出しています。

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どのくらい関心が続くのかちょっと分からないけれど、この年末年始は特にK-POPまわりを見てみようかなーというところでした。

 

映画

 

もう「映画を観ている」とは言えないほど低調が続いていますが、わすれがたい映画に出くわしてしまいました。



エリア・スレイマン『時の彼方へ』

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10年越しに見ることができたスレイマンの映画は、オールタイム・フェイヴァリット級の作品でした。『D.I』もお気に入りの作品だっただけに、期待は随分高まっていたというのに、そんなハードルなどやすやす越えて、このまま映画が終わらないでほしいと思ったほどです。言葉少なな役者たちとは裏腹に、画面は運動にあふれて止みません。
予告編中にも映っている花火のシーンの美しさたるや、映画史に登録されてしかるべきものでしょう。ラストシーン、スレイマン本人の主観ショットとして繰り広げられる眼前に往来する人間たちの姿も、忘れ得ないものです。
パレスチナ出身の監督が父の半生を描くことで逃れがたい、彼の地の政治的な諸問題について、ほとんど何も知らない恥を忍びつつも、まず「映画」として酔ってしまう。


新作『天国にちがいない』も素晴らしく、年明けにはようやく全国で劇場公開もされます。大掛かりな無人のパリでのロケシーンと対照的な小鳥とのダンス(?)シーンは必見と言えます。

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ここは思ったより言葉が続かないけども、映画はいまだに最も好きな自覚のあるジャンルです。しかるべきタイミングでまた向き合うだろうし、だけど、もしかしたらそういう時期はなかなか来ないのかもしれない。

 

 

近藤聡乃『A子さんの恋人』

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もっぱらこちらの頭の問題で、大変なので通読しないけどおもしろい、みたいな本と、通読したけど全部忘れた、みたいな本が山程あります。

 

そんななかで、唯一買っていた漫画『A子さんの恋人』が無事完結(いまの自宅に漫画は、この作品と『わたしは真悟』『放浪息子』くらいしかない。それらに並ぶくらい好きだということ)。さすがに5年の付き合いとなれば忘れがたく、印象も未だ鮮やかです。完璧な結末には落涙。。
一筋縄ではないタイトルであることをいちいち感じさせるストーリーは、美しく簡潔的確な線描に縁取られたキャラクターのドライな意地悪さと生々しい煩悶によって、快くもそればかりではない緊張感を保ち続けます。人に恋し、愛そうとするさまは滑稽で、その出来事の表面をスケートのようにして軽やかに滑っていくだけでも、それはそれで清々しい小品として私は好きだったはずですが、厚い氷を突き崩して、取り返しがつかないことを引き受ける切実さに迫った作品でした。あまり好まない言い回しですが、誠実さが支える表現の強度に、あらためて驚かされます。いや、ひどく抽象的な言い方をしてるのは、めずらしく「ネタバレ」を避けているからです。いわゆるショッキングなラスト、というわけではないけど、頭からもういちど読み返さずA太郎のことを書いてやれる気がしない笑ということでもあります。
A子さん、そしてその「恋人」であるA太郎と呼ばれる登場人物が、どのようにしてラストをむかえるのか、あるいはどのように作品を支えていたかを、ぜひ読んでいただきたいです。

 

恋愛を主題にしたコメディで、同じような切実さから逃げなかった作品として、古沢良太脚本の『デート』も思い出していました。

 

ライブ

 

BABYMETAL 「LEGEND - METAL GALAXY」幕張メッセ

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書くのもむなしいような1年に思えるけれど、いやいや1月のベビメタは、5年間のベビメタ経験のなかでも指折り3本に入るものです。YUIMETAL不在のダークサイド期から、YUIMETALの正式な脱退発表という谷を越え、横アリでは元モーニング娘。鞘師里保が非公式に加入する驚きと新曲の連打(私がはじめてベビメタを見たのがこの横アリで、さらに同じように1曲目が新曲という、回帰ぶり)、なにより笑顔のSU-
METALという大歓喜のライブすら上回って、幕張のライブは素晴らしかった。

新作から未パフォーマンスの楽曲をやるのは、まあ予想通りとはいえ、やはり大大大歓喜。忘れられないのは、なんといってもラストの、2017年末、広島でやはりYUIMETAL不在で行われた以来の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が、5人+東西の神バンド全員集合という蒲田行進曲のラストかというような大盤振る舞いの姿でパフォーマンスされたこと。ピアノイントロが流れ出した場内のざわめき、そして千々に乱れた興奮がまとまりなくそちこちで歓声や跳躍に還元される「現場」の熱。2014年来、毎年海外遠征に行ってゆうに通算100回はベビメタを見ている友人ですら、この日の特別さを話していたものです。

また、そうした興奮を支えていたのは、フルフラットでけっしてライブ向きではない幕張メッセのどこからでもステージを視認できる、なんていうものではない、背面すべてを覆う超巨大高解像度パネルと、その映像演出に触れないわけにはいきません。直後のEUツアーでもついにバックドロップを排してまで携行された高解像度パネルは、ベビメタのライブがいよいよ映像と分かちがたく、また能動的かつ積極的に映像/身体の共存を目指しはじめたことを示唆していました。

ことに、「Distortion」での、SU-METALの睥睨するような視線と観客を煽動する指先(かきまぜるようにして、フロアにサークルピットを生成する)がスローモーションのなかでディゾルヴする場面など、ほとんどリーフェンシュタールの映画のように危うげな強度まで感じるほどでした。

ベビメタのステージ上の身体は、多くの場合、会場の広さから直接視認することが難しい。我々観客は、BDや動画を介し、ベビメタの映像的身体を見ています。これが、リアルタイムで、ステージと並走的に発生していること。ベビメタのライブにあって映像は補助的な要素ではなく、まるごとライブ経験を担うファクターになりつつありました。このことを考えたくあるし、本当であれば1年かけて様々なライブで展開される部分であったと想像します。

 

映像と身体のテーマは、配信活況の状況で期せずして豊富に考えることになりました。なぜある配信がつまらなく、またある配信が面白いのか。映像/編集によって再編される身体/ライブのありかたには、望むと望まざるとに関わらず、来年もまた多く向き合わざるを得ないでしょう。 

 

おわりに

 

ということで、大まかには、いまだにアイドルを中心に関心がめぐっている1年には変わりなかったようです。

他にもビデオゲームをはじめて、触発されることがかなりあり、そういった話もなくはないけど、「アメリカン・ダンスアイドル」以降すっかり飽きてしまったオーディション形式の番組(なのでラストアイドルは一瞬も見たことがない)であるところの「虹プロ」をこの年末年始でぼちぼち見てみようということにしたので、残念、時間がありません。

 
言いたいことはだいたい言い終わりました。
それでは、よいお年を。

*1:もう一度あらためて過去の楽曲も聴かなきゃなあと『Twicetagram』に『TWICEcoaster LANE:1』『LANE:2』とさかのぼったらば、いやー全然いい。スルーしてたのは、こちらのタイミングが整ってなかったということに尽きます。もしくは、MVのきらびやかさが聴取を鈍らせてたところはあるかもしれない。

2020年のまとめ 仕事編

今年の仕事を振り返ってまとめておきます。

 

年始からの冬期はたたでさえきびしいというのに、しのび寄る疫病に目配せしつつの環境で大道芸の"修行"を耐えたものの、年度が改まる前に開店休業。
おかげでオンライン上でのなんだかんだが増えました。

 

さっそく5月には「マヤマ」で(宮本道人さんが言うところの)ディスタンス・アート的新作と、過去のアーカイヴを『Cc Cc』として販売スタート。
意識的なものですが、まあだいぶ地味です。とはいえ、コンセプト面ではかなり納得がいくまとまりになりました。買って!

note.com

 

ホゴノプロフィスからは、仙台文化事業団の助成事業として、ジャグリング入門動画を公開。7月末から3ヶ月連続「レッツ!キッズジャグリング・オンライン」として行いました。暑いなか自室で幕を立てたり照明つけたり、大がかりでしたわ。編集も今ふう(?)にしてみたり。

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唯一の遠征というか帰省というか、白石はこじゅうろうキッズランドにて出演もあったのが8月。楽しかったですね〜。

 
 
 
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アイドル批評誌『かいわい vol.1』を10月に創刊。編集・装丁(タゴマル企画)・執筆と、いちばん働きました。無名の同人誌で100部以上の頒布は、なかなか快調と言っていいようです。
拙文では、昨今の道徳的規範から逸脱するような、アイドル文化の「現場」で生じるグレーゾーンのあり方を追いました。買って!

kaiwai.booth.pm

 

1,9,12月には空転軌道の劇場公演もありました。昨年から新パートが増えまして、さらにボリューミーに。10月は無観客生配信もありましたね。

 

 

さて、パフォーマンスの機会自体は言うまでもなく激減しましたが、なんだかんだ成果は出ているのでした。しかし例年だと、このあたりで来年分のスケジュールを更新する記事を固定にして更新するのだけど、現在は白紙です!!どうなるやらね〜。

 

いちいち悲壮感を醸すようでバカバカしいですが、こういう時期に支援していただいたり足を運んでいただいた方々には、本当にありがたく思います。
金銭的なサポート(死ぬほど重要です)はもとより、マスの小さなところでやりとりしてるぶん、おひとりおひとりのリアクションは相当に大きく受け取っております。

ニューノーマルだのウィズなんたらだの、ウイルスと共に瀰漫(端的な感染予防法の余剰で機能して)いるたわごとには一切与したくないので、お互い変わってしまってもなんとなくやっていけるが、そのうち今まで通り楽しみましょうという塩梅です。

 

 

 

時間があったぶん、見たり聴いたりはずいぶんはかどったので、こちらについてはまた別に更新したいですね。

 

ということで、めずらしい一年にお付き合いいただいたり、ご助力いただいた皆さま、あらためてありがとうございました。来年も、あるいは来年こそは、お目にかかりましょう。

Minan Birthday Jam Party 2020に行ってきた話 ※12/8追記

※本日12/8に配信されたリリスクのファンクラブ限定メルマガ(無料登録可・有料だと画像と動画も見られる)のminanさんが書いた文章は心動かされます。ご本人が抱えていた、年齢を重ねていくことの迷いをてらいなく書いていて、その率直さに、ふと涙腺が緩んでしまいます(そういや、よみうりランド後のhimeさんの文章でも泣いた)。何度か書いていますが、「オタク」になると、こうした情緒がとても育つし、それはみっともなくもあるけど、強く肯定したい部分です。
リリスクのメルマガ、時間が経つと遡れなくなるので、今登録して読もう。つうか過去のやつ読ませてくれ。
以上、勝手に宣伝の追記でした。

 

 

30歳になったとき、自分が何を思ったかなと思い返そうとしても、たいした記憶がないから、すでにして年齢などどうでもよくなっていたのかもしれず、三十路に先じて27歳のときに、あーもうこんな歳になるのかと感じたことだけは覚えています。

というのも、lyrical schoolのminanさんが30歳をむかえる「生誕ライブ」に参加してきたので、何年か前の自分のことをうっすらと重ねてみたのでした。
ご本人はただ楽しそうに年齢を重ねているのを、サイクルの早いジャンルに属していることから、ことさらに盛り上がってみせるのもはしたないとは知りつつ、観客の身勝手さで、30歳のアイドルなんて、ひたすらに最高だなーと思ってしまいます。

 

でもそんなことより、ふだんのストリートファッションとまったくちがった、半袖の白いパフスリーブのブラウスに黒いロングスカートを合わせた衣装にロングヘアーはゆるくカールさせてドレスアップしたminanさんがステージに小走りに笑顔であらわれることの...いってしまえば説得力のつよさには、だれもがわざわざ言葉を必要しない圧倒的な「アイドル」を目にしたでしょう。そして見目の華やかさにとどまらない「かわいさ」とはなんのことなのか、大人になってもそれを保ち続けることは可能なのか、minanさんはその答えを全身で体現しているかのようです。最近お気に入りのNiziUにBTSから想い出のミスチル、変わらぬあこがれの柴咲コウに新たな挑戦のギター演奏はスーパーカーと、ぴょんとぴょんとお気に入りの曲の間をはねまわるかろやかさにも、快さがあふれています。
いっぽうで、きっと皆さんは、私が楽しそうにしているのが一番楽しいと思うので、と"わかってる"発言があるのに、けっきょく何度も、みなさん楽しいですか?と確認せずにはいられないのがお人柄というかたちでした。

 

アンコール、サプライズでバンドメンバーがHappy Birthday to Youを演奏して花束とプレゼントを受け取ったあと、 minanさんが慎重に言葉を選びながら、ファンからのメッセージ、または直接誰に向けるでもないSNSの言葉をすべて「受け取っている」と繰り返したのが印象的です。とくに今年の状況下で、ポジティブであれネガティブであれ、それらの言葉の重みは増したはずです。

われわれは、と突然立場を変えて話し出すのをゆるしていただけるなら、送り手であると同時に、積極的な受け手である瞬間があります。わたしのような芸人ですら、なのですから、アイドルは幾たびも、より切実に「受け取る」必要があるだろうと想像します。そのことについては、先日べつの記事でも具体的に書いたので先に進んでしまいますが、minanさんが、あるいはリリスクがいまのわたしに特別好ましく、見聞きすることが必要なのだなと感じられるのは、そうした「受け取る」ことの切実さの先にminanさんが口にした、適度に、テキトーじゃなくて、適度に楽しんでいきましょうと言ったことに含まれている、おそらくは意識的に培われた余裕があるからです。受け取った重みに沈まない柔軟さこそ、わたし達に分け与えられたギフトであり、ふたたび受け取るべきものではないかと思います。おそらくは30歳というやはり決して小さくはない節目も、また。

 

言わずもがなの感想を付け加えるなら、ひとりの知り合いもおらず、スーパード新規のわたしが最後まで楽しめるか、さすがにいくらか不安もあったけれど、最後まで完璧に楽しく過ごせました。あと、twiceのカバー(ドレッシーな姿から繰り出されるラップパート、最高でしたね!)がよくて、あらためて今年の新譜とかチェックしてたら、先々月に出てたアルバムが、ちょう傑作じゃないっすか。あんまり話題になってた気がしないけれど、なぜ。マジでいいです。ありがとうminanさん!

 

 

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minanさんが歌ったのはこれ。Feel Specialって、ほんとそうだよ!

 

 

 

あーしかし、長年minanさんを推している友人の大事なプレゼントを代理で手渡すミッションや、写真が死ぬほど苦手(仕事は除く。いや、嫌ではないがやはり苦手または下手)なのに、ことの流れで人生初の2ショットで特典会に参加させていただいたり(これでもかという美人のよこに、だっせえ奴がだっせえ写り方をしている)、期せずして「オタク」としてのステップをまたのぼってんなというのもあったり。今年いかにリリスクに楽しませていただいたかをお伝えできて大満足ですよ。ほんと、Apple Musicのリプレイなんたらいうの、リリスクで埋まってましたからね。

 

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我ながらすごいなー。

 

 

 

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アイドル批評誌『かいわい』販売開始

販売開始しています。
販売サイトリンクと、重要事項のツイートを以下に。

 

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執筆陣はすでにツイートで紹介してきましたが、お手元に届くまでのひみつということで、このタイミングで題字を書かれた方をご紹介。

 

 

アイドル批評を名乗る本誌にアイドルの、それも我々が本を作るきっかけをいただいたアイドルのおひとりにサインを頂けたのは光栄そのものです。
こういうご縁の動きは思い入ればかりではなく、つくり手にグルーヴをもたらして制作物に反映されると思っています。

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本のおもしろさや、特に自分の論考の出来などはお読みいただいた方に委ねるしかありませんが、決して趣味の延長の活動ではないし、この状況下で最も力を使った制作です。どうも、シングルイシューでなければ伝わりづらいなか、たしかにとっ散らかった活動をしていますが、とっ散らかることにおいて、またとっ散らかる方法において、ふしぎと一貫しています。論考もいくぶんはそうした話、でもあります。同時にそれは、文化論でもあるし政治論ですらあるはずです。

 

とはいえ手に取るまでは尻込みもあるもの。
ということで、聞き流せる程度にダラダラとしたラジオを編集部でやってみました。ノーカットでお送りしていますので、余計なことも言っている。 

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買って、読んで、感想をいただけたら幸い。

"アイドルを存分に語れるBAR"に触発されて雑然と、主にAKB48の話題

一昨日、Loft9 Shibuyaで行われた"アイドルを存分に語れるBAR"という配信をみました。南波一海さん、吉田豪さん、ぱいぱいでか美さんという盤石の布陣に、さいきんアイドル界隈への関心著しい(元?)批評家の佐々木敦さんが加わるかたち。

沼(佐々木さんのパンチラインに拠るなら「湖」)に入りたての佐々木さんの微笑ましい姿を見るだけでなく、話題が多岐にわたり、120分間ダレないトークイベントで、アーカイブで見ようかなと思ってたのが、ついつい最後まで見てしまったほどです。ハマりたての人を見ると、それが意外性のある人であればあるほど、つつきがいもあるし、何より自分の初心を思い返して楽しいものです。

 

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しかし、自分の初心であるAKB48は、ハロプロ好きが並ぶこのメンツにあってはいささか分が悪いようす。あまり親しくないどころか、批判的な文脈で登場することも多く、まあそのほとんどがうなずけるものですが、ここはひとつバランスをとりたいもの。とはいえAKBに関しては、こんないいところがある、という話より、悪いところが過大評価だと思うことが多かったものです。トーク内でも言及されたドキュメンタリー映画での"過酷"な西武ドーム公演や、その公演でもしばしば代表的に言及される「フライングゲット」のパフォーマンスだって、主催の熱中症対策不足にも大きな原因のあるバカバカしい(意味不明な美化)シーンだし、そこに限って言うなら、観客がもつ残酷さの欲求を刺激する水準のことですらないと思います。
大体において、今もって地下アイドルの運営がしばしばバカをさらしている(吉田豪さんをフォローしているなら、月一回は破綻した日本語でなされる様々に愚かな報告文を読むことができる)ように、AKBだって秋元さんの名前を抜きにすれば、実績もノウハウも乏しいなか、なんとか世に出てきたチームなのだ、という評価もあり得るのではないでしょうか。西武ドーム公演時において活動7年目、ミリオンヒットを飛ばしているグループに対する評価としては甘すぎるかもしれませんが、単にバカだよそれは、と言ってあげるほうが、シリアスにすぎる受け取りをするよりか健康的ではと思ったことも。(逆に言えば、そうした運営のノウハウが充分に蓄積されただろう果てに起きているNGT48の問題、欅坂46の不安定さは、各運営に分離があるという言い訳すら立たないほどには深刻だと思います)また、"ガチ"さを売りにして、それがインフレを起こしていったのも事実ですが(しつこいですが、欅坂はこれに絡め取られすぎたと思う)、じゃんけん選抜のような、すべてを偶然に委ねてしまう別の極に振られた"ガチ"さ、もまた見逃したくないものです。すべてがおよそバカバカしい偶然で決定してしまうバカさ加減と"残酷"さはギリギリのところで背中を合わせていた。そもそも過剰にシリアスな選抜総選挙も、当の仕掛け人である秋元さんにとって、どこか他人事のような側面はなかったでしょうか。歌唱メンバーがじゃんけんで決まることも、オタクの投票で決まることも、等しく自分の責任から離れた出来事です。秋元さんのこのバランス感を理解することなしに一面的な批判、また感覚的に引いてしまうことで、何か取りこぼしてしまうものが多い気がしてしまう。まともにやりあって敵う相手ではないというか。

まことに失礼ながら、私は秋元さんの仕事に対する尊敬がほとんどなく、「初日」「お待たせセットリスト」のような歌詞を読むと、あまりの他人事ぶり、あるいは乖離したまま憑依するような人ならぬ距離感に理解不能な恐ろしさを覚えます(本当にくどいですが、欅坂46「二人セゾン」なんかは秋元さんの作家的良心の頂点だと思うし、マイフェイバリット・アイドルソングとしてこれからも上位を占め続けるはずです)。が、最初に言ったように、秋元康というプレイヤーが作ったゲーム盤のうえで起きていた様々に、どうしようもなく惹かれていた数年がありました。秋元さんの現場からの乖離と表裏一体な権威性の隙間を縫って表れてくるメンバーたちの輝きに注視していたような数年、です。


かといって、私が楽しんだ数年は、やはり様々な愚かさとセットです。ただ、私がAKB48から得た大きいもののひとつは、愚かさを外部から断じるのではなく、当事者性において都度にグレーゾーンから微妙に判断する重要性です。愚かだが素晴らしいし、輝いているがどうしようもなく駄目、という両立が、とにかく多かった。今もって"オタク"であることに脳天気な開放感ではなく、葛藤を保持することを基本姿勢にさせたのは、間違いなくAKB48です。しばしば48グループなどに批判的だったアイドルに免疫のない人が突然オタクになったとき(当然、佐々木さんのことではありません)、あまりにも単純な賛美を繰り返し、各々が落ち着く運営やメンバーに過度な信頼をよせてみたかと思えば、突然掌を返して攻撃に転じる姿を見ると、気の毒に思うことすらある。大人たちは、あまりにもウブにすぎる。グレーゾーンで踏ん張る自力を身に着けられたのは、皮肉ではなく、秋元さんに感謝したいところです。いや、皮肉かもしれない。

 

 

トークで言及された楽曲の質について、好みの問題を超えたうえでAKB48にどの程度「いい曲」があるのか、 素人である私にその判断はつけられません。主観的なことで言えばAKBの現場デビュー–––当時は完全在宅だったので、去年はじめて友人について行った全握で見た–––で流れた「ポニーテールとシュシュ」のイントロには鳥肌が立ちましたし、SKE48片想いFinally」はMステ初出演時の気合の入りようとともに忘れがたく、そして欅坂(けやき坂)46の1st~4thシングルのカップリングには、捨て曲があった試しがない。ただ、こんなことを言っても仕方ないし、そもそも私は楽曲のクオリティ論に終始するアイドルの評価に懐疑的でもあるし、楽曲の質がアイドルを推す免罪符になっている側面の功罪について、もう少し語られてもいいと思っている。

 

そうそう、大きく脱線させますが、配信内で佐々木さんにAqbirecのアイドルをチェックしてくれ、とコメントを送って南波さんに拾っていただいたのは、他に同様の質問がなければ間違いなく私で、佐々木さんからはあまり好みでない旨の発言を引き出したあと、驚くほどスムーズにハロプロの話にスライドしてコメントの本筋に戻ってきませんでしたが(笑)、そのことで読まれなかったコメントの続きで、私はカッコに入れて「ライブ配信」をチェックしてください、と書いたはずです。
つまり、佐々木さんには演劇・ダンス等に近い水準でアイドルの"パフォーマンス"を見てみてほしい、という願い(笑)を込めたのです。
もちろん、アイドルのパーソナリティーや物語を楽しんでいらっしゃるのも充分すぎるほど伝わっているし、アイドルにおいて、大きくともパーツのひとつにすぎない楽曲にウェイトが置かれすぎているようにみえるのも、非現場派の佐々木さんの立場上矛盾はないはずですが、昨今の配信活況のなか、Aqbirecの踏ん張りないし抵抗は、もし未見であれば見ていただきたいものです。映像でライブパフォーマンスや現場の空気感を再組織化することに腐心している、という点においても、面白がってもらえるような気がするんだけどなあ...そのうえで、なお関心には引っかからなさそうな気もしてはいますが、ひとまずコメントの本意として。

 

閑話休題

 

私にはAKB48において、決定的に万人へ開いておきたいエピソードがひとつあります。それは、例の問題含みのドキュメンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』に捉えられています。

AKB48は2011年の5月から毎月、被災地支援のため避難所などでイベントを行っていました。頻度こそ年に一度程度となったものの、昨年まで変わらず支援活動は続いています。そして、2011年当時の様子が上のドキュメンタリーに収められています。メンバーのインタビューでは、被災地を訪れることで生じた心境の変化やインパクト、また現地の記録では笑顔をまじえた現地の方々との交流も記録されています。そのなかで私が今もって強く印象強いのは、峯岸みなみさんのインタビューです。
AKB48の被災地支援は、簡素化を目指したステージトレーラーでライブを行っています。トラックの荷台が仮設のステージとなるそれは、手狭ではあるものの、通常のステージよりも高さを持ち、ゆえに多くの人が観覧しやすい、という環境を作っています。あるシーンで、ライブのトーク中にちいさい女の子が花を携えてステージに近寄って、それに気づいた峯岸さんが、ステージに腹ばいになって手を伸ばし、花を受け取るさまが記録されています。しかし、インタビューでそれを振り返る峯岸さんは、強い後悔とともにそのエピソードを語ります。それも大粒の涙を流しながら。どうして自分はあのときステージから降りて花を受け取らなかったのだろう、絶対にそうすべきであったと。アイドルというパフォーマーが担っている緊張感と誠実さは、このエピソードにおいてひとつの極にふれていると思います。飛躍と論証のなさを自覚しつつ、またどの程度の人に伝わるか心もとないながらも、この後悔に含まれているものが、人前に立つもののすべてだと断言します。誰かがこうした緊張感に触れうることを示しただけで、私は、AKB48が全幅的に批判されうる対象ではない、とします。それはやはり、甘いのだろうか。

 

個人的な話になるけれども、私も同時期、被災三県の避難所で、通算30~40公演近く慰問公演を行っていました。私が広義の被災者であることをのぞいても、仮とはいえ生活の場に踏み込んでパフォーマンスすることには、それだけで語り尽くせないほどのエピソードがありますし、現在に至るまで私を形作る貴重な経験の一つになっています。だからこそ余計に共振するのかもしれませんが、峯岸さんの後悔、または感受性が、アイドルという立場からドキュメンタリーに残されていることの重要さを、何度でも考えさせられます。ひとりの花を正しく受け取ることへ差し向けられた、アイドル=パフォーマーの問いは、「国民的アイドル」のメンバーであったからこそより強く身に響いたでしょう。こうした微妙で重要なエピソードを見えづらくしているのは、当の48グループの責任でもあるが、確かに語るべきエピソードは、きっと埋もれているし、48/46グループから離れてしまった今も、きっと起きているだろうという希望は変わりません。

 

 

 

 

 

と、例によって長くなりましたが、ここまで読んでくれた方がいるなら宣伝していいでしょうか。10月中にアイドル批評誌『かいわい』が創刊。編集と論考、座談会に参加しています。私の論考はここでもふれたような「グレーゾーン」の問題をめぐって書いています。よしなに。

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lyrical school 「PLAYBACK SUMMER」とちょっとだけメンバーの話 ※9/21にしつこい追記

※書き足りないので9/21追記

 

昨日の9月19日。友人の運転する車に乗って、どーでもいいことをひたすら喋りながら1時間半。お世話になったことはないものの、本業的に"現場"のひとつでもある、よみうりランドに到着。

 

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しかし華やかな乗り物たちはスルーして、園内奥にある「らんらんホール」に迎えば、そこにはアシカではなくオタクたちがたむろする"現場"がありました。

 

今年になって登場回数のおおいlyrical school、すなわちリリスクのワンマンライブ「PLAYBACK SUMMER」へ参加してきました。7ヶ月ぶりのライブ、実に7ヶ月ぶりで他人のパフォーマンスを見ることに。生活リズムも変わり、そもそも当たり前ながらライブパフォーマンスの類の参加機会自体が減っているのですが、リモートライブ以降に出会い直したといっていいリリスクのライブはどうしても見たいということで、迅速早急にチケットを入手したのでした。楽しかった...

 

結論から言えば「楽しかった」で終わることを「どう楽しかったのか」「何が楽しかったのか」というのをバカみたいにふくらませるのが私の文章ですので、ここからは終わりのない円周率を辿るようにして、無限の「楽しかった」を連ねるだけです。しかし、どっからいったものか。

 

先月の上野と比較するなら、「夏曲」パートのような明確な構成立てではなく、パーティーチューンもメロウな曲も入り乱れつつの進行。けれども、驚くのは前半にあらわれたノンストップのミックス仕様!ド新参なので前例を知らないのですが、意外なほどこういう仕掛けを使わないライブだという印象があるので、しかし当然ながらバッチリはまる。またトラックが機械的に進行を止めることがないだけでなく、メンバーのラップが次の曲へとシームレスに促すのもまた楽しい。ここは自分に身近なMIGMASHELTERのノンストップリミックスとの対照を念頭に置いてますが、ある種サディスティック/マゾヒスティックに身体を追い込んでいくことから生じる陶酔のカタルシスを与えるのでなく、客席間でとられたソーシャルディスタンスの空隙を、せめて時間的にぶっ潰していくぞと言わんばかりに、あくまでもパーティーの強度を求める必要から生まれたリミックスである感触がありました。

そう、知ってたり知らなかったりする顔と体がひしめきあって声ならない声がわきあがる「フロア」がないことだけは、どうしようもなくもやもやとしてしまうものでした。クラウドに混ざることも、あるいはあえてすみっこでひとり踊ることも、そもそもの選択の可能性がない状況は(昨年に続いてのホール環境ではあるものの)、かなりきびしい。それは演者にも手が届きようがない限界があるけれど、少なくとも抵抗はしてやるぜ、という試みのひとつとしてリミックスを受け取りました。

 

 

ところで、こうしてリリスクについて書くとき、なかば意識的にメンバーそれぞれの魅力について喋らずにきたのですが、リリスクのライブについて話そうとするとき、メンバーについてスルーしてしまうのはおそろしく不自然です。多くのアイドルのように、振付をこなしていくことで見えてくるフォームの完成度や、踊ることの懸命さに輝きがあるのでなく、フリーにステージを動き回る時間と、時折まじるダンスの塩梅に宿る即興的な余白が、それぞれのメンバーの人柄を前景化させます。五者五様のパーソナリティが単独で、また組み合わせによって、それぞれがまとまりきらずバラバラなまま、しかしそれが破綻へ向かうわけではなくタイトに「リリスク」のグルーヴを深めていくこと。これこそ、アイドル界におけるリリスクのステージの独自性に思えます。これは初見のときから変わらないポイントかもしれません。

 

 

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ステージを見ていると、ひときわ動きの大きいrisanoさんにまず目が奪われる。アメリカでダンス留学をしていたから、ということだけでは説明のつかないステージでの大胆さ、グルーヴというかステージのノリを増幅してメンバー全体に送り返すペースメーカーにもなってるようなあの大胆さを見てると、観客であるわれわれも、あそこまではっちゃけてもいいんだ、と自由になれる気がしてくる。また低くハスキーだと言われる声も「Tokyo Burning」では切なく高い音で歌うことに宿る絶妙に上品な切実さがすばらしかった。喋るとむちゃくちゃにズレたことを言うのも毎回すごい。
ある意味でもっとも安定しているhinakoさんは、いつも絶えずにこにこしているのに、全然表情に嘘がないから、パーティーチューンでもメロウな曲でもそれぞれ違う意味を感じさせてくれる。男女問わず、すばらしいアイドルほどやたらな表情の使い分けをしない、という私見がありますが、hinakoさんは完璧ではないでしょうか。「bring the noise」の見せ場では、歌いきったあとステージ中央でいつまでも拍手をねだる仕草が続くのだけど、あそこはなぜか泣けてきてしまうシーン。
ラップのスキルでリリスクの背骨を担うかのようなhimeさんは、的確にビートを捌いていくパフォーマンスのタイトさと、自然とオタクに寄り添おうとするスタンスの両立が魅力。MC中、他のメンバーが話してる間にステージの面でしゃがんで最前のオタクたちと何度か軽くお喋りしているのが見えたけれど、"あの感じ"のフレンドリーさ、しかしぶっちゃけて垣根がないわけでもない雰囲気の良さがすごくて、たぶん唯一、パフォーマーとしての自分に戻って様子を見ていた気がします。
おそらくリリスクを深く知るようになって最も印象の違ったminanさんは、ステージのクールな気品にあこがれるだけだともったいない気がしてしまうくらい、オフのチャーミングさがすさまじく、滅多に言わないけども、こんなに素がかわいいアイドルを他に知りません。そしてそこを踏まえてみると、前回と今回のハプニングの良さが際立つというもの。陰陽の比較が好みでないので、図と地の関係に直すなら、risanoさんがアグレッシヴに動くことで図としてステージの空気を基礎付けるなら、minanさんは節約的に振る舞うこと・あえてしないことで地としての空気を作っています。別のベクトルの自由を作っていて、それがリリスクの居心地の良さを担っています。
yuuさんは声と動きの人。「YABAINATSU」で今回始めて行われた下手から上手への移動(配信だと捉えきれてなかった)がめちゃくちゃよかった。膝の使い方だとか、細かな重心の移動に"ダンス"が宿ってる感じ。歩く姿の表情が豊かです。ちいさな動きから大きな効果を引き出すタイプのパフォーマーだとおもいます。リモートライブでの動きの良さについてなんて、いくらでも喋れる。また地声自体がギフテッドな良さであるのもあるけれど、資本に頼り切らない幅というか、ラップも歌もたいへん魅力的なのです。yuuさんの動きと声はリリスクに強くハマるきっかけの大きな理由でもあります。

 

ところで、リリスクに限らず、メンバーについてあまり話さないのはいくつかの理由があって、パーソナリティの魅力ってライブの構成であるとか表現物として見える/読めることを超えてしまって話しづらいのと、あんまり自堕落に「オタク」然としたふるまいをするのもなあという自制があるからなのですが、リリスクに関しては今わりとオタクムーブを行っていまして、ラジオにもマメにメール送ったりとかしている。言いたいんすよね、いかに皆さんが良いかということを...ここで書かないことをダイレクトに伝えようとしている。。しかし手段と目的が入れ替わってしまうのか、初の特典会(参加しました)で「熱心なラジオリスナー」になったのは笑ってしまった!違う!そういうことじゃなくて!!笑

 

 

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アイドル文化のひとつに、パーソナリティ消費があります。たしかに一歩誤ればとても危険なこともある部分なのですが、はじめは表面的なパーソナリティの理解が、たとえそれも表現物のうちだとしても、より複雑な理解になっていく面白さは否定しきれません。人は、あるいは人と人との関係は大雑把なイメージに収まらないし、言葉に定着させようという行為を裏切っていく。興味のない人に(あるいは本人にさえも)、彼女たちのよさを伝えることはいつでも失敗してしまいそうだし、言葉を重ねるほど「オタク」という閉域に閉じられてしまう。とはいえ、楽曲とステージとパーソナリティとが強く結びついて切り離せない猥雑なアイドル文化に、何度目かの出会い直しをさせてくれたリリスクから、まだしばらく目を離せそうにないし、都度に文章を書いてしまうこともやめられなさそうです。

 

 

さーて、またアーカイブ見よう〜!

dlc.tokyo

 

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帰宅後もだらだらと2、3周はしたアーカイブが翌日に1080pへと高画質化されたので、好きな曲を中心に見ていましたが、今回の白眉は「シャープペンシル feat.SUSHIBOYS」だったのではという思いが強まったので、追記!

アルバムに収録されておらず、あまり聴く機会のなかったこの曲、もともとスシボも大好きだけど、しかしいくらかリリックに乗り切れないようにも思っていました。が、今回のライブでは音源よりもグッとスキルアップしたからか、フロウはより今っぽいし、いっそ艶めかしいまでにメロウな空気が漂っているのも不思議に魅力的で、曲への認識が改まりました。ことにminanさんとhimeさんが素晴らしく...滑るようになめらかに「気楽に行けばいいのに/無駄に力入れちゃ/字も上手く書けないの誰もが同じ」とラップして「誰でもやるやらない超簡単/それだけの話」に至れば、「それだけの話」なんて、もはや吐き捨てるように言ってのける格好良さ。気楽さよりは遥かにずっと、覚悟が決まってる人間の強さをブチかましてくれるようで、胸を打たれる。そこから全編で最も緩急のかかるhimeさんのバースに揺らされて...そして!そして!ラストのラップは何なんすか!?

minanさんは「PLAYBACKするSUMMER/あと何度味わえるのかな?/500日じゃ足りないくらいお熱なのよタチ悪い/かち割りのアイスで冷やす胸元は日焼け目立つ/ヤマタツがさよならを告げたって/まだここに立って夏を歌ってる」himeさんは「ノースリーブにパーカー/まだ早いっしょバーカ/秋とかまた来週再来週/どっか行けさみしさの台風/どうせ終わるなら今は踊ろうぜってのが当然/no pain no gain,all right OK?」とラップするここ、来る夏を愛し、去る夏を惜しみ続けてきただろうリリスクのアティテュードが凝縮されたバースになっているのではないか。現場ではノンストップに続く「OK!」の楽しさにさらわれていったが、こうしてすぐアーカイブが見られる(ふと思ったけど、ライブ体験の直後にプロショットの映像でライブを経験し直す、複数のライブ経験をミックスする形も、この世の中の流れならではかもしれない。)ことで、取りこぼさずにすむ。

 

やや話は飛躍しますが、リリスクには「夏」に代表される、言い換えるなら「今ここ」と「ノスタルジア」のテーマがあります。そのテーマの繰り返しは洗練され続け、おそらくその洗練が到達した頂点のひとつである「LAST DANCE」では、間接的に死を歌ってもなお(「ドゥワチャライク」では"贅沢に死のうぜ"と、より直截に言ったりもしてるけれど)、アイドルのポジティブさに包めてしまうくらいの強度を持っている。「Summer Trip」を彼岸からの歌のように感じると前に書いたけども、「リリスクの夏」が含む複雑さに、今さらのように惹かれはじめている。掛け値なしに、ただひたすらに楽しいのだけど、やはり何かが頭に引っかかる。それが、今リリスクをしつこく見てる理由のはずです。

 

 

ひとつも侮れない、リリスク。

lyrical school REMOTE FREE LIVE vol.3について

※7/31 敬称の統一等加筆修正

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は〜!痺れた!最高最高最高!!!!!

 

むちゃくちゃによかったリリスク3回目の配信の出だしは、前2回と同じ縦画面5分割のフレーム・イン・フレーム形式だけど、リモート収録のように見えて、こりゃ「いるな」という空気が濃厚に漂っていました。その勘ぐりはあっという間に答え合わせ。1曲目の「OK!」の「縛られ続けてたら死んじゃう!」というシャウトがアイロニカルにも響いていた1回目の配信に対し、今回はまさしくその「縛られ」を解くようにして、それぞれのフレームに5人が入り乱れていく。

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lyrical school REMOTE FREE LIVE vol.3」 02:58のスクショ

1回目の「OK!」が「大丈夫だよ!」という知らせと励ましに響くなら、今回の「OK!」は「もういいだろ!」とレギュレーションを"越境"していくかのようです。

 

事実そうした開放感は新曲「YABAINATSU」の衒いないパーティーチューンに連絡されます。hinakoさんがタオルを振り回しながらラップする「ふたりなんか企んでる/脱ぎ捨てたビーチサンダル/はしゃぎすぎるLike a サマーヌード/ヤバすぎるヤバダバドゥー」というラインの駄々っ子のような無二のフロウには、ひとつの影もありません。

 

続くセルフボースト・トラップ「HOMETENOBIRU」。しかしロゴデザインの芸の細かさ。OとEとNがびよびよに伸びている。「伸びる=上達する/出世する」ことだけでなく「ゆるさ」も含意されています。攻撃的なサウンドとリリックはこうしたユーモアにも支えられているし、マジとネタの塩梅の良さを加減しています。

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lyrical school REMOTE FREE LIVE vol.3 06:50付近のスクショ

 

一転、ゆるいBPMになり「Dance The Night Away feat. Kick a Show」のKicK a Showさんとの共演が終われば、間断なく新曲「Summer Trip」のロゴ。minanさんから「これが最後の曲だけど」とアナウンス。14分に満たないタイミングで締めくくりが告げられる、この切り上げの潔さ。か〜〜!粋の一言!この態度はあまりにシャレてて、本当に感激してしまう。

 

それにしても、"今"聴くにはあまりにもパンチラインだらけの「Summer Trip」のリリックのふしぎさを、どういったものかわかりません。5人がステージセンターに寄り合って、画面の向こうにいる我々に向けて問いかけているように見せる「そっちはどう?」のメッセージだけでなく、「戻れなくなろうよ、このサマーに」というリフレインの奇妙さ。私たちが入り込んでしまった世界の取り返しのつかなさを思うと、このあまりにも甘い誘いかけは–––おそらく本人たちは少しも意識していないからこそ–––どこか彼岸からの声のようにすら聴こえます。5人の歌に、ここではない"別の世界"の可能性に思いを馳せてしまうことは避けられず、しかしそれが不可能でしかない諦念に、私たちとアイドルの間にある、埋めがたい絶対的な距離が浮かび上がるかのようです。ただその距離には、少なくとも私には、もどかしさでなく、むしろ何かを回復しているようにすら感じられます。ここではないどこかへと縛られから放たれて歌い踊る誰かを見て、ここにいる私たちが活き活きとしてしまうこと、それは芸能の本懐ではないでしょうか。

 

 

それにしても、こんなにも時局を写したかのような歌詞をもったトラックが、昨年リリースされたアルバムに入る予定だったという、偶然のすごさ。

 

 

リリスクは、いい曲・配信技術の質・気の利いたビジュアルデザインといったクオリティに安心させるだけでなく、状況をフィクショナルに読み替えていくような、曰く言いがたい物語的な手触りも受け取れる配信シリーズを見せてくれました。息苦しさもなければ、やけくそでもなく、ひとつひとつ芯を捉えていった仕事。こうしたことが、世界のどこかでも同じように起きていたのかもしれないけれど、まずは、リリスクが...成し遂げたというのも野暮ったい、ただただ「アイドル」の仕事を見せてくれたことを、ここに筆圧も強く書き残しておきます。